32話 生まれ変われアベル
おれの名前はアベル=ローレン。
まだ10歳になったばかりの人間の子どもだ。
そんなおれは現在、ジャングルの中での自給自足の生活を強いられている。
正直、日本に帰りたい。
地球からの転生者であるおれは何度そう思ったことか……。
ジメジメとした気候に、でっかくて気持ち悪い虫たち……。
さらには、食いものが存在しないようなこの環境で日々おれは過ごしていた。
いや、アイシス曰く虫や草の中にもおれが食べられる物はあるらしいが、流石にそれだけはおれの心が受け付けない。
昨日はヒョウのような魔物を倒したが、おれは肉を捌けないし、アイシスは魔物の肉はあまりおいしくはないと言う。
結局、倒した魔物を放置してまた道を進むこととなった。
おれはこの数日間、水辺にいた魚を数匹しか食べていない。
それもただ火属性魔法で焼いただけの食事だ。
塩もなければ醤油やポン酢もない、ただの焼き魚。
栄養を補給していると思わなければ食べることすらためらうような苦味にパサパサとした食感。
唾液を含むと歯にはりついてくる身をしているマズくて吐いてしまいそうな魚だった。
本当におれは切実に日本に帰りたいと思っていた——。
◇◇◇
「アイシス……なんでおれは……こんな所にいるん……だっけ?」
おれはヘトヘトになりながらアイシスに尋ねる。
このアイシスという悪魔はおれとは対照的で食事を必要とせず、常に結界に薄い結界に守られていることもあり、このジャングルでも汚れ一つない清潔な格好をしていた。
直接的に伝えることはなかったが、正直イライラの矛先はこのアイシスに言葉としてぶつけていた気がする。
「カシアス様からアベル様の精神力も鍛えて欲しいとのことでしたのでこの場所を用意させて頂きました」
「このような場での自給自足はとても精神力が鍛えられると聞いたことがありますゆえ。何かご不満な点がございますのでしょうか?」
おいおい、誰がそんなことを言っていたんだよ……。
不満しかないぞ。
「アイシス、もう無理だ……。おれ頑張ったからさ。精神力は身についたよ。もう終わりにして魔法について教えてくれ……」
おれは既に限界であることを伝える。
食事が取れていないせいで空腹なこと。
高い湿度と足元の悪さから服も靴の中もベチャベチャなこと。
そして、おれの周りを飛び回るでっかい羽虫たち。
もうストレスでどうにかなってしまいそうだ!!
すると、おれのこの苦悩をようやくわかってくれたのか、アイシスは少し考えた素振りを見せるとおれに向かって語りだす。
「かしこまりました。もしもアベル様がサバイバルを諦めた場合には、そこからさらに10日延長して欲しいとカシアス様から承っております。ですので、10日後から魔法についての修行を始めましょう」
こいつ……何を言っているんだ……。
あと10日もこの環境におれを置いておくだって?
ふざけるんじゃねぇぞ!
だが、おれは怒りをこらえてクールにアイシスに語りかける。
「アイシス。それには従えないな。おれはこのジャングルから出てゆく。もうこんなところには居られない!」
おれはアイシスに一人でこの地から立ち去ることを高らかに宣言する。
すると、アイシスはすかさずおれの言葉に疑問を投げかけてきた。
「それは構いませんが、アベル様はこの土地について理解してらっしゃるのでございますか……?」
「……」
この言葉に、おれは何も言い返すことができずに黙り込んでしまう。
おれはアイシスの転移魔法でこのジャングルに連れて来られたのだ。
ちなみに、このジャングルに来て4日目の今日まで、歩いても歩いてもジャングルだ。
景色も生態系も変わらない。
そう、ここは未知の世界が永遠と広がっているのだ。
「本当にあと10日なのか?」
「えぇ、本当です」
「……」
おれはアイシスに逆らえない。
純粋に悪魔である彼女の方が強いというのもあるし、彼女はおれとサラの命の恩人でもあるのだ。
しかし、彼女のカシアスへの愛というか忠誠というのはこの数日間でよくわかった。
おれはカシアスやアイシスに魔王ヴェルデバランの転生者だと思われている。
どうやら、魔界の魔王らしいそいつにカシアスとアイシスはかつて仕えていたらしい。
しかし、数日しかアイシスと過ごしていないおれでもわかる。
アイシスは魔王に忠誠を誓ったのではなくカシアスに忠誠を誓ったのだろう。
きっとそうだ!
そうでなければ魔王の転生者であるはずのおれをこうイジメるはずがない!
まぁ、冗談はさておき……おれはアイシスに従う以上捨てなければならないものがある。
それは人間としての尊厳だ。
いや、もしかしたら日本で暮らしていたときは考えられなかったがこちらの世界では普通なのかもしれない。
そうだよ、転生してきた最初の村だってきっと裕福な生活だったんだ。
郷に入ればなんとやらだ……。
そして、おれは人としてのプライドを完全に捨てるのであった——。
◇◇◇
それからのことはあまり思い出したくはない。
とにかくおれはアイシスの言う通りに10日間、自給自足の生活をした。
おれも人間だ。
何かを食べて命を繋がなければならないのだ。
そして、何を食べて生きぬいたかは想像に任せることにする。
どこのバカが考えた理論だか知らないが確かに効果はあったと思う。
おれは精神的に強くなった。
恵まれた環境を全て捨て、そして挑んだ自然での生活。
自分の中の甘えや愉悦を捨てた気でいたがどうやらそれは勘違いだったらしい。
本能的に生きる欲求と向き合い、生きる力を手に入れたと思う。
おれの精神力はかつてないほど高まっていた。
「お疲れさまですアベル様。それでは、別の場所に転移しましょう」
「あぁ、頼むよ」
そして、ようやくおれはアイシスの転移魔法で2週間ほど過ごしたジャングルを後にするのであった……。
◇◇◇
アイシスに転移魔法で連れてこられたのは草木ひとつ生えていない荒れた岩山だった。
そろそろ日が落ちる頃だ。
辺りは暗くなりはじめている。
おれたちがいる岩山から地表を見ると森林が一帯に広がっていた。
しかし、先程までいたジャングルとはまた別のようだ。
あのような種類の木々はこの2週間で見ていない。
「アベル様、本日からしばらくはこの地で修行を致しましょう。とりあえず二つほど洞窟でも掘ってもらいましょうか」
ん……?
この悪魔は一体何を言っているんだ。
きっと、尊厳を捨てる前のあまちゃんなおれだったらそう思っていただろう。
しかし、今のおれは違う。
「わかった。暗くなる前に取りかかろうか」
おれはそうアイシスに告げて岩山で洞窟を作れそうなちょうどいい場所を探す。
どうせ寝床を確保するんだろ?
だったら洞窟でなくっても野宿すればいい!
そんなことを考えた時点で人間として既に限界は見えている。
楽な道を選びたくなるがそこがダメなのだ。
アイシスは見た目こそ若いがきっと数千年は生きている悪魔なのだ。
そんな彼女が言うのだからきっとこれもおれが強くなるために必要なプロセスであるのだ。
そしておれは洞窟を掘るのに良さそうな立地を見つけて掘り出す。
もちろん、素手で掘るわけではない。
土属性魔法と水属性魔法を駆使して掘る。
◇◇◇
よし!
歪な空間になってしまったが暮らす分にも問題はないだろう
洞窟を作り終えたおれはアイシスの所へと報告しに行く。
すると、アイシスは右手に二羽の鳥を持って待っていた。
おれにはわかる、あれは食べられる食用の鳥だ!
名前は確かラゴン鳥。
村に暮らしていた頃に何度も食べていた。
おれはあれを『うまいカモ』と認識している。
地球時代のカモ肉に近い味のするおれの大好物なのだ。
「アイシス、おれの方は終わったぞ。そっ、そろそろ夕食の時間かな? あはは、でもおれって転移してから洞窟を掘ってたからさ、食糧の確保をしていないんだよな。残念だけど今日の夕食は抜きだよな、あははは……」
おれはアイシスの持っているあの鳥を食べたいと思いながらも、アイシスにくださいとは言えないでいた。
「お疲れ様ですアベル様。そんなこともあろうかと、私の方で食糧の方は狩って参りました。よろしければこの鳥を召し上がってください」
アイシスは右手に持っている鳥をおれの方に差し出してくる。
「えっ!? ほんとにいいの? じゃあ遠慮なくいただくよ」
おれは欲望のままに脊髄反射でアイシスの持つ鳥を受け取っていた。
よっしゃぁぁあ!!
心の中でガッツポーズをする。
ここ2週間ほど人間の食べ物とは思えない物ばかり食べてきたのだ。
目の前に大好物をぶら下げられたら誰でもおれのようになってしまうだろう。
「では、私が調理をしておくのでアベル様は身体を洗ってきてはどうですか?」
「えっ? アイシスって料理できるの!?」
おれは失礼とは分かりながらも驚いて口に出してしまった。
食事をとらない悪魔が料理をするなんて思わなかったのだ。
「はい……。っと言いましても今回はこの鳥をさばいて焼くだけですが」
割と単純な調理なんだな。
しかし、よくよく考えてみればここには調理器具などありもしない。
逆にアイシスの料理のポテンシャルは未知数のままだ。
「それでも十分だよ! じゃあ、料理はアイシスにお願いしておれは身体を洗ってくるよ」
そう言っておれは移動して水魔法で身体を洗う。
そして、一通り洗い終わった後は火属性魔法で炎を出して身体を暖める。
あぁ、とても気持ちがいい。
昨日までは高温高湿のジャングルのせいで身体を洗ってもすぐに汗でベトベトになってしまい気持ちが悪かった。
今の環境はそれほど悪くない。
少し砂っぽい気もするがすぐに慣れるだろう。
おれはさっぱりとした後にアイシスの元へと戻る。
すると、アイシスは焚き火をしておれを待っていた。
火の近くにはあの鳥がちょうどいい骨つき肉の状態になって焼かれていた。
食欲をそそられる香りがこちらまで漂ってくる。
「お帰りなさいませアベル様。夕食の準備は出来ております」
アイシスはおれに気づき頭を下げる。
「ありがとう。それじゃあ頂くよ」
おれは焼かれている鳥肉を口にほおばる。
ううううんっ!
おいっっっっしいぃぃぃいい!!
これだよ!
これが人間の食べ物だよ!!
舌触りも悪くなく、ちょうど良いほどの脂の乗った鳥肉。
それにどこから用意したのかは知らぬが塩や香辛料を使っていて食欲を増進させる。
「アイシス! これ、さいっこうに旨いよ!」
あの苦しい2週間はなんだったのだろう。
捨てたはずの人間の諸々がこの瞬間に生き返った気がする。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
アイシスは素っ気なく話す。
「なぁ、やっぱりおれ食事はおいしいものを食べたい。最近はその……あれだっただろ? だからよかったら、これからもアイシスが食事を作って……くれない?」
おれはダメ元でアイシスにお願いをしてみる。
「その程度でしたら構いませんよ。それにあの2週間は一度底辺の生活を味わい、己が持っているプライドを一度捨てて、絶望を味わいながら過ごすのが目的でしたので」
アイシスはさらっとえげつないことを言い出す。
「え? あれってそういうことだったの!? なんでそんなことをしたのさ?」
おれはアイシスの決定は正しいもので自分の意見は言うまいとしていたが思わず言ってしまった。
「あれはどんな状況下においても生きられることを経験してもらいたかったからです。今度、魔族がこの人間界にやってきたときに、我々がどんな状況下に置かれるかはわかりません」
「基本的な生活に拒絶しているようでは敵と戦えませんので、あのような生活を体験してもらいました」
そうだった……。
カシアスたちの話では人間界に魔族が襲撃してくる可能性はゼロではないとのことだった。
だからこそおれはアイシスに鍛えてもらうのだ。
それにしてもやはりアイシスに任せておけば問題はなさそうだな。
本当にこいつら悪魔は人間の心を掴むのが上手いものだと感心するばかりだ。
「ちなみに、洞窟は寝床にするために掘ってもらったわけじゃありません。アベル様には野宿をしてもらいます」
えっ!?
マジかよ……。
結局野宿になるのか。
まあ、アイシスによるおれの訓練はまだ始まったばかりだ。
これからも頑張っていこうか。
おれはの中で様々な葛藤はありつつも、期待を持ってアイシスとの修行に臨むのであった。
今日から第二章がスタートです。
アベルと行動をともにしているのはカシアスではなくなぜかアイシス。
第二章ではアベルの旅や成長を楽しんでもらいたいです!!
また第一章完結にともない今後の予定や告知などを活動報告として更新したのでよかったら見てみてください。
これからも魔王伝をよろしくお願いします!!




