48話 バルバドの物語(2)
ハーフエルフだったバルバドは純血のエルフである母より先に自分が死ぬと信じて疑わないでいた。
しかし、母は原因不明の病に侵され自分より先に亡くなってしまった。
それから故郷を捨てたバルバドは一人で旅に出ることにした。
生きる目的などないが死ぬ道理もない。
そこで彼は村を出てから世界の広さを知った。
彼が生まれたゼノシア大陸は北から南にかけてラーナ、リーナ、ルーナ、レーナ、ローナと5つの地方に分けられている。
バルバドはゼノシア大陸の北から南へかけて旅を始めた。
そこで彼は南へ向かうほど人間が多く暮らしていることを実感する。
バルバドが昔聞いた話では、かつてこのゼノシア大陸はエルフたちが暮らす楽園だったそうだ。
しかし、約800年前に起きた魔界の魔族たちによる人間界侵攻によって、ゼノシア大陸は三つの大陸の中で一番大きな被害を受けたらしい。
結果多くのエルフたちが亡くなり、繁殖能力が低いエルフはこの800年の間に人口減少の一方をたどっていた。
そして、そんなゼノシア大陸にズケズケと入ってきたのが六人の七英雄を輩出した人間どもだ。
彼らは戦後ゼノシア大陸の南部から入ってきて、次第に北部へかけてもその生活圏を広げてきている。
エルフたちはこのままでは自分たちが絶滅してしまうことを恐れ、北部では他人種に対して厳しく接する文化が生まれたそうだ。
旅の中で多くの人間たちを見て、バルバドは改めて思うことがあった。
やっぱり人間は醜い動物だ——。
金にガメつくて、肉欲に従順で、自分の能力は低いくせに七英雄のことを持ち出して、自らの存在を尊いと考えている。
本当に愚かで醜い動物だと思った。
特に、売春宿という店の存在を知ったときは吐き気を催した。
人間とは自分の知っている愛するという感情が欠落している動物なのだろうとバルバドは思ったのだ。
考えれば考えるほど自分がどうしてハーフエルフなのかという事実に苛まれる。
自分の父親は……いや、父親だとは思いたくないが母に対して愛情は持っていたのだろうか。
人間嫌いの村の連中が言っていることが真実だとは限らないが、それでもバルバドは自分の目で見た人間という動物を考えると、村の連中の言っていたことも間違いではないのかもしれないと思うようになった。
街を歩きすれ違うエルフを見れば嫉妬の念を覚え、すれ違うハーフエルフやクウォーターエルフを見れば同情の念を覚え、すれ違う人間を見れば憎悪の念を覚えた。
自分の中には、半分は愛する母の血が流れている。
しかし、半分は穢らわしい人間の血が流れている。
受け入れ難い現実から目を逸らしながらバルバドは冒険者家業を続けた。
正直、働かなくとも十分な金はあった。
しかし、バルバドはゼノシア大陸南部では生活に困っている人間たちが冒険者として働いていることを知ってからクエストを多くこなすようになった。
自分が金を稼げば稼ぐほど人間たちに金は回らない。
人間など身体を売るなり野垂れ死ぬなりすればいい。
それが人間にとってお似合いだ。
バルバドはやりどころの無い自分の感情を人間たちにぶつけることにしたのだ。
人間なんて……。
人間なんて……。
人間のせいで自分はこんなに苦しんでいるのだ。
人間への復讐のつもりだけだった……他に意味もなく冒険者を続けたことにより、気づけば彼はどんな難易度のクエストもこなすソロのAランク冒険者になっていた。
Aランク冒険者になったことにより、バルバドの知名度や地位は大きく向上した。
しかし、バルバドにとってそんなことはどうでもよかった。
そして、そんな彼がローナ地方へとたどり着いたときだった——。
もう長い間旅をしてゼノシア大陸の一番北の地方から一番南の地方まで来てしまった。
今後の予定はどうしよう。
いっそ、別の大陸まで渡るか?
だが、エルフの大陸であるゼノシアのローナ地方でさえ今の時代、人間がうじゃうじゃと暮らしているのだ。
他の大陸に行けばそれこそ人間に囲まれて生活しなければならない。
それだけは勘弁だ。
これからのことを考えていたバルバドはなんとなく立ち寄ったギルドで、適当な魔物討伐のクエストを引き受ける。
それは巨大ヘビの魔物の討伐だった。
どうやら人間たちの暮らす街の近くで巨大なヘビの魔物が目撃されたらしい。
そしてクエストを受けたその日にバルバドはヘビの魔物を難なく討伐することに成功する。
切り落としたヘビの魔物の頭を担いでギルドまで帰ろうと歩いていたバルバドの前に、一人の人間が現れた。
それは純白のドレスに身を包む5歳にも満たない人間の少女だった。
少女はバルバドが抱える魔物に興味があったらしい。
「ねぇ、お兄さん。お兄さんが持ってるそれって食べられるの?」
少女はヘビの魔物の頭を指差してバルバドに尋ねる。
バルバドは見ず知らずの人間の言葉など無視をして立ち去ろうと思ったが、少女の腕にできている人間の手の形をした青痣を目にして立ち止まる。
初めはドレスで隠れていたのだが、少女が指差す拍子に肌が露出し、それはバルバドの目に留まったのだった……。
「おい人間。その腕の痣はどうした?」
バルバドは人間になど興味はなかったが、今まで見てきた人間とは違う雰囲気の少女に少しだけ興味を持った。
貧困に苦しむ人間というのは、その瞳には希望はなく必死に生にしがみつこうとする姿を見てきた。
たとえそれが子どもであったとしてもだ。
一方で、裕福な子どもというのは豪勢な衣類を身につけ悦に浸り、幼くして醜い人間の欲望を撒き散らす姿もまた見てきた。
それに対し、この少女は金持ちのような身なりをしながらも、悦に浸ってはいないように思える。
しかも、腕には大人がつけたような痣がある。
裕福な家庭の娘ではないのか?
おそらくこの痣は奴隷のような酷い扱いを受けている証拠だろう。
だが、それでもその瞳には絶望などなく真っ直ぐな瞳をしている。
バルバドは一言答えを聞いて立ち去る予定だった。
人間に傾けたほんの少しだけの興味。
だが、少女の答えを聞いたバルバドはさらに興味を持つこととなる。
「あぁ、これはね、ママにお料理を作ったら怒られちゃって、たたかれちゃったときのだよ」
ほう……人間とはやはり愛など知らぬ下等な動物なのだな。
母ともあろうものが、娘の善意に対してそんなことができるなんて。
バルバドは自分の母との思い出を無意識に重ねてしまう。
「そこの草をね、スープにしたんだけど食べられないって……。昔は顔をたたかれてたけど、今はうでとか、せなかとか、おしりだよ。それでね、お兄さんが持ってるやつ、おいしいならわたしに少しちょうだい」
あの草は……雑草か。
確かに食べられるものではない。
しかし、何故そこまでする必要があるのだろう。
母から愛情をもらって育ったバルバドからすれば、虐待をする人間の行動はわからないものであった。
さらに、この少女はこれだけ虐待されているのにも関わらず、母を愛しているようだ。
バルバドは初めて人間に同情をした。
「おい人間。お前の母親に会わせろ」
どうしてなのかはわからないが、バルバドの口からはそう言葉が出ていた。
そして少女はバルバドを警戒することもなく家に招待してくれた。
少女の家は彼女の服装から想像できないほど貧しそうな家だった。
中に入ると酒瓶が大量に転がっており、キツい酒の臭いがした。
「セシル、お前はまた勝手に出かけてたのか!! なんべん言ったらわかるん……」
少女の母親だろうか、バルバドが家のドアを開けると、怒鳴りながらフラフラと玄関へとやってきた。
そして、バルバドの姿を見るなり固まってしまう。
「あっ、あんた誰だい!?」
母親らしき女はバルバドを見るなり、彼に向かってそう言い放った。
「お前がこの子の母親なのか?」
バルバドは自分の足にしがみつく少女を指差して女に尋ねる。
「あぁ、そうだよ。わかったら早く帰ってくれ!」
女はバルバドに対して不機嫌そうな顔をしながらそう告げる。
「なぜ、自分の娘に手をあげるのだ。この子を愛してはいないのか?」
バルバドは人間に対する疑問をぶつける。
バルバドはもしかしたら、父親である人間が自分自身をどう思っているのか知ることができるかもしれないと思ったのだ。
父親が母の妊娠を知ってから母を捨てたのかはわからないが、それでももしかしたらという希望は少なからず持っていた。
だが、そんな淡い期待はすぐに裏切られる……。
「はっはっはっ。わたしが愛しているのは酒だけだよ。この子はあるお方の隠し子だからね。この子がいる限りわたしは働かなくとも酒が飲めるんだ!」
「もし仮にセシルのことを愛していたらイラつくことなんてないだろうし、手をあげることもないんだろうね」
女は悪魔のような顔つきで笑い出し、自分の娘の前で愛していないことを高らかに宣告する。
バルバドには人間のことが……いや、この女のことが理解できなかった。
ふと、少女の方を見るとまるで落ち込んでいる様子などなく、ただ真っすぐに母親である女を見つめていた。
バルバドは直観で思った。
こんなのは間違っていると。
「おい女。この子はおれがもらっていく」
バルバドはそう言って、少女を抱えて立ち去ろうとした。
「おい、ふざけるな! そんなことをしたらわたしが殺される。それに、酒が飲めなくなるだろうが!!」
この女、自分の娘の心配ではなく己の身と娯楽の心配か。
本当に……醜い。
「ならばこの金で逃亡して好きなだけ酒を飲むといい」
バルバドは魔法の収納袋から金を取り出して女に投げつける。
これまで冒険者として稼いだ全財産を女に渡すのであった。
正直いって、これだけあったら一生遊んで暮らせる。
「本当か!? はっはっはっ。わたしに再び神が舞い降りた! セシル、その男の奴隷として一生暮らしていくんだね! あんたがいなくなってせいせいするよ」
女は喜びに浸り、娘を罵る。
バルバドは不快になりながらも、もう二度と会うことはないと思うことにして何もせずに少女を連れてその場を立ち去るのであった。
◇◇◇
「人間……どうしてお前は、あのようにお前を嫌う母親を真っすぐな目で見られるのだ?」
少女と二人きりとなったバルバドはそう尋ねる。
「わたしが騒がしくて料理のできない悪い子だからママに嫌われていたの。だから、静かにして料理ができるようになればママに好きになってもらえるかなって……」
少女はどこか悲しそうな顔をしてそう答える。
現実は残酷だ。
この少女自身、母からの最後のあの言葉で真実を理解してしまったのだろう。
おそらくこの少女がどれだけ清らかな心を持ち、母を愛そうがこの少女があの母から愛情をもらえることはなかったはずだ。
バルバドはこの少女から今まで感じてきた人間の醜さを全く感じなかった。
それに、この少女は自分と同じく人間に捨てられた境遇を持つ。
「そうだったのか……。おれの名はバルバドだ。これからよろしくな人間」
バルバドはそう自己紹介をする。
「わたしはセシルだよ。よろしくね、バルバド……」
少女はにっこりとした笑顔でバルバドにそう告げる。
本当は今にも泣き出したいほどつらいはずだ。
しかし、この少女は精一杯の笑顔をつくっていた。
こうして、バルバドはセシルという人間の少女と二人で旅をすることとなった。




