203話 エトワールの過去(6)
視点はエトワールですが時系列的には
『185話 カイルの過去(4)』の続きです。
エトワールとシシリアがローレン領で暮らすようになって10年。
彼らはその優れた魔法技術によって周辺領民たちの生活を助ける『何でも屋』を営んで生活をしていた。
この二人の活動は非常に評判が良く、その収入で一軒家を建てて、しばらくローレン領で暮らすことに決めたのであった。
腕利きの大工に建築してもらった木造の一軒家。
檜の匂いが心を安らげてくれるその家で彼らは二人幸せに暮らしていた。
そんなある日、いつものように二人のもとをカイルとハンナが訪れる。
彼ら四人は非常に仲が良く、まるで本当の兄弟姉妹のように接していた。
「おっ、カイル! 何かあったのか? やけに嬉しそうじゃないか」
エトワールはいつもとは違い、頬を緩めて何か言いたそうにしているカイルに尋ねる。
カイルはポーカーフェイスの一面もあるが、彼を実の兄のように慕うカイルはいつもエトワールには素の表情で接していたのだった。
そんなカイルの変化を見たエトワールは何があったのかと気になっていたのであった。
「やっぱりエトワール様もわかりますか? ここに来るまでもずっとこんな調子だったんですよ」
カイルの隣にいるハンナも嬉しそうにそう語る。
本当に仲睦まじい二人であった。
そして、カイルは嬉しそうに今日会った出来事を語ってくれた。
「エト、実はね! ハンナとの関係を父さんたちが認めたんだ! もちろん、お腹の子どものこともね! まぁ、正確には認めさせたっていう方が正しいけど……」
ハンナのお腹は大きくなりはじめ、目立ちはじめてきている。
屋敷の者たちにバレるのも時間の問題。
自分が覚悟を決める必要がある。
カイルは以前、エトワールにそう話していた。
つまり、この報告はカイルが両親を無理やり説得したということであった。
将来共和国を導くリーダーになる領主候補とその屋敷の使用人の娘。
身分の違い過ぎる恋であったが、カイルは見事に自分で幸せを勝ち取ったのであった。
嬉しそうに報告してくれたカイルを見て、エトワールは二人を祝福する。
「本当か!? それはよかったな。お前、今までハンナのために頑張ってたもんな」
エトワールは精一杯の祝福を彼ら二人に送る。
カイルがハンナのために努力してきていたのはエトワールが間近で一番見てきていた。
両親を黙らせ、見返すため努力に励むカイルをエトワールは心の底から応援していた。
だからこそ、心の底から祝福できる。
しかし、同時に自分の心の中にどこか引っかかる部分もあった。
両親を説得することができず、逃げる形で実家を飛び出した自分と重ねてしまう。
もしも、自分が今のカイルと同じようにシシリアのために頭を使っていたら、運命もまた変わっていたのではないかと考えてしまう自分がいた。
そんな思考が頭をよぎり、笑顔を意識しなければ作れずにいる自分が嫌になる。
だが、それでも決して今の生活に不満があるわけではない。
シシリアとの今の暮らしも悪くない。
ただ、生まれてから15年以上夢見てきた事を諦めることなく、シシリアと結ばれる道もあったのではないかと思ってしまっただけなのだ。
エトワールはそんな過去は忘れ、今の幸せを噛み締めようと考え直す。
そして、カイルに告げるのであった。
「実はおれたちもお前に報告があるんだ……」
真剣な顔つきで語るエトワール。
そして、シシリアと目配せをする。
固唾を飲んでジッと彼の言葉の続きを待つ二人。
カイルとハンナは自然と背筋が伸びる。
そして、エトワールは大声で二人に発表するのであった。
「シシリアも妊娠したみたいなんだ! おれたちも、家族が増えるんだ!!」
急にテンションの上がるエトワール。
一瞬、事態が飲み込めながった二人であったがらエトワールの言葉の意味を理解し、顔に笑みが溢れる。
「本当かい!? おめでとう、エト!!」
「エトワール様、シシリアさん、おめでとうございます!」
祝福してくれる二人。
この場が幸せに包まれる瞬間であった。
長らく子どもができない二人であったが、ようやく授かった小さな命。
エトワールたちとシシリアも、この事がわかった時、飛び跳ねて喜んだ。
そして、この事を聞いたカイルたちも自分達の事のように喜んでくれる。
「わたしたちの子どもたちも仲良くなってくれるといいわね」
笑顔でそう語るシシリア。
家族同士の付き合いがこれからも続いて欲しいと願う。
「きっと、そうなりますよ!」
はっきりとそう告げるカイル。
だが、エトワールもカイルもわかっていた。
この関係はいつまでも続くものではないというのとは……。
カイルが領主となれば屋敷での生活がメインとなる。
それに、屋敷から出るとなっても領内の視察や領外の外交くらいだろう。
カイルたちが一領民であるエトワールたちと過ごす時間なんてなくなるし、エトワールたちの子どもが領主の子どもと遊ぶ機会などないだろう。
かと言って、ベルデン領を捨てたエトワールが別派閥の領主であるカイルに仕えて屋敷で働くというわけにもいかない。
この関係も、カイルが領主になるまでのものなのだ。
そう思うと喜ばしい事で溢れているのに、どのか悲しさがこみ上げてきた。
ここに集まる四人は口には出せないが密かに思いを募らせるのであった。
こんな生活がいつまでも続けばいいと……。
◇◇◇
シシリアの妊娠がわかってから半年ほどが経った。
基本的にそれまで共働きで仕事をしてきていた二人であったが、シシリアのお腹が目立つようになってからはエトワールが一人で働くようになる。
そして、シシリアは一人家で過ごしているのであった。
だが、エトワールも毎日仕事に明け暮れているというわけでもない。
経済的に十分な蓄えはあったので、どちらかというと周辺領民たちへの恩返しという面で働いていた。
10年前、突然やってきた自分たちを受け入れてくれ、仕事をくれた領民たちに恩返しをするのだ。
だからこそ、エトワールは休むことは決してしなかったが、シシリアの事を気づかって一日あたりの仕事時間を極端に短くしていた。
そして、二人で過ごす時間を大切にしていたのだった。
「ねぇ、今お腹を蹴ったわ!」
エトワールと二人でソファーでくつろぐシシリア。
彼女はお腹を手で触ってエトワールに報告する。
「本当か!? どれどれ……」
「おっ、これは元気があるな!」
お腹の子どもの成長を感じながら過ごす日々、彼らは幸せでいっぱいだった。
本当に、この人と結ばれてよかった——。
二人は日々、そんな事を感じながら子どもが産まれるのを楽しみにしていたのであった。
「わたしたち、これから親になるのね」
「あぁ、愛情をいっぱい注いで育てような」
シシリアのおでこにキスをするエトワール。
このまま、何事もなく母子健康であって欲しい。
それだけを願うのであった……。
◇◇◇
それからさらに、数週間が経った。
「ごめん、なんか今日調子悪いみたい……」
朝からダルそうな様子で声をかけてきたシシリア。
エトワールはそんな彼女をベッドに寝かせ、毛布をかけてあげる。
おでこに手を触れた感じ、少し熱があるようだ。
お腹の子どものこともあるし、安静にしていて欲しい。
「そっか、それじゃゆっくり休んでいてくれ。お腹の子どものこともあるんだ。今日も早めに仕事を終わらせてくるよ」
エトワールはシシリアにそう告げる。
どうせいつもの風邪だろう。
数日横になっていれば治るのだ。
出産まであと数ヶ月。
シシリアには元気でいてもらいたい。
エトワールは彼女を寝かせ、昼過ぎから仕事へと向かうのであった。
◇◇◇
今日は今年の魔術学校の入試を受ける子どもたちの勉強見てあげる日だ。
シシリアの看病もあるし、さっさと終わらせて家に帰ろう。
そう思いながらエトワールは子どもたちの勉強に付き合う。
しかし、子どもたちも魔術学校の入試が近いということもあり、やる気に満ち溢れている。
そんな彼らを見ているとついつい一生懸命指導してしまう自分がいた。
そして、気づけば辺りは夕日に照らされキツネ色に染まっていた。
日が暮れそうになりすぐに帰宅するエトワール。
もしかしたら、シシリアが目を覚ましているかもしれない。
そう思い、馬を思いっきり走らせて自宅へと急いで帰ったのだった。
そして、10分ほど馬を走らせると自宅へと到着する。
「ただいま……」
静かに声をかけて家に入るエトワール。
シシリアが寝ていたとしても起こさないようにと配慮する。
だが、そんな彼の目に飛び込んできたのは予想外の光景であった。
ベッドから数メートル離れた所に倒れ込むシシリア——。
思わず彼はシシリアに駆け寄る。
「おい、シシリア! シシリア!?」
強く揺らすことはしないが、彼女を抱きかかえ声をかけるエトワール。
それに気づいたのか、目を閉じていたシシリアがぼんやりとまぶたを開く。
「あぁ……。エト……わたし、調子が悪くて……」
ゆっくりと、静かな声で話すシシリア。
そんなシシリアを見て、エトワールを強い不安が襲う。
朝に比べ、一層体調が悪そうだ。
さらに顔は赤みを帯びており、ひどい熱がある。
エトワールは医者を呼んでくる事に決める。
「赤ちゃんは……大丈夫かしら……?」
ぼんやりとした意識朦朧とする中、お腹にいる子どもを心配するシシリア。
「大丈夫だ! 今から急いで医者を呼んでくるから、シシリアは寝ていてくれ」
エトワールはシシリアを励ますように声をかける。
そんな彼の言葉を聞き、安心したかのように微笑むシシリア。
しかし、事態は最悪の方へと悪化してゆく。
「うっ……ぐぅわぁぁ」
苦しそうにお腹を押さえるシシリア。
「シシリア! シシリア!! 大丈夫か!?」
エトワールには何が起きているのか理解ができない。
ただ、彼女がお腹を押さえているということから何かしら腹痛に近いものに襲われているのかもしれない。
だとしたら、子どもだって危ない!
エトワールはお腹の子どもの心配もする。
出産日まではまだ日があるはずだ。
だが、早産という危険性もある。
ただの医者じゃダメだ。
妊婦の事も診れる者、また助産師も必要かもしれない。
医学の知識はほとんどないエトワール。
彼女に適切な回復魔法をかけてあげることすらできない。
「待っててくれシシリア! 絶対二人を助けてやるからな!!」
エトワールはすぐさま家を飛び出し、馬で街道を駆け抜ける。
一刻も早く、医者に診てもらわなければならない。
そのためにエトワールは全てをかけて急ぐのであった。
しかし……。
「ルーク先生はいますか!?」
「ごめんなさい。ルーク先生は今日一日いらっしゃらないんです」
「トール先生はいますか!?」
「あら、エトワール様。トール先生は本日不在ですので、何か御用があれば……」
行く先々で妊婦を診れる医者たちがいない。
助産師に関しても同様であった。
どうしてだ……。
なんでこんな時に限って誰もいないんだ……。
向ける矛先のない怒りが彼の中で渦巻いてゆく。
このままじゃ、シシリアは……。
何件も何件も医者を探して領地内を探すエトワール。
すると、空の様子が怪しくなり雨雲が辺りを包み込む。
彼は雨にさらされながら馬で街道を駆け抜けるのであった。
だが、何件回っても医者も助産師もいない。
そして、エトワールは新たに向かった所で衝撃の事実を知ることになる。
「あの……エトワール様。今日はここら一帯の医者や助産師は探してもいないと思いますよ……?」
雨のせいでびしょびしょになったエトワール。
ここにも医者はいないと聞き、帰ろうとしていた所を一人の娘に引き止められる。
「それ、どういうことだ……?」
思わず、強い視線で聞き返してしまってエトワール。
そんな彼に、一瞬娘は驚きつつも事態の原因について語ってくれた。
「えっと……。ヴァレンシア様名義で医者と助産師はお屋敷に召集がかかっているのです。何でも、カイル様のお世継ぎがもうすぐ産まれるからその為の準備をすると……」
なんと、カイルの母親であるヴァレンシアが周辺領地から一斉に医者たちを集めているという。
「残念ですが、今日はここら一帯どこを探しても医者も助産師も見つからないと思いますよ……?」
娘の言葉がエトワールの身に重くのしかかるのであった。




