305話 ユリウスの過去(1)
4月となり忙しくなりましたが、執筆時間が取れる範囲でゆっくりと更新していきます。
今回からは《天雷の悪魔》ユリウスの過去と想いのエピソード回です。
彼の過去編は個人的にとても好きなので楽しんでもらえると作者としても嬉しいです。
《ユリウスの回想》
俺たち悪魔を含めた精霊体は、その魂が魔力の塊に受肉した存在。
つまり、生命力となる魔力があれば誕生することができ、それが尽きれば死に絶える。
なんとも摩訶不思議な存在だそうだ。
これが魔族であれば魔力が尽きようと死にはしない。
魔族の死とは、あくまでもその肉体が活動限界を迎えることをいう。
魔族も魔力がなくなれば衰弱することこそあれど、それが直接『死』という概念繋がるわけではないのだ。
これが精霊体と魔族の大きな違いである。
そんな不思議な存在である精霊体だが、魂と魔力さえ存在すればいついかなるときも受肉という現象が起きるわけではないそうだ。
そこには何らかの条件、もしくは奇跡があるといわれている。
そして、魔力が満ちあふれる魔界ではその確率は下界と比べると格段に高い。
そんな幸運もあってなのか、俺はこの魔界という世界に誕生したのであった。
◇◇◇
今からどれほど時間を遡ることになるだろう……。
この魂に、突如として魔力が流れ込むのを感じた。
それまで、この魂に自我などは存在しなかった。
ただこの世界を漂う存在の一つであったことは覚えている。
そんな魂に少しずつ魔力が満たされてゆくのを感じた。
いや、魂の方が魔力に注がれているのだろうか。
細かいことは俺にもわからない。
だが、このとき初めて俺は自分という存在を認識した。
まるで、大きな器に中身が少しずつ入れられてゆくような感覚がそこにはあったのだ。
そして、悪魔ユリウスという器に魔力が満たされたとき、俺はこの世界に現界したのであった——。
俺がこの世界に誕生してからどれほどの月日が流れたのだろう。
最初の数百年こそ数えてはいたが、いつからかそれが煩わしくなって数えるのを止めてしまった。
体感でだいたい四、五千年ほどといったところだろうか……。
寿命というのは種族差はあれど、概ねその個体が持っている魔力量に依存するものらしい。
つまり、魔王の中でも一番多く魔力を持っている俺は、単純に考えれば魔王の中で一番長く生きるということだ。
もちろん、これはアンデットの類いを除いての話だ。
あいつらは生者であって生者ではないからだ。
だが、長く生きるというのは良いことばかりではない。
特に、俺のように消したい過去を背負って生きているやつにとっては尚更だ……。
思い返せば、後悔と苦悩しかない人生だった。
そして、これは俺が滅びたとしても変わらないだろう。
なぜならば、この身が朽ちたとしてもいずれユリウスという悪魔は転生する。
この魂に刻まれた呪縛を抱えたまま、イチからまた同じことを繰り返すのだ。
もしも過去に戻ってやり直せるのならば、この呪いに侵される前に戻りたい。
こんな人生を繰り返すくらいなら、何も知らなかった頃に戻って魔物たちの餌になってしまいたかったとさえ思う。
俺はこの世界の理を恨んでいる——。
俺はこの世界の人々を憎んでいる——。
そして、俺は己の人生を悔やんでいる——。
本当に、ユリウスなどという悪魔は初めから存在しなければよかったのだと嘆きながら……。
◇◇◇
《ユリウスの過去編》
生まれたばかりの頃のおれは、この世界のことを本当に何もわかっていなかった。
理解していることといえば、自分はかつてこの地で息絶えた何者かであるということ。
そして名前がユリウスであること。
たったそれだけだった……。
それだけの情報を与えられ、広い大地の上にポツリと産み落とされた悪魔がおれだった。
幸いにも、この世界は魔力であふれているらしく、悪魔であるおれにとって生きていく最低限の環境は揃っていた。
悪魔であるがゆえ、食事も睡眠もいらない。
魔力さえあれば生きていける。
ここはおれにとって快適な世界。
最初こそ、そう楽観視していた。
だが、現実はそうではないのであった——。
この世界には精霊体でも魔族でもない第三の勢力、『魔物』という存在がいた。
時にそれは膨大な魔力を持った野生の獣であり、虫であり、魚であり、龍であった。
もしかしたら、おれが見かけたこれらの姿以外の魔物もこの魔界には存在しているのかもしれない。
ただ、どんな姿をしていても魔物というのはタチが悪く、等しくおれたち悪魔の敵であった。
魔族と魔物との違いは理性があるかないかである。
とにかく、やつら魔物には理性などは存在せず、本能の赴くままに行動している。
おれたちが使う言語を話すこともできなければ、意思疎通をしようとすらしない。
魔力の塊である精霊体は、魔物からすれば絶品の食事であるらしく、やつらはおれを見つけるなり本能的に襲ってきた。
魔物という概念を知らなかったおれだが、それでもやつらから放たれる殺意は本能的に察知することができた。
そして、おれの運命の分かれ道であったその日も、俺は魔物に襲われていたのであった……。
◇◇◇
息を切らせて砂漠を駆け抜ける。
その日、おれがいたのは魔界の中でも地平線まで一望することのできる広大な砂漠エリアであった。
前に隠れ家として暮らしていた大森林は魔物に見つかり、殺されそうになったために逃げ出してきたのだ。
そしてたどり着いた地がこの視界一面が砂に覆われた世界。
そんな新世界を、足を取られぬようにと意識しながらおれは全力で駆け抜けていたのであった。
初めてみる自然に心を打たれたのも束の間、この砂漠ではここに生息していた新たな魔物たちの餌食とされそうになる日々が始まったのだった。
砂に身を隠して陸にいる生物を狙う、鋭い牙を持ったサメの姿を魔物たち。
そいつらに追われる日々を過ごしているのであった。
何度も何度も柔らかい砂に、足を取られて殺されそうになった。
それでもおれは生き延びたいと必死に這いつくばって、砂から抜け出して、この砂の大地を駆け抜けた。
そして、何時間砂漠を駆けまわり魔物たちから逃げていただろう……。
サメの魔物たちはおれを追うのを一旦諦めて、砂の中へと帰ってゆくのであった。
それを確認するとおれは今日も生き抜いたのだと安心する。
だが、これは一時的な休息に他ならない。
魔物たちは悪魔であるおれと違って睡眠を必要とする。
つまり、魔物たちが睡眠を取り回復すれば再び奴らはおれを襲いに来るのだ。
しかし、おれはここから逃げるようなことはしない。
どこへ逃げようとも、この生活が変わることはないと知っているからだ……。
この世界には魔物たちが蔓延っている。
奴らは捕食者であり、おれは被捕食者だ。
それこそ、この世界そのものから逃げ出すようなことをしない限り、この生活が終わりを告げるようなことはないのだ。
おれは生まれてからずっと魔物たちから逃げ隠れる日々を送ってきた。
何度も何度も、死ぬんじゃないかと思った。
本当に怖かった……。
本当に苦しかった……。
戦う術を持たない弱者であるおれは、一方的に被捕食者として生を受け、この魔界に存在している。
どうやって生き延びるか、どうやって死から逃れられるかを考える日々。
生きる喜びなど一度足りとも感じたことはない。
そういった生活をして、何十年が経ったのだろうか。
この世界で、おれは孤独だった——。
魔物に隠れながら、生まれた意味を考える日々をどれほど過ごしただろう。
その度に、泣かずにはいられなかった。
だからこそ、この人生に光が差し込んだあの日の出来事を、おれは今でもよく覚えている。
それはおれが広大な砂漠の大地の地下に眠る、巨大な大都市に身を潜めていたときのことだ——。
魔物たちから逃げていたとき、おれは偶然にも砂地獄に落ちてしまい、そこで荒れ果てた地下大都市に迷い込んでしまう。
そこには人影などはなく、かつて栄えていたであろう古代文明の跡が残る地下都市であった。
不思議と魔物の気配がないこともあり、おれはこの巨大な都市にポツリと一人で暮らす日々を送っていた。
そうして、長い年月が過ごしていたある日、彼らはやって来たのだ——。
突如として、おれの肌にゾクゾクとした何かが走った。
しかし、それは魔物たちから発せられる殺意とはまた別の何かであった。
そして、しばらくするとこの地下都市に声が響いてくる。
「まさか、あの砂漠の地下にこんな大都市が眠っていたなんてな……」
「ほらな? 言ったろ。もしかしたら、この下に何かあるんじゃないかって」
二人の男の会話が聞こえて来る。
不思議と彼らの話す言語は理解することができた。
そして、一人の男が大声で叫ぶ。
「おぉーい! 聞こえるかー?」
これは……おれに言っているのだろうか?
警戒心を持っていたため、おれは声を出さぬようにして物陰に隠れる。
しかし、彼らはまるでおれの居場所がわかっているかのようにこちらへと接近してくるのであった。
「グスタフ、黙っていてくれないか。魔力感知に集中できない」
「ありゃ、そりゃ悪かったな」
そんな会話が聞こえたかと思うと、数分後——。
おれの目の前に、少年と大人が現れる。
「どうやらビンゴのようだな……。だが、生まれたばかりというわけでもなさそうだな」
銀髪で縮毛の少年はおれを見つけるなり、そうつぶやく。
そして、もう一人のあご髭の目立つ大人は温かい笑顔でおれに語りかける。
「今まで苦しかったろ。一人でよく頑張ったな」
「これからは俺たちと過ごさないか? もう一人で魔物から逃げ隠れする必要はないんだぞ」
不思議と、彼のその言葉を聞くとおれの瞳から涙がこぼれ出すのであった。
彼らは一人でこの広大な世界を彷徨っていたおれを受け入れてくれたのだ。
その日、おれはこの悪魔たちに保護された。
何もない荒野の上で彷徨った毎日——。
命がけで魔物たちから逃げまわる毎日——。
そんな日々がようやく終わりを迎える。
しかし、それはおれにとってもはやどうでもいい事だと思えたのだった。
仲間がいた。
この世界はおれひとりじゃなかったんだ。
もう孤独じゃない——。
その事実が、おれは何よりもうれしかったんだ。




