331話 騒嵐の跡に
「貴方には今日ここで死んでもらうつもりでしたが、それはやめておくことにします。記憶を取り戻した貴方には、是非ともやってもらいたいことがありますからね」
天使シャロンは上空で満足そうな笑みを浮かべ、見下ろしたおれに対してそう告げるのであった。
その言葉を耳にしたおれは強く反応してしまう。
彼女はこれまで人間界で様々な悪事を働いてきた。
そのせいで多くのおれの大切な人が傷つき、悲しみ、命を落としてきた。
シャロンさえいなければ、ユリウスが十傑の悪魔を人間界に差し向けることも、カインズたちが人間界で暴れることもなかったはずだ。
そうすれば、カイル父さんとハンナ母さんは死なずにすんだ。
バルバドさんやエトワールさん、ヴァルターさんたちだって悲しまずにすんだんだ……。
あいつさえいなければ、おれたちは幸せに暮らせていたはずなんだ。
それなのに、シャロンはまだおれを利用して、悪事を働こうとしているのか。
そんなことを思うと、おれの中に止め処なく負の感情が湧き上がってくるのであった。
天使シャロンが戦闘態勢を解除し、無防備となるのが俺の瞳に映る。
彼女を護る防御魔法も消え、隙すら見せている有り様だ。
やるのなら今が絶好のチャンス。
もう今しかこんな機会は訪れないことだろう——。
しかし、おれの身体はピクリとすら動くことはなかった……。
既に、シャロンに挑むだけの魔力も体力も残っていなかったのだ。
いや、もしも魔力も体力もフルに残っていたとして、今のおれに何ができるのだろうか。
さっきの咄嗟に発動した魔法だって、シャロンにダメージを与えられるものではない。
彼女を攻撃をなんとか防ぐことで精一杯だったじゃないか。
それに相手はシャロンの他にも魔王クラスの四大天使に十傑の悪魔たちが数多くいる。
もしも彼らと交戦するとなれば、とてもじゃないが戦いにすらならないだろう。
動かない身体に、圧倒的なまでの敵の戦力。
先ほどまでは勢いに任せて吠えていたおれだが、段々と絶望的な現実を受けて入れはじめていた。
だが、そんな中でおれはカシアスのことを思い出す。
どんなに苦しい時も、おれと共に困難を乗り越えてくれた相棒のことを——。
アイツがいてくれたら、こんな状況でもおれはきっと諦めずに戦うのだろう。
どうにかできるはずだ、二人でいればどんな劣勢だって跳ねのけられるだと信じるだろう。
やっぱ、最後のさいごにアイツから力をもらっておいて、諦めるなんてことできっこないよな……。
そんな風におれがポッキリと折れかけた心を奮い立たせ、シャロンに負けるわけにはいかないと思い立ったときのことであった。
シャロンの側近である少女が彼女に訴えかけるのだった。
「シャロン様! どうして今、こいつらを殺さないのですか!? これまでこいつらはシャロン様の配下たちを何人も——」
強い憎悪を感じさせる表情で必死にシャロンへと呼びかける茶髪の少女。
四大天使の一人である彼女は、主の決定に納得がいかないようであり、不満を露わにしていた。
おれたちを殺すのならば、今が絶好の機会であるのは間違いないだろう。
それはこの場にいる者すべてが理解していることだ。
だからこそ、四大天使の一人である彼女はシャロンの決定に疑問を示すのであった。
しかし、そんな少女の訴えをあの男が静かに一喝して黙らせる。
「黙っていろ、エクステリア。シャロン様にはシャロン様の考えがあるのだ。我々はシャロン様の決断に従うのみ。もしも、それが出来ぬと申すのなら……」
これまで薄笑いを浮かべ、精霊王であるゼシウスさんを煽っていた大天使ゼノンであったが、態度を急変させる。
彼は強い魔力の圧を発して、エクステリアと呼ばれる少女に威嚇をし、黙らせるのであった。
これには威嚇を受けたエクステリアだけでなく、周囲にいた天使と上位悪魔たちも思わず震えていた。
「失礼しました……。シャロン様、そしてゼノン様……」
エクステリアと呼ばれた少女は怯えながら頭を下げるのであった。
そして、シャロンはこの謝罪を何事もなかったかのように受け入れる。
「構いませんよ、エクステリア。私には貴女の気持ちはわかります。痛いほどにね……」
「しかし、今は我慢してください。私の目的を果たすにはこの方が都合が良いのです」
シャロンはエクステリアにそう告げて、怯える彼女をなだめるのであった。
そして、そんな会話を繰り広げる天使たちからはおれたちの存在など毛ほどにも脅威に感じていないのが伝わってくる。
まるで、足元にいるアリくらいに思われているのだろうか。
目障りなことをしてくれば、その際に振り払えばよいのだと……。
そして、体がボロボロとなったおれが動けないでいると、側にいた精霊王のゼシウスさんがシャロンへと問いかけるのであった。
「シャロン様! なぜ、こんなことを……。アナタ様はこんなことのために、我々精霊を見捨てたのですか……?」
かつて世界の平和を願っていた主が、天使と悪魔を手駒にして、世界を滅ぼそうとしている……。
忠誠を誓ったはずの主の変貌に、現実を受け入れられず、悲しげな声でゼシウスさんを訴えるのであった。
しかし、シャロンがその質問に答えることはなかった。
まるで興味のないものを見るような瞳でゼシウスさんを見つめ、静かにそっとつぶやくのだった。
「ゼシウス、貴方には心底失望しましたよ」
そう言い放つのであった。
「そんな……」
その言葉を受けて、膝から崩れ落ちるゼシウスさん。
ゼシウスさんはかつての精霊王であったシャロンの意志を継いで、精霊たちを護るためにこれまで頑張ってきた。
それなのに、こんな仕打ちは辛すぎる。
おれはそんな彼に強く同情するのであった——。
そして、いつまでもこの状況が続くわけではない。
シャロンたちが再び動き出す。
この場に集結した何百という天使と上位悪魔たちが転移の光に包まれ出したのである。
「お前たちに未来などない——。最後の日まで余生を楽しむがいい」
大天使ゼノンは薄笑いを浮かべてそう語る。
その言葉に四大天使や十傑の悪魔も続くのだった。
「恨むのなら、無力な自分を恨め……」
「君たちの無様な死に様、ようやくこの目で見れると思ったのにな〜。また今度にお預けだね!」
「ユリウスの仇、この手で取らせてもらうぞ。それまで絶対に死ぬなよ」
「さらばだ……」
そして、徐々に薄れていく天使シャロンの姿。
最後に彼女はおれたちにこう告げるのであった——。
「次に私と会うとき、それがこの世界の終焉の日となることでしょう。せいぜい、弱者なりに足掻いて私を楽しませてくださいね」
そう言い残すと、シャロンを含めて彼女の配下たちは転移魔法によって姿を消した。
おそらくだが、どこかでまた何か悪事を働こうとしているのかもしれない。
あぁ……。
やっと終わったのか……。
いや、これから本当の終わりを迎えるのだろうか……。
荒れ果てた大地には、絶望と共に満身創痍のおれたちだけが残された。




