死を選ぶ傀儡、選べない傀儡
「おぬしも……なのか?」
「え?」
すらりとした指が、私の腰にのびる。
「傀儡の刺青……今日の日付じゃ」震える声で、告げる。
「これが、別れの鐘。わらわたちを、"期日"が来る前に溶かす妙薬じゃ」
赤い丸薬が詰まった瓶を振る。瓶の中で丸薬が踊り、カラカラと冷たく響く。
「あなたは、まだ一週間生きられるんだよ……私についてこなくても」
「ひとりになった我らが、どういう扱いを受けるか知っているじゃろう?身ぐるみ剥がされても、辱められても、助けは来ぬ。雨露を凌ぐところも得られぬ。何より」
すっと、顔を寄せてくる。甘い香りが私を包む。
「おぬしが居らぬ。たとえ我が身に仕込まれた執着とわかっていても、さびしくてならぬ……」私の視界を塞ぐほど寄せ、鼻先同士が触れる。
「頼む、一緒に逝かせてたもれ」吐いた暖かな息が、私の口に吸い込まれた。
「この丸薬は、傀儡を起動した人間から傀儡へ手渡しするのが、掟らしいのう」瓶に貼られた巻紙をなでる。
「人間じゃないけど、行けるかしら?」
丸薬をひとつ指で摘まみ、手のひらへ落とす。
「ふむ。やってみるか……」
ぽんっと口に入れ、かみ砕いた。
「ふむ、思ったより美味いぞ。甘みがあるのう。」
そのまま、のみこんでしまった。
「次は、私の番ね」
「わらわは、おぬしを起こしておらぬが、大丈夫かのう?」
丸薬を受け取り、口に含む。
「……がっ!?」
強烈な吐き気に襲われ、丸薬を吐き出してしまった。身体がしびれる。
「……夫か…しっかりせい!」
倒れた私を、膝の上に載せてくれている。涙が一粒、顔に落ちる。
「今から死のうってのに、泣いててどうするのよ」声がかすれてしまった。
海のそばに設けられた松林、その中に置かれたベンチに、2人は腰掛けている。傾いた陽の光が、ベンチを照らす。
「水で流し込んでも、食べ物に混ぜてもだめじゃったな」
「うん」
「む……迎えか……のう……」一瞬、かくんと頭が落ち、身体がふらりとぐらつく。私は両腕を伸ばし、身体を抱え込んで引き寄せる。間近で見る瞳は、ぷるぷると震えている。
「す……まぬ。先……に行く……」身体が、どんどん重くなり、沈み込んでいく。瞳孔が広がり、焦点が合わなくなっていく。
「うん」耐えられずに一粒、涙をこぼしてしまった。
「む……こうで待って……おる……ぞ………」ゆっくりと、瞼が落ちた。
ぐったりと重みを増した身体を、ぎゅっと強く抱きしめた。
私の腕の中で、胸がぴくりと動いた。
やがて、ぴくぴくと小刻みに震え出す。
胸からおなか、腰、そして両足両腕へ広がっていく。
ふるえが指の先に達した瞬間。
垂れていた頭が、バッと起きあがった。鉄のように表情がない。
「えっ、どうしたの!?」
「水辺にいきたいのですが」表情を全く変えずに言葉を紡ぐ。
「ちょっと、変だよ!私のことわかる?」
「わかりません。貴方のご友人はすでに消滅しました。私はこの身体を処分するための人格として、たった今起動しました」固い視線のまま、首を傾げて冷たく宣告する。
「え……」
「ここでこの身体を溶かしてしまっては、片づけに困るでしょう?時間がありません。放してください」
私の肩に、彼女の両手が優しくかけられる。彼女は、私にもたれかかっていた身体を起こす。彼女を抱きしめていた私の腕が、はらりと垂れる。
彼女はベンチから立ち上がり、波の音の方へとすたすた歩き出した。私はあわててついて行く。
沈みかける陽の光を、海風でなびいた彼女の髪が弾いてきらきらと輝く。
何が起こっているのだろう。どう声を掛けたらいいのだろう。わからないまま、彼女の陰を追い続けた。
踏みしめる土は、やがてさらさらとした砂になった。打ち寄せ、引いていく波がつくるきらめきが、彼女の背景に加わる。
彼女は立ち止まり、草履を脱ぎ始めた。脱いだ草履は、丁寧に揃えて砂浜に置く。
私の目の前で、帯を外し、浴衣を脱いでいく。あっという間に、素足と肌襦袢だけの姿になった。
唐突にすっと顔を上げ、私の方へ顔を向ける。表情のないままの視線で真っ直ぐ目を合わせ、軽く手招きをする。
「……へ?」
素っ頓狂な声を上げ、呆然と眺めている私。業を煮やしたのか、彼女は素足のままですたすたと近づいてきた。
「この着物を、捨ててください。お願いできますか?」
「いいけど……いや、それよりも!」
彼女の右腕を掴む。腕は、汗をかいているのかじっとりと湿っていて、滑りそうになる。
「突然すぎてわかんない!ちゃんと説明してよ!」
彼女は、私に掴まれた腕をじっと見つめたあと、視線をゆっくりと私へ戻す。辺りは、打ち寄せる波音と、海風が林を揺らす音に包まれている。
「わかりました、説明します。先ほどお話ししたように、貴方と交流していた人格、つまりこの身体の主人格は既に消滅しています。二度と戻りません」
「消滅……?」
「死んだ、ということです」
「それなら、貴方は……?」
「この身体と所持品を、可能な限り円滑に処分するために登録されている人格です。主人格消滅後に起動し、身体が崩れるまでに後片づけをします。もうよろしいですか?」
「早すぎる。わからないよ」
「時間がないのです。そうですね……」
彼女の視線が、私から外れる。視線を追った先には、私に掴まれた右腕があった。
「こうなります」
彼女が言った瞬間、腕を掴んでいた私の指が、彼女の腕に食い込んだ。
「え?」
私は、慌てて手を離す。彼女の右腕は、私の握っていた部分が赤く染まり、形がぐずぐずに崩れていた。
彼女は、崩れた部分から先の部分を左腕で掴むと、そのままもぎ取ってしまった。
「この身体はもう限界なのです。形を保つために苦労しているのです」
彼女の額には、球のような汗が浮かんでいた。
彼女は、私に背を向けると、再び海に向かって歩き出した。
砂に刻まれた足跡は蛇行し、右へ左へふらついている。
「あ、こら!」
私は彼女を追いかける。左側から、彼女の身体をそっと支えた。
「肩貸すわよ。身体、崩れたりしないわよね?」
「……善処します」光の加減だろうか。彼女は、うっすらと笑みを浮かべたように見えた。
きゅっ、きゅっ。
私たちが砂を踏む音が、波の音に混じって響く。
彼女の身体は流れるような汗に覆われ、呼吸も速くなっている。左側から彼女を支える私の顔に、ぐっしょりと濡れた彼女の髪がかかり、私の身体にも汗が流れていく。
「……はぁ、はぁ……すみません。服を汚してしまいましたね」
「貴方の服を借りるからいいわよ。自分の心配だけしてなさいって」
私たちの足に、波しぶきがかぶる。
一歩ずつ歩む。ほっそりとした素足に、波がかぶる。
足下の海水が、赤く染まりだした。
私にかかる重さが、ぐっと増えた。
「貴方……」
「もう少し、奥まで進みます」
やがて、膝まで海に浸ったところで歩みを止める。
彼女の感情のない瞳が、海を見つめている。
私は、ぼろぼろとあふれる涙を止められない。
私たちからこぼれる汗と涙が、海にぽたぽたと落ちていく。
「……」
「……」
彼女の身体が、少しずつ傾いていく。染みは大きく広がっていく。
「……あの」
「ん?」
彼女は、海を見つめたまま、つぶやくように話し出す。
「私……には、同輩たちのデータが搭載されています。……身体を処分する際のトラブルに、対応するためです」
「うん」
「……オーナー様にとって、私たちは死神です。罵られ殴られ、冷たい視線で見送られることが多いのです。周りをカメラで取り囲まれ、椅子に固定されたまま溶けていった同輩もおります」
「うん」
「……私とまともに話してくださって、こうして一緒に水へ入り、見送ってくださる方は、貴方が初めてなのですよ」
「……うん」
彼女の身体を支えきれなくなって、私の身体がぐらり、と傾ぐ。海に倒れる前に、大きな夕日が見えた。
「貴方のご友人も、幸せだったでしょうね」
「あんただって、友達よ」
答えは、聞けなかった。
海に落ちた彼女の身体は、すぐに泡となって消えた。
辺りに広がった赤い水は、波に洗われて溶けていった。
「私もすぐに、行くからね」
砂浜に残った着物を拾い上げる。潮水で濡れた服を着たまま、海岸から歩き去った。