第2話
鳥の鳴き声、池に流れ込む水の音。そこに心地よい風が流れ、草木が葉を擦れ合わせ音を奏でる。
そんな中で、日向ぼっこをしながら茶を啜るのがなんとも言えぬ贅沢さ。しかし、その静けさが遠くの方から聞こえる物音でかき消されていく。
「……先生!先生はいらっしゃいますか!」
「ここにおるよ。どうかしたかい?」
物音の主人は背丈がゆうに2mを超えている大男。しかも背が高いだけでなく、その身体付きの見事な事。
腕は丸太のように太く、首は筋肉が付きすぎてどこが首かわからない。その佇まいは地に深く根ざした大樹のよう。見る人にその偉大さ知らしめる。
そんな男が縁側で茶をすする老人に地に膝を付け、地にめり込みそうなほど頭を下げている。その敬われている老人は骨と皮だけのような、まるで生きているのかも分からない、そんな老体だ。
「先生!剛柔先生!是非とも、一手御指南のほどをお願いします!」
「ほっほっほ…こんな老人にわざわざ頭を下げていうことかね?君に勝てる人間はそういないだろう?」
「確かに私はオリンピックで金メダルを取り、総合格闘技で世界チャンピオンになりました。巷では世界最強などと申されます。はっきり言ってそこらの格闘家には決して負けません。しかし!先生に勝たずして何が世界最強でしょうか!先生、是非ともお願いします!」
老人は、戦原剛柔は持っていた湯呑みを置いた。その手は老人のものだが、その手つきはどこかただならぬものを感じさせた。
「君は…何か勘違いをしているようだね?」
「な、何がでしょうか?」
「儂と戦いたければいつでもかかってくるとよい。誰の許可など要らぬ。寝ていようが食べていようが、こうして茶を飲んでいようがいつでも構わんよ。」
「んが……よく寝たな。」
なんとも懐かしい夢を見た。あれは確か120歳の頃だったな。当時無敵のチャンピオンとか呼ばれていた男がやってきた時だ。100度ほど投げ飛ばしたら気絶してしまったが、なんとも楽しい戦いだった。
「彼にこの状況を見られたらなんと言うかな。」
追っ手から逃げること1週間が経った。すぐに家に帰ろうと思ったが、すぐに帰るのは待ち伏せに会う確率が高すぎる。
だからこうして森の中で寝泊まりしているのだが、正直不味い状態だ。以前の儂ならなんの問題もなかったが、今は少女の身体。問題が多発している。
火をつければ居場所がバレるため、捕まえた蛇やリスなどを生のまま食った。だが、そのせいで腹を壊した。温室育ちの少女だったようだしどうしようもない。
その挙句3日が経った辺りから熱が出始めた。身体がこの森の中という環境下に耐えられなかったのだろう。今もまだ熱が引かない。
しかも昨日から悪寒が止まらない。なんとか身体を暖めようと落ち葉を集めてその中で寝ているがまだダメだ。
なんとか治そうと思っても食事が喉を通らない。マトモなものが食べられれば良いのだが火を焚けぬ今、生肉か草木しかない。
「このままではマズイな。危険を承知で帰るか。」
ここに居ても死ぬだけ、帰ったら待ち伏せにあって死ぬかもしれない。しかし、それならまだ帰った方が生き残る可能性は高いだろう。
「問題はこの状態で帰れるかどうかだが…まぁやるしかない。」
目は霞むし、手足は鉛のように重い。一歩踏み出すだけでも一苦労だ。
「これではあの時のようにいつでもかかって来いなんて言えんな。今かかってこられたらボコボコだ。」
一歩、また一歩と着実に進んでいる。しかしそれでも終わりが見えない。そもそも終わりとはどこなのか。どこへ向かっているのか。
「いや…終わりはこの身体の少女の家だ…しかし…なんとも記憶が朧げでどんな場所か思い出せん…」
思い出そうと思ってもほとんど思い出せない。第一に頭が全く働かない。自分の事…戦原剛柔としての記憶はなんとか思い出せるが、少女としての…マリーとしての記憶は思い出せない。
「そもそも…なぜこんな事になったのやら…いや…そんな事よりもこの状況をなんとかせねば…」
それでも何とか歩いて行くと症状が悪くなって行くのか耳鳴りが起こり始めた。
その耳鳴りは良くなることはなく、むしろどんどんと酷くなっていく。それはまるで地鳴りのようだ。
「違う…これは耳鳴りではなく、馬の駆ける音か!」
追っ手かもしれない。しかし、そうは思っても身体はいうことをきかない。半ば諦め、その場にへたり込む。
次第に周囲になにかが集まってきて騒いでいる。しかし視点も定まらず、実際に起きていた耳鳴りの所為で何を言っているか分からない。
儂はそのまま静かに倒れこんだ。




