ネゴシエーション
誤って排除対象者用のトラップに捕獲され、天界に召還されたフリーライター月本零は今回のトラブルの張本人下級神カーに遭難の経緯を問いただす。誠意のない対応に、業を煮やした零は……。
そこは何もない空間。見渡すかぎり真っ白で空も海も山も野も、勿論人の住む都市や村も存在しない。ただ足の裏が何物かを踏みしめている感覚だけは確かにあった。
その空虚な世界に対峙する二つの人影がある。
一つはいかにも不機嫌の極みという顔で腕組みをして仁王立ちする中年男=月本零。どちらかといえば痩せ気味の体躯に、収まりきらない怒気をはらんだその姿はえもいわれぬ迫力に満ちていた。
そしてもう一つの小太りな影はこの不祥事を現出した張本人=下級神カーだ。遠目に見ても目立つ膨らんだ丸い体つきと、そこから申し訳程度につきだした短い手足は、過大なプライドとそれに見合わぬお粗末な振舞いを戯画にしたようだった。
「それでだ、お前だれだ?」
「コホン、ぼ、ボクちんは神なのですよ」
カーは神としての威厳を取り繕うべく、丸眼鏡の弦を意味ありげに押し上げながら、精一杯厳かな声色で答えた。
「は?お前みたいなちんけな容姿の神なんているのか?まぁいい、んで、お前、オレに何をした?」
中年男はカーの渾身の去勢を軽くスルーして話を進める。
「実はボクちん、上級神院の特命を帯びて世界に害をなす手配者を追っていたのですよ。それで罠を仕掛けてその男を、捕獲する予定だったのです」
嘘である。上級神院の特命などない。うだつの上がらない下級神が点数稼ぎの為に上には無断で実行したのだ。カーとしては自らの行動を権威付けて、優位を印象づける肚なのだろう。しかし零は歯牙にもかけない。むしろそう言う態度は彼の権威への反骨心を煽り、逆効果にしかなっていなかった。
「ほう。それで?」
「ところが奴を発見してついに罠で捕獲するというタイミングで、奴の隣をキミが通りかかったのですよ」
「ほーう。んで、どうしたんだ」
「そ、それで運悪く罠が手配者でなくキミを捕獲してしまったということなのです」
「はーん、運悪くねぇ……」
「そ、そうなのですよ。フードもかぶってましたし、ラフな格好も似てたですよ。これはアンラッキーな事故なのです」
「ほほう。なら何か、たまたまその罠に引っ掛かったオレが不運だったと」
「慚愧に耐えませんが、正義のために必要だったのですよ。我々はキミの尊い犠牲をけして忘れないのです!」
遠い目をして上方をふり仰ぐ下級神。所謂いい話的な方向に持っていきたいらしい。だが裏目裏目に出るのがカーの持ち味である。ついに零の堪忍袋の緒はぶちきれた。
「何が尊い犠牲だ!オレが不運なだけで、自分は悪くないってか?そんなもんどう考えてもお前が悪いに決まってんだろ!全くふざけやがって。おい、そこに座れ!」
「え、えっ?」
空気の読めない下級神は間抜けな答えを返す。
「す、座るって言っても椅子がないのですよ」
「バカ野郎、正座に決まってるだろ!とっとと座れ!!このタコ!」
零の剣幕に気圧されして、しぶしぶ膝を折り零の前に正座するカー。
「つまりオレはお前の手違いでここに連れて来られたって訳だな」
しかしカーは憮然とした表情のまま答えない。
「バシッ!」
すかさず平手の一撃がカーの頭頂部を襲った。
「あ、痛っ(泣)」
「返事はどーした?」
「な、何するんですよ。暴力反対なのですよ!」
「てやんでえ、無実の人間を拉致したくせにどの口がいってんだ、べらぼうめ!」
「そ、そう言われれば、そう言えなくもないかも…ゴニョゴニョ」
「あん?誤魔化してんじゃねえ。返事ってのはな、まずハイかイイエだ。どっちなんだ?」
下級神は再びフリーズしたが、昭和の家電宜しく、零の一撃で再起動した。
「いた~ぁ!は、はい、ボクちんの手違いですっ。」
「わかりゃあ、いい。で、当然オレは無罪放免でもとの世界に帰れるんだろうな!」
「い、いや、それは……」
「何だ、まさか無理とは言わねえよな。」
「実は、いまのアナタは意識体だけなのですよ」
「意識体?」
「か、簡単に言うと魂だけの状態ということですよ」
「魂だけっつうと、オレの身体はどーなったんだ?」
「分子に還元されて霧散したですよ」
「は?」
今度は零がフリーズする番だった。だがこちらは事の重大さに一瞬で再起動した。
「おい、分子に還元って、そりゃ消滅したって事だろ!」
「あ、そ、そうとも言うのです(汗)。あいたぁ(泣)」
「つまり有り体に言って、オレは死んで魂だけになったっつーことだな」
「し、身体的には死亡したと言わざるを得ないかもです(汗)」
再び零の平手が飛ぶ前に先手必勝と下級神は矢継ぎ早に口を開いた。
「な、なので二つの選択肢を用意してあるですよ!聞いてほしいのです」
一瞬の沈黙の後、魂だけの男が答えた。
「分かった、言ってみろ」
下級神は内心ほくそ笑んだ。時間はかかったがこれでもう大丈夫だ。いい条件を提示すれば、このうるさい男も大人しく異世界転生して、今回のミスも無かった事に出来ると。
「こういう事故の場合、神界では異世界転生か消滅の二つの選択肢があるです。ボクちん的にはやはり異世界転生がオススメなのですよ。何なら今回は特別にボクちんの力で勇者とか王族とかに転生させてあげても良いのですよ!」
カーは今まで何回も間違って天界に召還してしまった人々を異世界転生させ、自分のミスを隠蔽し続けてきた。提案された側のあるものは喜び勇んで、またあるものは仕方なしに、その提案に乗って新しい人生へと旅立っていった。しかしこの男は彼らとは違っていた。
「そいつはどっちも願い下げだ。大体この話、形式的には二択だが、実質的には転生一択じゃねーか!そういうのを詭弁っていうんだ」
零は断固たる口調で言い放った。
「オレの今までいた世界は確かに理想の世界からは程遠い。不公平だし薄汚い欲望まみれのどーしようもない世界だが、それでもこちとらその世界相手に必死で頑張ってきて、それなりの手応えも感じて生きてきたんだ。それをどこかのアホの手違いがあったからって、ハイそうですかと終わりに出来るかっつーの!オレはな、しぶとい性格なんだよ」
ここまで一気加勢にしゃべって、零はカーの様子がおかしい事に気がついた。
「おい、お前どうしたんだ?モジモジして様子が変だぞ。小便か?」
下級神のひ弱な下肢は、膨張した体幹の荷重に耐え兼ね、脚のしびれが限界に達していたのだ。
「あ、あの……もう脚を崩してもいいですか。し、しびれがもう限界…」
「ダメだ!」
無精髭の中年男は額に脂汗を浮かべたカーの懇願をにべもなく一蹴した。
「ともかくだ、お前の言う二択とやらを受ける気はねーから。」
「そ、そう言われましてもそう言う訳には……」
「あのさ、オレをこんな状況にしたのは誰だ?」
「…ぼ、ボクちんなのです。」
「そーだよな。お前がしでかしたんだよな。てことはお前はその責任を取らなきゃならない。でさ、お前神様なんだろ?」
「は、はい。」
「だったらさ、オレを甦らせることが出来るんじゃねーのか?そしてオレを元の世界に戻すんだ」
カーは頭を下げ例のごとく口を閉ざした。またかとウンザリ顔の零は剛を煮やして、正座したカーの膝に爪先を軽く押し付けた。
「ああ~っ(泣)」
「どーなんだ?オレを甦らせることは出来ないのか?」
額に脂汗を流しながら、それでもダンマリをきめこむ下級神。
「強情な奴だな全く。あのな、オレの我慢も限度ってもんがあるんだよ。なら、これでどーだ」
今度はカーの腿に踵を押し付け、そのままグリグリと動かした。
「*★△¥◎☆▽!?」
言葉にならないうめき声を発して悶絶するカー。だが答えは帰ってこない。
「ふーん。まぁ、これだけ言っても返答なしってこたぁ、お前じゃオレを甦らせることは出来ないってこったな。神様だ何だといっても大したことねーんだな。がっかりだぜ」
この一言に固まっていた下級神が反応した。それも今までとは全く違う気色ばんだ様子で。
「いま……何て言いました?」
「は?」
「いま何て言ったかと聞いてるんですっ!」
「だから、人一人甦らせることが出来ないなんて、大したことねえなって言ったんだよ!」
「そ、それくらい出来るのですよ!」
カーはそう叫ぶとガバッと立ち上がった。
「そうか、ようやく本気だすってか?じゃ、やって貰おうじゃねーか。」
「も、もちろんなのですっ!あ、いたたた……。」
立ち上がったのは良いが、いかな神と言えど脚の痺れは急には治らないらしくカーはよろよろとよろめく。
「おいおい、大丈夫かよ……。」
「だ、大丈夫なのですっ!ただ上の許可を取りにいかないとなのですよ。なので一旦ここを離れるのですよ」
「逃げるんじゃないだろうな。」
「そんな事しないのですよ。」
そういいながらカーは首の蝶ネクタイを外し、目の前の中年男に手渡した。微妙な湿り気に零は辟易しながら、赤と蒼の派手な布切れを受け取った。
「昇級した時の記念に手に入れたネクタイなのですよ。証文代わりに渡しておくですよ。では行くですよ」
そう言うと2人の目の前に突然扉が現れた。ドアが音もなく開くと、その先には真っ暗な深淵が広がっていた。
「すぐ戻ってくるので、ここで待ってるですよ!」
「仕方ねえ。ちゃんと戻ってこいよ」
「しつこいのですよ!大人しくここで待ってるですよ」
捨て台詞を残して下級神はドアの向こうに消えた。彼はドアが閉じたのを確認すると、口元を歪ませてポツリと一言呟いた。
「フフフ、ちゃーんと待ってるですよ……」
(続)
異世界ゴースト第三話なんとかアップできました。零とカーの掛け合い(どつき漫才?)に主眼をおいてみたのですが、いかがだったでしょう?次回は4/10の予定です。また宜しくお願いしますm(_ _)m