背信
下級神カーの手違いで天界に召還され、オマケに肉体を消滅させられたフリーライターの月本零。カーとの直談判(笑)の末、身体を甦らせた上で現世に戻すという約束を取り付けたのだが……
虚無の空間に1人残された月本零は、件のドアの前で座禅を組んでいた。以前男性誌の体験記事で参禅してから、心を落ち着けたい時はこうやって座禅を組むのが彼のルールだった。
「ったく、あいつ大丈夫なんだろうな……」
目を開けて三回目の独り言をつぶやくと、左手組の腕時計を見る。この世界の時間の流れが現世と同じなのかは分からないが、時計の液晶はあの忌々しい下級神がドアの向こうに消えてから小一時間が経ったと告げていた。
「こんなもんで信用したオレが甘かったか……ま、どのみちこっちにゃもう打つ手もねえが」
手持ち無沙汰なのかカーが証文代わりに置いていったネクタイを右手の親指と人差し指でつまんで目の前でヒラヒラさせる。下級神の高過ぎるプライドにつけこんで、身体の復活と元の世界への帰還を約束させはしたが、もう今の彼に自ら打てる手は残ってなかった。完全な手詰まり。まな板の鯉よろしくカーの言葉を信じて待つしかないのだ。
彼が再び腹をくくり直して目を半眼に閉じてから30分ほど経過した頃、いきなり壮麗なファンファーレが鳴り響いたかと思うと、目の前のドアが開き、かの下級神が姿を現した。
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃーん!お待たせしたのですよ」
両手をYの字に挙げ得意満面の笑みで現れたカーを見て、一気に脱力感に襲われた中年男は真底からの呆れ顔で言葉を返した。
「お前、ファンファーレとか何考えてるんだ?頭腐ってるだろ」
「え、神の登場に相応しいと思うですが。似合ってるじゃないですか(笑)」
「あのな、売れないお笑い芸人崩れが何言ってんだ!場末の演芸場のお囃子でも勿体ねえわ!」
呆気にとられて零得意の毒舌も鈍りがちなのか、カーは堪えた様子もなくさらりと返す。
「ふん、相変わらずひどい言い種なのですよ。」
「でも、一応戻って来たのは評価するぜ。それでオレは元の姿でちゃんと前の世界に戻れるんだろうな」
「勿論なのてすよ。ボクちんに出来ないことはないのですよ。ちゃんと上級神院の許可も貰ってきたですよ。」
「おいおい、ずいぶん素直じゃないか。薄気味悪いな」
「何言ってるですか。信じるものは『掬われる』なのですよ(笑)」
「最初からそうしてればあんな痛い目も見ずにすんだんだ。ま、お前のマズイ面も見飽きたし、こんなところに長居は無用だな。じゃ、早速戻してもらおうか」
「やれやれ全く失礼な奴なのですよ。じゃ、このドアの中に入るですよ」
カーはいま自分が出てきたドアを指差して言った。零はつかつかとドアの入り口まで歩み寄るとおもむろに中を覗き込んだ。
「なんだよ、真っ暗じゃねーか。これでちゃんとオレの世界に帰れるのか?大体その前に体を元に戻さないとダメだろ?」
「ふふふ、心配ないのですよ。さぁ、さっさと入るですよ!」
カーはいうが早いか、零の尻を思い切り蹴飛ばした。零が思わずもんどり打ってドアの内側に転がり込むのと同時にドアはバタンと大きな音をたてて閉まった。そして彼の周囲は鼻を摘ままれても分からない真の闇に支配された。
「イテテ!こら、お前、なんの真似だ!何にも見えねえじゃねーか」
暗黒の世界にあの下級神の愉悦に満ちた声が響く。
「ふふふ、ここからはボクちんのターンなのですよ。よくもこのボクちんをさんざん虚仮にしてくれたですね」
正座させられていた時とは別人のようなカーの強気な態度に、零ははめられた事を悟った。
「ふざけるな!てめえ騙しやがったな」
「いかにもなのですよ。お前のように神を愚弄する輩には天罰を与えてやるですよ」
カーは悪びれる様子もなく自ら掌を返したことを暴露した。尊崇されるべき自らを疎かにあつかった人間風情に、上位者として持てる力を見せつけるのは彼にとって当然の務めであった。
正論を押し通してくる苦手な相手を別の空間に隔離し、絶対的に優位な状況を作ったことで、相手のメンタルを弄ぼうという嗜虐心が芽生えたカーはニヤニヤ笑いながらこう続けた。
「ただし今までの非礼を詫び、悔い改めるなら、広い心を持つボクちんはお前を神の慈悲で異世界へ転生させてやらないこともないのですよ。さぁ、そこで膝まづいて、ボクちんに赦しを乞うですよ。何なら土下座でも良いのですよ(笑)」
もともとカーは自分のミスを隠蔽するために異世界転生を強制的に行う積もりだったのだ。一般的な損得勘定から考えるならここで頭を垂れ、転生する道を選ぶことも出来たかもしれない。しかし良くも悪くも零はこんな理不尽に唯々諾々と従うことが出来ない人間だった。
「断る!」
暗黒の中に響く神の声に向かって彼は毅然といい放った。
「だいたい元々がてめえのドジで始まって、こっちに大迷惑かけたくせに、それを棚にあげて悔い改めろたぁ、どういう了見だ?そんな無責任で愚劣な奴を神と崇める位なら、道端に落ちてる犬っころの落とし物でも拝んだ方がよっぽど功徳があらぁ!」
この絶対的優位の状況に関わらず、犬の糞以下の存在呼ばわりされた下級神は、怒りでその肉付きのよい顔を赤らめた。
「この期に及んでも口の減らない奴なのですよ。これ程、身の程を知らない馬鹿な奴がいるとは思わなかったですよ」
「てやんでぃ!筋の通らねえ横車おしてるのはそっちの方だろ。てめえの汚ねぇケツも拭けない癖に、被害者の足元見て親切面するとか、どんだけ厚顔無恥なんだ。オレだったらお天道さんに恥ずかしくて人前にも出られやしねぇよ。」
「むきー!!ボクちんのプリチーなお尻は汚くないのですよ!」
虚無の空間で短い手足をバタつかせて鼻息荒く地団駄を踏むカーの姿を見られたら、零もちょっとは溜飲が下がったかも知れない。
「ふぅふぅ、せ、せっかく丸くおさめてやろうと思ったのに、聞くに耐えない悪口雑言、神を神とも思わない不敬な態度、寛大なボクちんも堪忍袋の緒が切れたですよ。お前には痛い目を見てもらうですよ」
カーが言うが早いか、零の足元の地面が消えてなくなった。真っ暗な闇は変わらないが、果てしなく落下していく感覚が零を襲う。
「おい、てめえ何しやがった!お、落ちる!」
暗闇でジェットコースターに乗るような感覚にさすがの零も声をあげた。勝ち誇るカーの声がまた暗黒の空間に響く。
「ふふふ、お前を意識体のまま別の世界に放り出してやるですよ。肉体のない意識体がどうなるか知ってるですか?」
「し、知るわけないだろ!」
「くくく、ならば教えてやるですよ。肉体は意識体を保護する器。器を失った意識体は時間が経つにつれ徐々に意識が薄れ、ついには存在が保てなくなり消滅するですよ」
事実上の死刑執行宣告を愉快そうに説明する下級神。
「て、てめえ何考えてんだ!そりゃ完全に死ぬってことじゃねーか!」
「ふふふ、怖くてオシッコちびっても知らないですよ」
「おめえじゃあるまいし、誰がそんな事するかよ!」
「ふん、強がるのも今のうちなのですよ」
ゾーンに入ったカーは零の悪態を軽口で返す余裕を見せる。しかしその余裕がつい彼の口を滑らせた。
「冥土の土産に一つだけ教えてやるですが、まれに器に入り込めれば助かることもあるですよ。でも多分今のお前じゃ万に一つ、いや億に一つ以下の確率なのですよ(笑)」
「くっそー!万に一つだろうが、億に一つだろうが諦めてたまるか!今度会ったらただじゃおかないからな。覚えてろよ!!」
「さて、そろそろ到着なのですよ。消滅するまでの短い間、せいぜい身の程知らずの自分の愚かさを呪うがいいですよ(笑) では、さ、よ、う、な、ら!」
足元が明るくなったかと思うといきなり視界が開け、零はその世界に放り出された。血の匂いが鼻をつくそこは戦場だった。
(続)
という訳で異世界ゴースト ザ・プロローグ第四話お届けしました。本人も言ってましたが、今回はカーのターン回ということで、カー君極悪度MAXでお送りしました。
今回のお話し「ちょっと、ちょっと!『じゃ、消滅で!』と話が矛盾してない?」と思った方もいらっしゃるかも知れません。その辺りは次の話で回収する予定です。
また次回も宜しくお願いいたします。ではっ!