34話 サラへの報告
「そういえば、アイシスはどうして人間界の言葉を話せるんだ?」
訓練終わりの昼下がり、荒野のような草木ひとつない岩山のさら地に座りながらおれはアイシスに尋ねる。
彼女やおれと契約しているカシアスは魔界からやってきた悪魔だ。
人間界のことを下界と呼んでいる。
彼らはもともと下界について興味のカケラもなかったようで人間界のことを全く知らない様子だ。
しかし、話している言語は人間界のものなのだ。
おれはそれを不思議に思っていた。
それにおれが5歳になったとき、カイル父さんがおれのスキルを調べてくれた。
そのときに使った魔道具には、魔界の魔族が使っていると言われている文字が書いてあり、おれはなぜか読めたのだ。
人間界と魔界の異なる文字、異なる言語——。
なぜ悪魔たちは人間界の言語を話せるのか。
そして、なぜおれは魔界で使われている文字が読めるのか……?
謎は深まるばかりだ。
そして、アイシスはおれの質問に少し悩んでから語り出すのであった。
「申し訳ないありませんアベル様……。詳しいことは私には理解できておりません。リノ様と念話で毎日会話をしているのですが、どうやら人間界で使われている言語と魔界で使われている言語は基本的に同じものらしいのです」
「なんだって? なんで同じものなんだよ! 魔界と人間界は別の世界なんだろ?」
おれは驚きの余りナンセンスな発言をしてしまう。
わからないと言っている相手にどうして理由を追求してしまったのだろうか。
いや、それだけ驚いてしまったということなのかもしれない。
「いや、今のはすまなかったアイシス。お前もわからないんだよな……」
「その、おれってさ……もしかしたらなんだけどさ、魔界の魔族が使っている文字が読めるかもしれないんだ。何か知っていたりするか?」
おれは先ほどの発言を詫び、改めて質問をする。
「はい、リノ様からの報告ですと、どうやら話しことばについては同じようですが文字については全く異なるものを使っているようです」
アイシスの言うところつまり、話すコミュニケーションについては魔界も人間界も共通ということなのか。
だからこそ魔族であるエルダルフの話す言葉は人間界のものと一緒だったのか。
しかし、なぜか文字だけは異なるものを使っている。
どうして……?
「それは間違いないのか? だとしたら二つの世界の言語が同じだなんて偶然なわけよな……」
アイシスはゆっくりと頷く。
「はい、リノ様からの報告では間違いないそうです。考えられる可能性としては、かつて魔界からの転生者が言葉を伝えたということ。もしくは魔界からやってきた者が言葉を伝えた。しかし、どちらにしても文字については教えなかったということでしょうか……」
なるほどな。
確かにおれは転生者だし、記憶を保持している。
前世での母国語である日本語だってまだある程度は話せるはずだ。
それに、転移魔法という存在が魔界と人間界を行き来できることを知った。
おそらくかつて言葉を伝えた者がいたのは確かだな。
「また、アベル様が魔界の文字が読めることに関してですが、無意識のうちに翻訳の魔法を発動しているということはありませんか?」
「翻訳の魔法……? そんな便利なものが存在するのか?」
おれは初めて聞く種類の魔法に興味を持つ。
「はい、存在します。しかし、周りの者たちはアベル様が実際に翻訳の魔法を使っているのかを判断できませんのでわかりませんが……」
なるほどな。
そんな魔法があるのか。
あーあ、前世でそんなのが使えたらおれは英語のテストで毎回満点は余裕だったのにな。
いや、英語だけじゃない!
もしかしら翻訳というのは暗号やプログラミングも解読できてしまうのか?
夢が広がるな……。
まぁ、そんなタラレバ妄想しても意味ないんだけどな。
「念話も一種の翻訳の魔法ですね。思念を込めたものが相手に概念として伝わり、相手の理解できる言語として翻訳されます。ですので、念話は別の言語を使う者同士でも意思疎通ができる魔法なのです」
念話ってそんな便利なものだったのか!?
念話を使えば色々なことができそうだな。
アイシスと旅を始めてから新しい知識がどんどんと入ってくる。
カイル父さんやハンナ母さんだってこの世界では博識だったが、やはり魔界の方が魔法なんかの理解が進んでいるようだ。
「そういえば、リノと毎日話しているなんてアイシスは仲が良いんだな」
おれは何気なく話を振ってみた。
「はい、久しく会っていなかったというのもありますが、それ以外にセアラ様が毎日アベル様のことを聞きたいとのことでしたので毎日リノ様にアベル様の一日を報告しています」
なんだって!?
そんな話、おれは一切聞いてないぞ……。
サラにおれの日常が筒抜けなのかよ。
「ちょっとアイシス……おれそんなことをしているなんて聞いていないんだけど?」
おれはちょっとだけ不機嫌そうに言ってみる。
「すみません。アベル様のことですから既に理解されているのだと思っておりました」
アイシスは申し訳なさそうに話す。
なんでそんな風に思われてるの?
やっぱり魔王ヴェルデバランというやつはそれほど頭のまわるやつだったのか?
「いやいや、リノと話していることだって知らなかったんだぞ。おれがそんなことわかってるわけないじゃんか」
そう笑いながら話すおれ。
しかし、ここでとんでもない事実を聞いてしまう。
「アベル様……。その申し上げにくいのですが、ジャングルでの精神訓練中に報告をしたのですが……」
ジャングルでの訓練中?
あぁ、それなら納得だな。
あのときのおれは本当にどうかしていたからな。
特に2週間目からはあまり記憶がないんだよね。
「そうだったんだ、それは悪かったよ。それでそのときはなんておれに言ったんだ?」
おれは疑問に思ったので何気なくアイシスに尋ねてみる。
「はい。『セアラ様が中等魔術学校の試験に合格をされたようですよ。何かお伝えすることは御座いますか?』と私はアベル様に申し上げました」
はぁぁぁぁあ!?
なんだって??
そんなこと今初めて知ったんだけど。
おれってば自分のことが精一杯で、サラの入学試験のことなんてすっかり忘れてたよ。
「そっ……そっか。それでさ、おれはそのときにどうしたんだっけ?」
冷や汗が出てくる。
おれはアイシスに恐るおそる聞いてみる。
「はい。『あっそ』っと一言だけ頂いたのでそのままリノ様にお伝えしました」
「ばっかやろぉぉぉぉぉぉぉおおお! 」
なんてことをしてくれたんだよ。
サラにそんな事をしたらおれはどうなってしまうんだ……。
背筋が凍り、汗がダラダラと流れてくる。
あぁ、おれ終わったな。
「何か問題が御座いましたでしょうか? もしかして、もう一言、二言付け足す必要があったのでしょうか?」
アイシスはどこに問題があるのだろうかみたいな顔をしている。
いや、こいつは元々顔に出ないやつだったな。
しかし、それにしてもどうしてくれるんだよ。
サラにぶっ殺される。
「いや、あのときはちょっと頭が回らなくってな。それで、サラはおれ何か言ってたとかリノから聞いてるか?」
心臓がバクバクと鳴る。
どうか、リノがまともなやつでおれの発言をサラには伝えていないと助かる。
もしくは、おれから聞いたってことでちゃんとした言葉で褒めてあげたりとか……。
「はい。『次に会ったときには覚悟していなさいよ。わたし、それまでに魔法をうんっと上達させておくからね』だそうです」
リノも察することができないやつだったのか!?
おれは頭を抱える。
ダメだ、間違いなくサラは怒っている。
「よし、アイシス。これから防御魔法の特訓だ! ビシバシとおれを鍛えてくれよな」
決めた。
これからは防御魔法に特化しよう。
「はい。アベル様がやる気で指導する私としても精が出ます」
いやいや、やる気というよりきみのせいでやるしかないんだよ。
「そうだ、アイシス。明日あたりから街へと出かけよう。そろそろお金を稼ぐことも考えないといけないからな」
訓練をしながらもおれとサラの学費などを稼がなくてはならない。
そのために街に行かないとな。
「かしこまりました。その件についてはカシアス様からも言われておりますので、特に私が引きとめることも御座いません」
よし!
これで決まりだ。
犯罪者狩りだろうが魔物狩りだろうが任せろっていうんだ。
「ちなみにアイシスは冒険者ギルドっていうのを知っているか?」
一応アイシスに聞いてみる。
この前カシアスに聞けなかったし、もしかしたら知っているのかもしれない。
「すみません。私は冒険者ギルドというものについての情報は存じ上げておりません」
結果としては何も知らないということか。
まぁ、ないならないで構わないさ。
「いや、おれにもあるのかはわからないんだけどな。冒険者ギルドっていうのは一種のロマンなんだ! もしもあったならお前にも教えてやろう」
「はい。楽しみにしております」
こうして昼の休憩は終わった。
午後は防御魔法についてアイシスにビシバシと指導をしてもらった。
よし、これでサラの魔法にも対抗できるはずだ!
たぶんだけど……。
こうして、今日の訓練は終わった。
よし、それじゃあ明日は街へと向かうぞ!