206話 エトワールの過去(9)
そうだ!
何もおれ一人でやる必要はないんだ!!
今さっき後悔したばかりだろう。
カイルのように賢ければ悲劇を避けられたと。
自分一人の力でシシリアたちを取り返せないのなら、その力を持つ者たちに頼めばいいだけだ!
そして、おれはそれをできるだけの力がある!!
エトワールは謎の声の人物の助言もあり、悪魔を召喚しようとする。
膨大な魔力がエトワールの身体から流れ出て、魔法陣を形づくってゆく。
しかし、不思議と苦しくなることはない。
彼の目の前には金色に輝く複雑で見たこともない魔法陣が部屋いっぱいに広がる。
少しずつ禍々しい魔力が家の中を満たしてゆく。
それが魔界から悪魔を呼び寄せるということなのか……。
エトワールは目の前に広がる光景と伝わってくる魔力を見て感動する。
——そして、悪魔が召喚されたのであった——
先ほどまで光輝いていた魔法陣は消え去り、中からは一人の少年が姿を現す。
その少年はこの世界などにまるで興味がなさそうに無表情で辺りを見渡す。
整った顔つきにクールな雰囲気。
艶やかな青色の髪を持ち、まるで王国の貴族の息子にも見える。
だが、彼は人間ではなく背中に漆黒の翼を持つ悪魔であった。
禍々しい魔力を放つ少年の悪魔。
彼はエトワールと目が合うと問いかけてくるのであった。
「おれを召喚したのはお前か……?」
見た目よりも少しばかり大人びた低い声。
悪魔はエトワールに自分を召喚したのかと問いかけてきた。
すると、エトワールの心は歓喜に震える。
悪魔は人間界で通じる言語を使って会話をしてきた!
これならシシリアたちの復活をお願いできる!
そして、エトワールは悪魔に頼み込むのであった。
「そうだ! おれがお前を呼び出したんだ!!」
「この者たちを生き返らせて欲しい! お前にならできるのだろう!?」
興奮するエトワールはシシリアと赤ん坊を指差し、悪魔に頼み込む。
自分の願いを受け入れて欲しいと。
この時、エトワールは一瞬だけ悪魔の表情が歪んだ気がした。
すると、次の瞬間エトワールは息ができなくなる。
「ぐぁっ……。なんだ!? これはっ……」
いくら空気を吸おうと呼吸を試みるが、エトワールを息が吸えない。
もがき苦しむエトワールの意識は段々と遠のいてゆく。
すると、目の前の悪魔の声が聞こえてくる。
「お前、自分が何を言っているのかわかってるのか……?」
イライラとしているような悪魔。
彼はエトワールに対して吐き捨てるように告げる。
「立場の違いを考えろ! どうしておれ様がお前如きの頼みを聞かないといけないんだ! 調子に乗るなよ、劣等種風情が!!」
エトワールは感覚的に察知する。
あぁ……死ぬ。
やはり、人間程度の種族が悪魔を飼い慣らすことなんてできなかったんだ。
ごめんよ、シシリア……。
でも、おれもそっちへと向かうから……。
心の中で、シシリアたちを想い覚悟を決めるエトワール。
しかし、まだ神はエトワールを死なせようとはしてくれなかった。
突如として、エトワールは呼吸ができるようになる。
「はぁあっ……はぁあっ……」
まるでようやく食事にありつけた野生の飢えた肉食獣のように、エトワールは急いで酸素を体内に取り入れてゆく。
死ぬ覚悟はあったエトワールだが、身体は正直に生きようと働くのであった。
そして、まだ意識はぼんやりとしているが段々ハッキリとしはじめてゆく。
すると、エトワールは目の前にいる少年の悪魔が誰かと話しているようだと気づく。
「はい……。はい……。では、例の計画にこの劣等種を利用するということですね」
それはひとりごとではなく、まるで誰かと会話しているかのような口調だ。
もしかしたら、念話で誰かと話しているのかもしれない。
「わかりました……」
そして、会話を終えたであろう少年の悪魔は意識を取り戻したエトワールを見つめると近くまでやってくる。
その存在感に、エトワールは怯えてしまうほどだった。
すると、少年の悪魔はエトワールに強い口調で語りかける。
「よく聞け、劣等種!」
「今回は特別に、お前を生かしておいてやる。おれたちに感謝しろ!」
どうやらエトワールが助かったのはこの悪魔が殺すのをやめてくれたためらしい。
正直、エトワールは嬉しいような嬉しくないような気持ちだ。
シシリアたちを助けることもできなければ、死ぬこともできない。
生きる意味を見いだせないまま、生き延びてしまったことに彼は後悔する。
すると、そんなエトワールを見た少年の悪魔はニヤリと笑うと一つ提案をしてくる。
「それとだな。もしも、お前がおれたちの言うことを聞いてくれたらそこの二人を生き返らせてやるぞ?」
この言葉を聞き、エトワールは悪魔の提案に食いつく。
「本当か!? シシリアを! この子を生き返らせてくれるのか!!」
最初から、タダで悪魔に言うことを聞いてもらおうだなんて考えが甘過ぎたんだ。
悪魔と取り引きをする。
その報酬として死者の復活を頼めばいいんだ。
必死に食いつくエトワールの質問に対し、静かに頷く悪魔。
彼はこの提案は嘘ではないということを態度で示す。
「やるぞ! お前の言うことをなんでも聞いてやる!!」
悪魔との取り引きを受け入れたエトワール。
そんな彼に、悪魔は取り引きの要件と報酬を語る。
「そうか。ならば、魔法の才能がある者たちをひたすら集めてもらおうじゃないか。その中に、おれたちが探している者がいたら引き渡せ。そしたら、そこの女を生き返らせてやるよ……」
少年の悪魔——エストローデはこうして人間界に舞い降りたのであった。
◇◇◇
それからの出来事はあっという間に時間が流れてゆくように感じた。
エトワールを突如して襲った悲劇の夜から1週間ほど。
ハンナはカイルの子を出産した。
だが、子どもが産まれるとすぐ、カイルはハンナと赤ん坊を連れてどこかに消えてしまった。
詳しい内容とその原因はハンナの出産に立ち会った医者のトールから後で聞いた。
カイルたちの判断は間違いではなかっただろう。
だが、そんなことも今のおれにとってはどうでもいい。
今のおれは悪魔たちに協力してシシリアの復活を果たすことしか考えていない。
少年の悪魔エストローデが新たに連れてきた二人の悪魔、ディアラとハワード。
おれはこの三人の悪魔たちの指示に従うことになった。
女の姿をした赤髪の悪魔ディアラ。
彼女は非常にクセモノといったイメージでおれに的確な指示をくれる。
そして、男の姿をした緑髪の悪魔ハワード。
こいつは掴みどころがないやつで、詳しいことはよくわかっていない。
ただ、このハワードがおれとシシリアの子どもを蘇らせてくれたのだ。
「前報酬だ。だが、完全に生き返ったわけではない。今のままではこの子は成長しない。それでも、動かない尸よりはいいだろう」
ハワードという悪魔のおかげでラクトが半分蘇った。
こいつらが探している人物を見つけだせれば完全にラクトを復活させてくれるらしい。
ラクトというのはシシリアと話し合っていた、もしも生まれてくる子どもが男の子だったら付けようとしていた名前だ。
ディアラが特殊な魔道具を使い、血だらけだったラクトを綺麗にしてくれたため、二人の子の性別が男であるということがわかったのだった。
まだ体重2000グラムもない未熟児だが、いつか絶対に青空を駆け回ってあげさせるんだ。
ラクトを半分生き返らせると、ハワードという悪魔は姿を消し、エストローデとディアラの二人だけがおれの側に残った。
そして、ディアラの指示でおれは孤児院を開くことにする。
エトワールというおれの名はローレン領ではもちろん、エウレス共和国全土に広まっている。
さらに、シシリアたちが亡くなったことを知った近隣の領民たちが、おれに子どもたちと触れ合って欲しいと憐み、金を出し合ってくれたことで孤児院を運営してゆくのはそれほど難しくなかった。
ディアラの指示通り、子どもたちに魔法の才能があるのか調べてゆく。
それから何年も何年もゆっくりかけて子どもたちの才能を伸ばしてゆく。
そして、子どもたちが十分大きくなる15歳ほどでエストローデとディアラに見せるのだった。
「こいつは違うな……。こいつも違う。あぁ、今回もダメだったな」
十分に育って魔法の才能が見えてくる頃になると、子どもたちを悪魔に引き渡し鑑定してもらう。
もちろん、この時には子どもたちの記憶はいじって何もなかったことにしておくのであった。
「なぁ、おれはいつまでこんな事を続ければいいんだ? 流石に効率が悪くないか。こんなんじゃ、お前たちの目当ての人物が見つかる前に孤児院が潰れてしまうぞ?」
エトワールは既に、悪魔たちに5年近く協力してきた。
しかし、なぜ悪魔たちがこんな大がかりなことをして人族を探しているかの詳細は教えてもらっていない。
この5年間で悪魔に話してもらったことは、彼ら悪魔は《ハーフピース》と呼ばれる存在を探しているということ。
しかし、それは人間界にいるかもしれなし、いないかもしれない。
仮に人間界にいたとしても何人いるかはわからない。
そして、エトワールが《ハーフピース》を一人でも見つけられたらシシリアは助かる。
そういった条件だった。
だからこそ、エトワールは悪魔を連れて王国の武闘会を観に行ったり、ローレン領各地の魔術学校に特別講師として出向いたりもした。
だが、《ハーフピース》という存在は一人も見つからなかった。
エトワールもバカではない。
そんなあるかないかがわからない《ハーフピース》なんていう存在を探すことに何年も付き合ってなんていられない。
多くの子どもたちを調べるため、孤児院を拡大していくことで必要経費は増えてゆく。
だが、寄付金だけで孤児院を運営してゆくには限度というものがある。
エトワールは孤児院という非効率なシステムで不透明な《ハーフピース》という存在を探すことに疑問を持っていた。
すると、ディアラが一つエトワールに尋ねる。
「ねぇ、あんた。ここの子どもたちの事が好きなの?」
突然、話の脈絡が掴めない質問をしてくるディアラ。
エトワールは疑問に思いつつも本心を語る。
「当たり前だろ! 一応、おれはこの子たちに愛を持って育てているんだ! 好きに決まってるだろ!」
そんなエトワールの答えを聞いて微笑むディアラ。
彼女はエトワールにもう一つ質問をする。
「じゃあ、シシリアやラクトとあの子どもたち、どっちを優先するつもり……?」
エトワールは一瞬だけ怯んでしまう。
しかし、悩む必要なんてない。
もう、自分はシシリアたちのために後戻りできない道を突き進んでいるのだ。
「そんなのシシリアとラクトに決まってるだろ! だからこそ、あの子たちをお前らに差し出してるんだ!」
エトワールの答えに満足そうに頷くディアラ。
「じゃあ、決まりね! わたしにはね、闇雲に《ハーフピース》を探すだけじゃなく、あんたに孤児院を任せた別の意味があるのよ……」
意味深なことを話すディアラ。
そんな彼女にエトワールは疑問に思って尋ねる。
「別の意味……? なんだそれは!?」
自分に孤児院を任せた意味。
それを聞こうとする。
すると、ディアラはゆっくりと答えた。
「それはね、人身売買よ……」
エトワールの中で、良心が騒ぎ出す。
人身売買だと……?
もしかして、あの子たちを売り飛ばすとでもいうのか?
「孤児院が非効率? そんなのわたしにもわかってるわよ! でもね、他の分野は違うやつらに任せてるの。だから、あんたは自分のできる範囲でやれることをしてればいいのよ」
金がないなら子どもを売って金にしろ。
ディアラはそう提案をしてくる。
エトワールは歯を食いしばりながら悩む。
そして、決意するのであった。
人間としての心を完全に殺そうと……。
そして、エトワールの瞳は完全に闇に染まる。
「わかった……。おれは自分にできることをするまでだ。そして、シシリアとラクトを絶対に取り戻してみせる」
エトワールは孤児院を運営する中で、半分は行き場を失った子どもたちのために支援したいという気持ちがあった。
だが、彼はそんなぬるい感情を捨て去った。
この決断をした時、もう既にエトワールにはかつてあったような人間の心は持ち合わせていなかったのであった——
◇◇◇
《ハーフピース》ではなかった子どもたちを売り飛ばすようになったエトワール。
彼は想像以上に子どもたちが高値で売れてゆくを見て、心を踊らせているのであった。
この調子でいけば孤児院はさらに拡大できる。
そうすれば、《ハーフピース》も早く見つかるはずだ!
エトワールは子どもたちを育ててゆく中で、魔法の才能のある者とない者に分類した。
そして、魔法の才能のある者は冒険者ギルドへ。
魔法の才能のない者は奴隷商へとそれぞれゼノシア大陸の組織に売り払った。
どちらもエストローデの仲間たちが裏で支配している組織。
エトワールが育てた子どもたちは需要があるらしく、高値で売れていった。
そして、ある日ゼノシア大陸の奴隷商から注文がくる。
「いつも活きの良い綺麗な奴隷をありがとうございます! ですが、最近貴族様たちから奴隷の感情や教養が無さ過ぎて退屈だと言われまして……。どうにかなりませんかね?」
いつも魔法の才能のなかった者たちを奴隷として売っている奴隷商ゲゼルからの言葉。
エトワールとしてはエストローデに子どもたちの記憶を消してもらわないと困る。
記憶を消さないで出荷したとしたら、エトワール・ハウスから旅立った子たちは実は奴隷にされていたと広まってしまうかもしれない。
そこで、エトワールはエストローデたちと相談して一つ実験してみることにした。
それは、エトワール・ハウスでの記憶を一度全て消し、それから再教育して奴隷へとするのだ。
そうすれば、育ちが良くて感情のある奴隷が完成する。
変態貴族というのは自分の欲しているモノならどれだけ高くても金を出す。
だからこそ、エトワールは奴隷としての出荷が多少遅れてもリターンは増えると踏んで計画を実行に移すのであった。
そして、その数年後——。
「おい、エトワール! バルバドが裏切ったみたいだぞ。それに、カレンも逃したみたいだ」
エストローデが仲間の悪魔からの連絡を受け、エトワールに報告してくる。
変態貴族用の奴隷として育てていたカレンを連れて、バルバドが逃げ出したと。
「それでどうした? ゼノシアにいる連中がどうにかしてくれるんじゃないのか。所詮、老いぼれのハーフエルフと魔法の才能がない人間だろ?」
そんな報告はいいからさっさと対応しろ。
そう考えるエトワールにエストローデは思わぬことを告げる。
「それが、今回の事は目をつぶるらしいぞ。それに、ゼノシア大陸からも手を引くみたいだ」
「はぁ?」
衝撃の報告をしてくるエストローデ。
エトワールにはことの事態が理解できなかった。
エトワールはこの数年でエストローデがある意味無能なバカだということに気づいた。
こういうことはディアラに聞かないとダメだ。
しかし、ディアラの回答もエストローデと同じであった。
だからこそ、エトワールはカレンの件は諦め、他のことに手を回すのであった。
幸い、金は十分にある。
カレンの金が入ってこなくとも問題ない。
だが、この事態の裏には想像以上の真相が待っているのであった……。
そして、さらに数年後——。
孤児院の地下室でラクトを可愛がるエトワールにエストローデが声をかける。
「エトワール……。どうやら、遂に《ハーフピース》を見つけたらしいぞ」
この言葉を聞き、すがさず反応するエトワール。
「本当か!? どこにいたんだ!! 誰なんだ!!」
エトワールはエストローデに問い詰める。
《ハーフピース》さえ手に入れれば、シシリアが生き返るのだ。
エストローデの言い方では見つけはしたが、手にはいれていないということ。
つまり、エトワールがそれを上手く手に入れることができれば——。
いったい、ハーフピースはどこにいたんだとエトワールは問いかける。
そんなエトワールを見て、エストローデは楽しそうに笑いながら答える。
「セアラ=ローレン。あいつが《ハーフピース》の一人だ」
「セアラ……だと?」
エストローデの言葉に驚くエトワール。
セアラといえば、ついこの前に王国であった武闘会で優勝を果たしたカイルとハンナの娘だ。
その時は、近くに悪魔がいるとか言って会場にこなかったエストローデとディアラ。
エトワールはヨハンと二人きりでセアラの活躍を目にしていた。
だからこそ、あの場で《ハーフピース》を探すことはできなかった。
だけど、こんな近くに《ハーフピース》はいたのか……。
よかった……これでシシリアも——。
安心するエトワール。
しかし、そんな彼にエストローデは命令する。
「だが、あいつは《ハーフピース》の中でも不要な存在だ。殺せ……」
「えっ……?」
散々エトワールに探させてきた《ハーフピース》という存在。
それなのに、セアラはいらないから殺せと言ってくるエストローデ。
これにはエトワールも困惑してしまう。
すると、そんなエトワールに彼は助言するのであった。
「思い出せ、そもそもあいつが産まれてこなければ、今ごろお前はシシリアとラクトと仲良く暮らせていたんだぞ?」
なぜか、心にスーッと入ってくるエストローデの言葉。
そうだ。
そもそも、セアラが生まれてこなければおれは……。
「あいつはおれたちにとって邪魔な存在だ。そして、お前にとっては家族の仇となる存在なんだ。だから、殺せ……」
突如として、エトワールの中でセアラに対する殺意が生まれるのであった——。
今回で一応エトワールの過去編は終わりです。
明日からいつも通りに戻ります。
ちなみに、エトワールの初登場は『50話 バルバドの物語(4)』。
ハーフピースという言葉の初登場は『160話 ハリスとの約束』です。




