311話 ユリウスの過去(7)
シャロンと名乗る精霊体から力を与えられた翌日、おれはカシアスと二人きりで魔界の大地を歩いていた——。
今でもおれは昨日の出会いは夢ではなかったのかと思ってしまう。
突如として姿を見せた、ローブ姿の精霊体。
謎に包まれたそいつは信じられないことに、おれに魔力を分け与えてきたのだった。
他者に魔力を授けるという能力は衝撃的であり、かなり惹かれるものであった。
そんな能力を持つ者がこの世界に存在しているのかと……。
そして、シャロンと名乗ったローブ姿の精霊体はおれに取引を持ちかけてきたのだった。
協力してくれるのならば、さらに魔力を分け与えてくれると——。
◇◇◇
「ユリウス、何かいいことでもあったの……?」
名前を呼ばれたことにより、おれは現実世界へと引き戻される。
どうやら無意識に笑みが溢れてしまっていたようだ。
最近、グスタフやユリアンとも揉めて暗い顔ばかりしていたからな。
カシアスも気にかけてくれていたのかもしれない。
隣を歩くおれにそう尋ねてきたのだ。
「あぁ……。ちょっとな」
おれは嬉しそうにそう答える。
「なんだか、いつものユリウスとどこか違うみたいだ」
ふと、そんなことを言い出すカシアス。
もしかしたら、カシアスはおれの保有魔力量が増えたことに気づいたのだろうか?
こいつは勘も魔力感知も良いからな……。
バレるのも時間の問題かもしれない。
隣を歩くカシアスを見て、おれはそんなことを考えていた。
だが、もしもバレたとしたらどうなってしまうのだ……?
おれの予想だが、きっとカシアスも力が欲しいと望むだろう。
昔からおれのやること成すこと何でも真似してきた男だ。
だがその時、おれはどの立場でモノを言えば良いのだろうか……。
ダメだ!
また悪いクセが出ている。
どうして、おれはこんなダサい考えを持ってしまっているんだ。
カシアスが強くなりたいというのなら、それを応援するのがカッコいい兄貴としてあるべき態度であろう。
カシアスが強くなるというのなら、おれもさらに強くなればいいだけのこと。
それだけのことではないか。
もしも、おれが更なる力を得たあかつきには正直に話そう。
だから、今はまだ黙っていることにしておこう……。
なぜだかわからないが、おれはそうした方がいい気がしたんだ。
「今日はいつもより遠くまで行ってみよう!」
カシアスは明るい笑顔でおれにそう提案してくる。
おれは特に断る理由もないため、それに頷くのであった。
「それは構わないけど、グスタフたちとあまり離れ過ぎないようにしような」
今日はいつものように、放浪している悪魔を保護するための探索を行っていた。
おれとカシアス、グスタフとユリアンのペアに分かれて行動していたのだ。
この探索はとても大切な活動であるが、悪魔を保護できることなどほとんどない。
なぜならば、魔界という広大な世界からすれば悪魔の生存数など本当にちっぽけなものだからだ。
だからこそ、たいていの場合は魔物たちと戦闘になって終わりなのだ。
しかし、この日は違った——。
「んっ……?」
「どうかしたのか?」
突然立ち止まって集中しはじめるカシアスに、おれは何かあったのか問いかける。
どうやらカシアスは魔力感知に意識を傾けているようだ。
そして、何かを察知したカシアスは慌てた様子でおれに告げてくる。
「魔物たちの群れがいるみたいだ! それに微かにだけど悪魔の魔力を感じる……!」
カシアスはそれだけを告げると、おれを置き去りにして駆け出すのであった。
「おいっ! 待ってくれ」
おれは姿を消したカシアスを追いかける。
転移魔法を使ったようだが、どの方角へ向かったかは特定できていた。
相変わらず、おれは魔力感知が鈍かった。
カシアスが感知したという魔物の気配も、精霊体の気配も感じ取ることができなかったのだ。
ただ、カシアスの魔力だけは遠く離れていても感じることができる。
おれもまた、急いでカシアスの向かった先へと駆け出すのであった——。
◇◇◇
数回の転移を繰り返すと、カシアスのもとへと辿り着く。
そこには視界を遮るものなど何もないような荒れ果てた荒野が広がっていた。
そして、カシアスはというと既に魔物たちと戦っている最中であった——。
「コイツら、普通の魔物じゃない!?」
3匹の魔物に囲まれ、カシアスは苦戦を強いられているようだ。
なんだあれは……?
見たことのない魔物たちばかりじゃないか。
おれはカシアスに襲いかかる魔物たちを見て、震えてしまう。
これまでおれたちが倒してきた魔物とは明らかにレベルが違う。
魔物たちの風格だけでそれが伝わって来た……。
身体中を鋭い槍のような棘で覆われた二足歩行の獣の魔物。
燃え盛る火炎に身を包まれたドラゴンの魔物。
鋼のような硬い筋肉に覆われた四足歩行の獣の魔物。
それぞれが10メートルは超える巨大な身体をもってして、カシアスめがけて攻撃を繰り広げる。
カシアスはそれを受けとめるだけで精一杯のようであった。
そして、おれは不審な点に気づく。
おかしい……。
いくらあの魔物たちが相手だとしても、カシアスはここまで無力であり、弱くはないはずだ。
何か、カシアスが本調子を出せない要因でもあるのか……?
すると、おれはカシアスの背後に一人の少女の悪魔がいることに気づく。
どうやら、カシアスは彼女を守りながら戦っているようだ。
そうか……。
あの子がいるから、カシアスはこの魔物たちから逃げられないし、一瞬の隙すら見せられずに防御に徹していたのか……。
そして、おれは戦場へと駆け出すのであった——。
「加勢するぜ!!」
「ユリウス……!!」
おれの登場にカシアスの表情から余裕が生まれる。
こうして、おれたちは二人で魔物と戦うことにするのであった。
「雷撃!!」
戦闘がはじまると、すかさずおれは攻撃魔法を放つ。
カシアスがこの少女を守るのならば、おれが攻撃するしかないからだ。
更なる力を得たおれの電撃はいつにも増して眩い閃光を放って宙を切り裂く。
そして、一瞬にして3匹の巨大な魔物たちを覆い尽くし、奴らを焼き焦がすのであった。
だが——。
「そんな……馬鹿な……」
おれは目の前の光景に驚愕する。
なんと、おれの雷撃が直撃したはずの3匹の魔物たちの傷がみるみるうちに修復していき、数秒後には何もなかったのように再びおれたちに襲いかかってきたのだ。
「クソッ!!」
ここからおれとカシアスは防戦一方となる。
棘を持った獣は毒の瘴気を撒き散らし、炎を纏うドラゴンは燃えさかるブレスを吐き、鋼に覆われた獣は鋼鉄の尻尾を振り回してくる。
おれとカシアスは防御に徹することで、何とか一命だけは取り留める。
しかし、魔物たちの猛攻にお互いダメージを負ってしまうのであった。
このままでは、直に魔物たちにやられてしまうだろう。
こうなったら、この少女を連れて逃げる道はない!
だが、おれは黒髪の少女を見て絶望する。
なんと、この少女の両足は魔法で空間ごと拘束されていたのだ。
これは封印魔法の一瞬。
これでは、この場から動くことはできないのだ。
先に、この少女にかけられている封印魔法を解く必要があるのだ。
ならば、ここはこの少女を見捨てるしか……。
おれが絶望しかけた時であった。
「なぁ、ユリウス……。頼みがあるんだ」
カシアスがまだ諦めていない表情でそう声をかけてきたのだ。
「全力で防御魔法を発動してくれ! この子を頼む!!」
カシアスは何を言っているだ……?
いや、だが今はそんなことを考えている場合ではない。
こいつの目を見ればわかる。
これはカシアスが何かやってくれる時の瞳だ。
今はカシアスを信頼するしかない……!
「あぁ……任せろ!!」
おれはカシアスに言われた通りに、防御魔法を展開する。
その様子を確認したカシアスは己の全ての魔力を使って大魔法を唱えるのであった——。
カシアスは両手を合わせ、魔力を増幅させていく。
そして、その大魔法を解き放つ——。
「氷獄海域!!!!」
カシアスは合わせていた手を広げて、自身の前へと突き出す。
すると、彼の足下の大地は凍てつき、暗く濁った氷結が魔物たちへ向かって——。
いや、360度全方角へと向かって伸びてゆく。
そして、一瞬のうちに視界は氷海に覆われ、魔物たちもその深く暗い氷の海へと呑まれて絶命してしまうのであった——。
おれの目の前には氷で覆われた世界と、あれほど苦戦していた魔物たちの息絶えた姿がそこにはあるのだった。
「大丈夫だったかい?」
「うん……」
おれの近くにやって来たカシアスは意識を朦朧とさせながらも、少女を気づかう素振りを見せる。
おれはカシアスが本気を出した時の実力に驚きつつも、この危機を乗り越えた弟を素直を祝福しようと思った。
だからこそ、おれは強がるわけでもなく彼に声をかけたのだった。
「この子を守れてよかったな。カシアス」
「そうだね。あれっ……」
何かにつまずいたように、ふらっと体勢を崩すカシアス。
だが、彼は足を強く出し、その場に踏みとどまった。
「ん……? どうかしたのか」
疲労が出てしまったのだろうか?
おれはカシアスを心配して側に寄り添う。
だが、次の瞬間にカシアスの容態は急変する。
「グッ……」
突然、彼は胸を押さえて苦しみ出すのであった。
「おい……。カシアス!?」
おれは彼の名を呼ぶことしかできない。
事態は最悪なことに、どんどんとカシアスの容態は悪化していくのであった。
そして、段々とカシアスは苦しそうな声を漏らして、もがき苦しみ出す——。
「ぐわぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
カシアスの叫び声と共に、彼の体内から濁った魔力が放出される。
そして、側にいたおれはカシアスの魔力に吹き飛ばされてしまうのであった。
なんだよ、これ……。
いったい、何が起きているんだよ……。
おれは為す術もなく、ただその場で立ち尽くすことしかできないのであった——。




