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228話 ヴァルターの過去(1)

ここで一度、ヴァルターの過去を2話分挟みます。

魔族との接触はこの2話の後に続きます。

  ヴァルター=シェルツ。

  彼はアルガキア大陸北部にある小さな都市の平民として生まれた。


  父親には一度も会ったことがない。

  そんな彼は綿織物の職人である母親と二人で平凡な生活を送り暮らしていた。


  まだ幼かったヴァルターであったが、愛する母の仕事や家事を手伝う心優しい少年であった。

  母としては平民とはいえ生活に困るような貧しい家計ではないのだし、ヴァルターには子どもらしく近所の子どもたちと遊んで欲しいと考えていた。


  しかし、心優しいヴァルターはそんな母の想いとは別に、大好きな母の助けになりたいと考えていた。

  彼は幼いなりに母を一人にしてさみしい思いにさせたくないと考えていたのだった。

  はっきりとそう思っていなかったにしても、父に捨てられた母を護りたいと心の奥底では思っていたのかもしれない。

 

  そんなヴァルターは母から教育も受けていた。

  それは将来、職人として働いていく上で最低限必要になると思われる社会の教養。

  ヴァルターは母の仕事の手伝いだけでなく、これらの勉強に対して頑張って取り組むのであった。

  特に、七英雄に関する歴史については母から深く教え込まれた。


  彼の母は平民とは思えないほどの教養があった。

  さらに彼の家には平民の家とは思えないほどの本が置いてあった。


  そんな母と過ごしていたこともあって、ヴァルターは思いやりがあり、教養をしっかりと身につけた上で10歳を迎えるのであった。




  ◇◇◇




  10歳になり、魔術協会と呼ばれる聖堂に連れていかれたヴァルター。

  彼はそこで周囲の者たちを騒がせるほどの才能を秘めていたことが発覚する。


  人間の中でも1%いるかいないかと言われているスキル3個持ち。

  しかも、『魔法使い(風)』、『精霊術師』、『治癒術師』と神に愛されたかのような恵まれたスキルばかりを彼は手にしていた。


  そのとき、ヴァルターは周囲の者たちがどうしてこれほどまで騒ぎ立てているをしっかりと理解していた。

  事前に母から教えてもらっていたことで、スキルが人生にもたらす価値をはっきりとわかっていたからだ。


  だからこそヴァルターは魔術教会での面倒な手続きを終えると真っ先に母のもとへ駆けつけて、スキル判定の報告をするのであった。

  そして、その時の母の表情をヴァルターは今でもはっきりと覚えている。



  母は嬉しそうに報告するヴァルターを笑顔で褒めてくれると同時に、彼女からはどこか悲しげな様子が見え隠れしているのであった……。




  ◇◇◇




  ヴァルターが10歳になり、魔術教会でスキル判定を行なってから1週間と少しが経った。


  彼は相変わらず母の手伝いをしながらこの世界について勉強をしていた。

  さらに、進路として12歳になったら魔術学校に進むか商人学校に進むかについて悩んでいた。


  この事を母に相談することはあったが、彼女はいつも苦笑いをしながら、考えるのはもう少し後でいいのではないかと答えるのであった。

  そんなとき、ヴァルターは母がいつもの母ではない気がして心配になっていた。

  だが、どうして母がそのように自分の意見をはぐらかしていたのか、それがわかる時が来たのであった……。



  トントンッ



  ある日の昼下がり、ヴァルターたちがいつものように仕事をひと段落つけて昼食をとっていると、玄関の扉を叩く者がいた。


  そして、母が扉を開けるとそこには二人組の若い男たちが見える。

  彼らは白と緑で彩られた冒険者ギルドの制服を着ており、胸にはキラキラと輝く勲章が、背中には刃渡り80センチほどの剣がかけられていた。



  「アンナ=シェルツ様、ヴァルター様をお迎えにあがりました」



  成人男性の低い声がヴァルターの耳にも届いてくる。

  アンナというのは彼の母の名だ。


  「はい……。お待ちしていました」


  母は何か言いたそうにしながらも、男たちに静かにそう告げるのであった。



  「お母さん……?」



  状況を理解できないヴァルターは母に声をかける。

  そして、ヴァルターの方を振り向いた母アンナは瞳に涙を浮かべて別れを告げるのだった。



  「ヴァルター、立派な大人になるんだよ……。今まで、ありがとうね……」



  ここからの出来事は本当に一瞬のことであった。


  着替えなどを簡単にまとめると彼は馬車に乗せられる。

  その間、母アンナは机にうつむいて、すすり泣いているのであった。

  何も聞かされず、しっかりと別れの言葉も交わせないまま彼は母と引き裂かれたのだ。



  愛する母に捨てられた——。



  ヴァルターは最初そう考えていた。

  しかし、迎えに来た男たちに馬車に連れ込まれた後、彼らと話をしてみるとどうやらそうではないということを知る。


  そして、休憩を挟みながら2日の長旅の末、ヴァルターを乗せた馬車はアルガキア大陸中部にある冒険者ギルド総本部へとやってきた。


  そこで降ろされたヴァルターはギルド街の建物に連れていかれ、目的の人物と対面することになる。



  「はじめまして……だな。我が息子ヴァルターよ」



  その時、ヴァルターは生まれて初めて父に会ったのであった。



  「はじめまして……。ドルトン様」



  目の前で起きているこの出来事を、いまだ信じることのできないヴァルター。

  それもそのはずだ。

  今、彼の目の前にいるのは世界的にも有名な冒険者ギルドのグランドマスター、ドルトン=カルステンその人であったからだ。


  魔法使いでありながら、剣士のように鍛え抜かれた肉体には歴戦の戦士のような傷痕が残っている。

  短髪ではあるが、ヴァルターと同じくエメラルドグリーンのような髪色をしている。

  そして、初めて息子に会ったとは思えない冷酷な瞳は、噂で語られている優しい人物像とは遠くかけ離れているものであった。


  ヴァルターはここに来るまでに様々なことを聞かされた。


  冒険者ギルドのグランドマスターであるこの男は正妻も妾もいない。

  ただし、自分と血が繋がっている子どもは何人もいるということ。

  そして、ヴァルターもそのうちの一人であるということ……。



  「お前には資格がある。この俺の後継者となり、この世界の平和を保ち維持するという大役になれる資格がな」



  この男、ドルトンは多くの女性との間に何人も子どもを作り、一番優秀な子どもにグランドマスターとしての役割を継がせたいという想いがあるそうだ。

  なんでも、妻や妾としての関係で子どもを作ると、能無しでもグランドマスターを継ぎたいというバカが現れたり、子ども同士でドロドロの権利闘争に発展したりするかもしれない。

  それで、ドルトンは口が堅く優秀な子どもを育ててくれそうな女性たちと多くの子どもを儲けたそうだ。


  そして、ヴァルターはその後継人としての最低限の資格は認められたようだった。

  あとはドルトン本人から認められさえすればヴァルターは次期グランドマスターになれる。

  今、運命の分かれ道に彼は立たされていたのであった。


  しかし……。



  「すみません、お断りします……。その、ぼくはお母さんと静かに暮らしたいんです……。だから、後継者は他の人にしてあげてください。ドルトン……さま」



  ひと言目に拒否をした瞬間、目の前にいるドルトンの顔が急に強張った気がした。

  それゆえに、ヴァルターは目をそらしながらドルトンに資格を放棄する理由を語ったのだった。



  今回の件で、自分に父がいないのはクズな男が母を捨てていったわけでないということはわかった。

  どうやら、ヴァルターの母は両親を亡くし、身寄りがなくてさまよっているところを偶然出会ったドルトンに助けられたらしい。


  ドルトンはアンナに食事と服を与え、職を身につけされるために教育を施し、仕事先まで探してくれたらしい。

  そんなドルトンに対して、アンナは何か恩返しをしたいと申し出たことによって、彼の子どもを産むことに決めたようだった。


  それを知ったヴァルターは父であるドルトンを恨むことはしなかった。

  しかし、その話を聞いたことによって母アンナの涙の意味もよくわかった。


  自分が母から離れてしまえば、身寄りのない母はまたひとりぼっちになってしまう。

  それによりドルトンへの恩は返せるかもしれないが、母はまたしても家族を失うことになってしまう。

  グランドマスターの仕事は忙しく、世界中を飛びまわることも多いからだ。


  だからこそ、ヴァルターはグランドマスターになる資格を放棄したのであった。

  もう二度と母をひとりにしないために……。



  しかし、彼の言葉を聞いたドルトンはあきれた様子でヴァルターを見つめる。



  「ガッカリだよ……。資格はあるのに、試してもみないうちから放棄するなんてな」


  「あの女はお前に言ってたのか? この世界はどうでもいいから一緒に暮らそうと……」


  「だとしたら、ろくでもない女だな。ここまで恩知らずのやつだったとは、期待していただけに正直ガッカリだよ……」



  愛する母を侮辱されるヴァルター。

  目の前の人物が世界的な英雄であろうがそんなのは関係ない。

  彼は母を冒涜したドルトンに怒りをぶつけようした。


  だが、彼の中にある理性がそれを止めてくれる。

  母であれば、そんなヴァルターは見たくはないと思うはずだ。

  そして、ドルトンの言葉の一つが彼の胸に刺さって頭から離れないのであった。



  そうだ……。

  確かに、お母さんは別れるときに涙を流していた。

  それは、ぼくと別れるのがつらいからだ。



  今思えば、魔術協会でスキルに恵まれていたとわかったときもお母さんはどこか悲しげな様子だった。

  もしかしたら、あのときから既にお母さんは……。



  でも、それでもお母さんはぼくを褒めてくれていた。

  成長していく姿を自分のことのように喜んでくれていた。



  そして、お母さんがぼくにかけてくれた最後の言葉は……。



  『ヴァルター、立派な大人になるんだよ……。今まで、ありがとうね……』



  ヴァルターはドルトンへの怒りを鎮め、深く一回深呼吸をして気持ちを整える。

  そして、しっかりと彼の目を見て告げるのであった。



  「やっぱり、挑戦させてください……。 ぼくは、立派な大人にならなきゃいけないんです!!」



  少年の突然の変わりように、ドルトンは思わず驚いた表情を見せる。



  「それと、お願いがあるんです。もしも、ぼくがドルトン様の後継者になれたら、母を北部から中部に連れてきて一緒に暮らしてもよろしいでしょうか?」



  確かに、グランドマスターは忙しく総本部で過ごせる時間など一年を通してわずかしかないだろう。

  だが、それでもヴァルターはその少ない時間だけでも自分をここまで育ててくれた母と過ごしたいと思っているのだった。


  そんな彼の言葉を聞き、ドルトンはクスリッと笑って笑みを溢す。



  「立派な大人? まぁ、理由なんてどうでもいい。挑戦してみたいというのなら構わない。それと、アンナを中部に連れてくるのも構わん。なんなら、ギルド街に住まわせてやる」



  ヴァルターはその返答を聞き、瞳を輝かせる。

  彼の様子をみたドルトンは少年の決意をしっかりと受け取った。



  「よし、明日から俺についてこい! グランドマスターの仕事について教えてやる」



  こうして、10歳の少年ヴァルターは母親の期待に応えるためにグランドマスターを目指す道を選ぶのであった。

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