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出世  作者: ざくろべぇ
7/7

Chapter.7  ~最愛なる人の話~



 なあ、テセラ。覚えてるか。

 お前は私に言ってくれたよな。欲のない男でいるのはもうやめにしろって。

 兵として生きるからには、将官すら目指して、頂点を目指して生きていくようにって。


 幼少の頃、私は帝国兵というものに漠然と憧れた。

 思い描いた立派な帝国兵様という人物像は、大人になって現実を見つことで打ち砕かれてしまったけど、たった一人、私が憧れた帝国兵様の人物像に一致する人物が、常に私のそばにいてくれた。

 テセラが私にとっての、理想とはっきりと一致する帝国兵様だったと、今では以前よりもよくわかる。

 気高くて、優しくて、強くて立派な、人を導く帝国兵様。そんなお前が出世していく姿を見て、お前を尊敬する人々は心から祝い、幸せな気持ちになれる。


 身分や血筋など無くとも昇格し、出世の道がある王国に移り住んだ私の目指す生き様は、かつて境遇に出世への道を閉ざされて諦めていた私に、一つの明るい夢を見せてくれた。

 一生懸命頑張れば、私もそれ相応に出世していって、その姿を見送ってくれる人を幸せにすることが出来るようになるんじゃないかって。

 お前のようにだ。なあ、テセラ。

 お前の生き様を目で追ってきた私の中で、私にとっての夢の実像は、幼い頃に漠然と思い描いた帝国兵様のそれではなく、いつの間にかお前の立派な生き様そのものに代わっていたんだよ。


 私は、王国の未来を定めるこの大一番に、手をこまねいて見ていちゃ駄目だよな?

 勝つか負けるかで、王国の明日があるか無いかの一大決戦、ここでこそ功を上げ、兵として優秀な姿を国王様や同僚に見せ示さなきゃ駄目だよな?


 その"功を上げる"というのが、かつての同僚であった帝国兵を、一人でも多く殺すことであったとしても。

 生まれ育った帝都を焼き払うことであっても。

 帝国兵たるお前の命を奪うことであっても。

 それが、王国兵である私が出世していくために、必要なことだと思うんだ。


 でもな、テセラ。別に出世だけを意識してそうするわけじゃないんだ。

 今の私は、王国のみんなが好きなんだ。お前のことを、友として好きになれたのと同じぐらい。

 みんなのために、やっぱり私は戦いたいよ。こんな時に、我が身と故郷可愛さに、戦争の終わりを何もせずに眺めていることなんて出来ないんだよ。そんな選択をする私に、私自身は絶対に胸を張れないと思うんだ。


 仕事が出来て、みんなに愛され、そんな奴こそ出世して、人の上に立つべきだと思う。

 なあテセラ。お前もそう思うよな。お前も、そう言ってたことがあったよな。

 そうあるべき奴が出世して、人の上に立つ姿を見せていくことが、若くして頑張る奴らにとっての励みにもなるんだよな。

 私にはよくわかるつもりなんだ。だって、強くて賢くて人格者だったお前が、出世していく姿を見送るたび、私は気持ちが良かったんだからさ。


 私は、戦う。目指す自分のために。今、大好きになれた人達のために。

 これが私の生き方だ。お前はお前、私は私だ。


 出来ることならこんな人生の節目を、お前と並んで歩いていきたかった。






「ちくしょう、裏切り者が……げは、っ!」


 大いくさの時に私が用いる得物、黒塗りの大鎌は混戦の中でもよく目立つ。かつて私の同僚だった帝国兵の目にはよくつき、私に群がる帝国兵の眼差しは憎しみに満ちていた。

 祖国を裏切り、帝都を攻め滅ぼさんとする私に向けられる憎悪の刃を打ち払い、私は一心不乱に大鎌を振り抜き続ける。肉を裂き、返り血を浴び、屍と化した元同僚を跨ぎ、戦場を駆け抜ける。


 王国軍を帝都まで侵入することを許してしまった帝国軍は、まさに背水の陣。

 出陣からここまでの長い戦道を、決死の覚悟で驀進してきた王国軍と、いよいよ滅亡の未来が現実味を帯びてきた帝国軍の必死さがついに釣り合いを持ち、帝都は極めて熾烈な市街戦の様相を呈していた。

 帝都への長い進軍の中、それを迎撃せんとする帝国軍との戦いとは、帝都での攻防戦は比較にもならぬ苛烈さだ。

 怒鳴り声のような仲間との連携口は連なり合い、焼け落ちる建物の倒壊音と、戦うすべを持たぬ民の悲鳴や逃げ惑う人々の足音が重なれば、音だけで帝都の大地が揺れているかと錯覚する。

 戦火から逃れきれずに火だるまにされた一般人や、銃弾あるいは魔法の流れ弾に命を奪われた子供達が街の至るところに横たわる中、帝国兵と王国兵もまた、次々と同じものに変わっていく。

 市街戦は地獄絵図だ。攻め込む方にとってすらそうで、攻め込まれる者達にとってはもっとだろう。


 一心不乱と形容した私の心持ちは、それ以外の言葉で言い表せない。

 裏切り者である私に屠られ、怨嗟の眼差しを開いたまま死体となっていく帝国兵。

 恋人達の待ち合わせ場所として有名だったオブジェが倒壊するという、平穏なる日々の崩壊を象徴する光景。

 火に包まれた建物の三階から、逃げ場を完全に失った男が、最後の希望を託して窓から飛び降りて、石畳の上で二度と動かなくなった一幕。

 戦う力を持たぬ街の人々が、生きたいと願いながらも戦火に巻き込まれて死んでいく姿。

 流れ弾により脚を傷つけられてもう走れない母の手を、早く逃げようと泣きながら引こうとする幼子。


 平常時なら目を背けたくなる光景をいくつも目にしながら、まばたき一つせず、殆ど無表情のまま私は戦場を駆け抜け続けた。

 降りしきる火の粉が私の肌に、針刺す痛みを突き刺しても気にならない。意に介する暇も無い。

 ただただ無心に走り抜け、今の仲間と大声で連携を取りながら、皇帝の貴族らの篭城する帝国城への道を駆け抜けた。


 つらいとは思わなかった。心に蓋をすることは、十年来の兵役暮らしで慣れていたのだから。

 悪魔に魂を売り渡そうと、戦争は勝った奴の天下だ。美学など要らぬ、敗北の先にあるのは滅亡のみ。

 王国にて出会えた敬える同僚や国王様のためと、はっきり割り切ってこの戦争に乗り込んだ私は、戦後己がいかなる苦悩に苛まれようとも構わない腹を積もっていたのだ。それが兵たる正しい生き様。

 王国を支えよ、本国の民に未来を拓け。理不尽な支配に苦しめられてきた王国に、新たなる時代の世明けをもたらせ。

 戦前己に言い聞かせたその信念を、戦場では言葉にすら思い描かず行動に顕し、ただただ私は殺害と放火、文化と命の滅を促す非道に手を染めた。


 間もなく帝国城に辿り着こうという時、私の前を行っていた王国兵の一団に、大きな稲妻が叩き落とされた。

 帝国兵による魔法の一撃だ。同様に、魔法を得意とする者がその一団に含まれていたため、その者が自分達へ下された稲妻に抗う障壁を生み出したから大事には至らなかったが、防ぎ漏らした稲妻の余波により傷ついた王国兵の一人が、吹き飛ばされて地に屈することとなる。


「そこか……!」


 その光景を前方に目にしていた私は、稲妻の全容を目の当たりにしていたこともあり、最も早くその稲妻魔法の術者の位置を逆算できた。大味な魔力の流動残影を逆算するのは、今や術士でもある私には容易なことだ。

 鎌を握らぬ左手に生じさせた火球を握り締め、稲妻を生み出した術者へと投げつける私には、戦場の粉塵と黒い煙に遮られて、相手の姿が見えていなかった。

 狙うは近場であった二階建ての建物の屋上。敵も術士だ、側面方向から投げつけられた私の火球を、素早く察して魔力障壁を生み出したか、火球が爆裂する光景は目で確かめたが、人の体に直撃させられた手応えは私に得られなかった。


 あれほど無心で戦場を駆け抜けてきた私とて、その爆風で粉塵や煙が吹き飛ばされたことで、その術者の姿を鮮明に目にした瞬間には目の色が変わる。


「テセラ……!」


 確かに目が合った。たった二秒。

 その二秒のうち後半、テセラが悲しげな眼差しを浮かべつつも、小さくうなずいた姿は私の胸をずきりと痛めさせた。


 テセラが首を回し、大きな、高い声で、同じ高所の狙撃兵か、あるいは地上の兵に指令を発する。

 二階建ての屋上、三階相当の高さから地上へと飛び降りた彼女は、居所を悟られた狙撃魔導士としての立場を捨て去り、白兵戦へと参じていく。少し私とは距離のある地上へと。


 それに僅かな時間、目を奪われていた私の背後から、剣を振り上げて駆け迫る者にはっとし、私はかろうじて返す大鎌を振り抜くことが出来た。

 私の頭を真っ二つにするはずだった剣を打ち払い、よろめく帝国兵に私も振り返って後ずさりながら、しかし重心を前に戻して踏み出すのは私の方が早い。

 相手が構えて防御の型を完成させるより僅か早く、沈み込むようにして脚を薙ぐ私の鎌が相手に食らいつき、ぐらりと傾いた帝国兵に、私の二撃目が完全にとどめを刺す。


 その瞬間、私の側面上方から感じた殺気に、私はテセラに発したのと同じように、左手に生じさせた火球をすぐさま投げつける。

 下膨れの弧を描いたその火球は、ある建物の屋上から私を狙撃しようとしていた魔導士の顔面に直撃し、しかし向こうが放った大きな火球もまた私に飛来し、地を蹴った私の直後に地面に着弾する。

 それによって生じた大爆発は石畳を吹き飛ばし、直撃を免れた私を吹き飛ばし、石造りの廃屋に私は背中から叩きつけられた。

 口の中が血の味に染まる。無傷でここまで来たわけではないのだ。進軍の中、連日の戦役で疲労も溜まる肉体は、その道中で痛めた内側に蓄積したダメージがここでよく現れる。

 屈してなどいられない、口の中に溜まった赤いものをべっと吐き、はあっと荒く吐き出した息と共に、私は笑いそうな膝に鞭を打って走り出す。

 帝国城は目の前だ。勝利はもう目前にある。最期までこの肉体を王国に捧ぐ覚悟はしてきたのだ。


 城門を間もなくに控える準最終防衛線の一団にぶち当たった私は、仲間達と共に帝国兵へと立ち向かう。

 この一団に敵陣営として混ざっていたテセラが、最も警戒すべき強兵だとわかっていながら、それを真っ先に仕留めに行かなかった私が、情によるものだったのかもわからない。

 ほぼ全滅状態に陥った帝国兵ら、残り二兵となった帝国兵の中、白兵戦を決して得意としないテセラが銀の錫杖を片手に、王国兵の振り抜く剣を一度打ちはじく姿は確かに視認できた。

 左腕をもう上げられず、左の上半身が使い物にならないことも、顔色の悪さからも、もはや彼女が限界に近いことは一瞬で察することが出来た。


 私がその次の行動を定めるより早く、錫杖の尻で地面を打ったテセラの発動させた魔法は、そこを基点に爆発を生じさせ、自分へと迫っていた王国兵複数を吹き飛ばした。

 その爆発は、爆心地に最も近かった、彼女自身も同様に吹き飛ばす。

 地面か建物に叩きつけられるか、あるいは上手く倒れずに堪えた王国兵に反し、自らの魔法で吹き飛ばされたテセラは廃屋の壁に背中から叩きつけられて、もう動かなくなった。

 胸を上下させてこそいるものの、もう立ち上がることも出来ないのだろう。右足が、曲がってはいけない方向に曲がって、建物の根元にぐったりと倒れたうつろな目を見ても、それは明らかだ。


 もはや戦闘不能となった魔導士など目もくれず、王国兵は仲間を気遣い、さあ行こうと帝国城への道を突き進んでいく。この準最終防衛線にて生き残った、最後の帝国兵を斬り捨てて。

 ぽっかりと戦場に開いた無戦空間の中、私もテセラと同じような生気の無い目で彼女を離れて見下ろしていた。見上げるテセラもそんな目で、心身ともに憔悴した私の目を映す鏡のようだった。


 そこに交わされたのは、表情による言葉無き対話でもなく、まして口を開いた会話でもない。

 死相に満ちたテセラの顔色と、割れた頭からどくどくと血を流す彼女の姿から、もはやテセラは助からないという事実。それを一方的に私が受け取っただけで、私がテセラにもたらした事実は己の実在しかない。

 故郷を攻め滅ぼす一員として、帝国城目前まで私が迫っていることに、彼女が何を思うだろう。

 そんなテセラの眼差しと向き合うことを怖がるように、私は仲間達に倣う形で帝国城への最後の道を駆けだした。

 放っておけば死ぬだけの彼女を見捨てて。最愛の親友を死地に置き去りにして。

 振り返ることなんて出来なかった。吐き気を催すほど気分を悪くしていたのは、打ちのめされた体が訴える不調のせいだと思いたい。


 きっと私は、もう耐えられていなかったのだと思う。

 城門が見えた。熾烈な攻防戦が繰り広げられていた。

 先行した王国兵と、その入城を何としても防がんとする帝国兵らの最終防衛線。

 城門上部や周囲の高所から王国兵を狙撃する射手や術士、地上で敵を迎え撃つ帝国兵精鋭らの厚い壁に、王国兵が果敢に突き進み、互いに押しも押されぬ激戦の様相だ。


 後続の形でそこに加わった私が、味方を追い抜き、敵の密集地に飛び込んでいくことに何の迷いも無かった。

 もう無理だ。生きられる心地がしなかった。戦後を生き永らえるには、己が罪深すぎて思えてならなかった。

 今の盟友の未来を切り拓くための手助けを命尽きるまで果たし、あとは地獄に逃げることしか考えられなかった。

 かつての同僚や先輩の血が沁み込んだ大鎌を振り薙ぐ私の口からは、自分でも形容しようのない叫び声が溢れ出ていたことだけ覚えている。

 その戦場でも私は数人の帝国兵を再起不能にし、矢で射抜かれても止まらず、吠え、屍の山を築いていく事実にまた叫ばずにいられない。


 目の前が白み、ぐにゃつく視界の中で肉食獣のように飛びかかってくる帝国兵に。

 崩れ落ちそうになりながらも得物を切り返し。

 敵を側面方向に斬り捨てると同時に私の体も流れ。

 正面視界が横向きに倒れる光景を最後に、私の意識はぷっつりと途絶えた。


 それが生まれ育った帝都の戦場で得た、私の最後の記憶だった。











 時を経て、目を覚ました私は王都の医療所のベッドに横たわっていた。

 ここが現世だとは思えなかった私に、ようやく目を覚ましたかと同僚が声をかけてくれても、私は何の反応も返せなかった。

 やがて頭が追いついて、生き延びたことを理解した時こそむしろ、私は意識が遠のいていきそうなほど(こた)えた。


 あの戦場、帝国城門前で殆どの帝国兵が討ち果たされた果てに意識を失った私は、友軍に担がれて前線を退き、終戦ののち帝都を離れたという。

 私は生存した。もっと、もっと、私よりも長生きすべきだった人々を差し置いて。

 極めて罰当たりな発想と言われようが、その時の私にはそうとしか思えなかった。

 思えば思うほど気分が悪くなり、ついには吐いてしまった私のことを、医療所の方々や同僚はずっと気遣ってくれた。

 何もかもが申し訳なくて、気が狂いそうだった。


 連日、半ば廃人のような有り様であった私も、医療所の方々の献身的な治療や治癒魔法の施しにより、一週間もすれば体が動くようになってくる。

 その期間、考えらしい考えも纏めきれず、医者に従うまま、体が動くかどうかを確かめるだけだった私も、ベッドを降りて歩けるようになって始めて、自発的な深い息をつくことが出来た。

 作り笑顔を描いて、同僚や医療所の方々に、お世話になりましたと口に出来たのもその時ようやくだ。不敬の極みと言えるほど遅く、後から思えば悔やまれて仕方がない。

 かの戦場で倒れてから実に3日間目を覚まさず、ようやく人と会話らしい会話が出来る精神状態になるまで一週間を要し、実に終戦から10日の時を経てのことだったから。


 私が生き延びて王都にて安静の暇を頂いている事実から察せるように、戦争は王国陣営の勝利で飾られた。

 同時に、帝国は敗北したのだ。滅亡を迎えたとも言い換えられよう。

 頭ではっきりその事実を理解した時、まずほっとした私の心情は正解に違いあるまい。

 故郷を焼き討った己の行動が結実した複雑さよりも、私が何のために戦う道を選んだかを思えば、理を詰めれば詰めるほど正しいはず。

 心の片隅にしがみつく、痛む想いを努めて封じ、同僚らとそれを喜び合うことに己の精神を向かわせ、ただただ私はこの結末を良しとした。

 とうとう生きて帰ることの出来なかった、王国兵の盟友もいる。

 しかし、勝利は多くの盟友の生存する未来も約束してくれている。

 これで、よかったのだ。私がはっきりとそう結論付けられたのは、今でも間違っていないと思っている。






 目を覚ました私に、国王様からの遣いが訪れ、王国兵としての私の地位の昇格を約束してくれた。

 一介の平兵士から、最も王のお膝元である城の守りを担う城兵への昇格だ。それに足る活躍であったと、私は評価されたのだ。

 歩くことが出来るようになったばかりの私を、仲間達は祝福してくれた。

 よかったな、って。お前が俺達の仲間でよかった、って。


 大出世じゃないか、って。


 そう、他国から移り住んできて数年足らずの王国兵が、城兵に任命されるなど、大出世と言って差し支えない。

 帝国で培ってきた戦人としての私の実力は、それに見合うほどのものと判断され、私はこの国ではっきりと出世街道に乗り上げた。

 そんな私を、一国の未来を定める戦役で目覚ましい活躍をしたらしいという私の出世を、仲間達は純然と祝い、喜んでくれる。

 私がかつて思い描いた、出世する者の最もあるべき姿だ。評価されるに値する仕事を果たし、相応の地位へと上昇し、周囲がそんな姿を見て妥当だとうなずき、祝い、後続の者が夢を見る背中を見せていく。


 テセラがそうであったように。

 私に、出世とはかくあるべしと理想的な後ろ姿を見せてくれた彼女に。


 その出世街道に乗るために私が為したこととは、故郷たる帝国を壊滅に追い込み、親友の命を奪う戦役への加担である。





 城兵への昇格を言い渡されたその時、私は一度帝都に行くことは出来ませんかと願い出た。

 当然、推奨はされなかった。私は、帝国の裏切り者だ。私を恨む者が帝国の民間人にいてこそむしろ自然で、帝都に踏み入った私が暴徒に命を奪われる可能性は、濃く予見されていたことなのだ。

 これから王国城兵として働いていく未来が見込まれ、つまり国王様にとっても欠かし難い一兵として生きていくべき私が、帝国に一度でも踏み入ることは本来あるべきことではない。

 

 それでも、故郷を攻め滅ぼす戦役に身を投じてくれたことへの恩賞とし、護衛をつけることを条件に、国王様は私に帝都へ訪れる許可を下さった。

 帝都への長い道を、私は殆ど歩かなかった。

 負傷上がりの体は辛かろうと、丁重に馬車が用意され、緩やかに私は帰郷を果たすことが出来た。


 帝都は焼け野原だった。戦争に勝利した王国は、未だ生存した兵への献身を最優先し、政治的な帝国への介入はまだ浅い時期である。

 せいぜい、勝利した側として交わすべき条約を結び、比較的動ける者を多数派兵して、帝都ならびに帝都近隣を監視していた程度だ。

 激戦と火によって粉砕された帝都の戦場跡は、体力の失われた帝国陣営に復興の目処が立つはずもなく、それに手を割く暇も義理もない王国側と相まって、戦後十日経ってなお廃墟のまま残されていた。

 諸行無常。私の知る限り、民や隣国から財を搾取し、王族や貴族と帝国兵だけが優雅に過ごしていた帝国城周辺は、灰と瓦礫ばかりの終わり果てた栄華の様相をありありと示していた。


 夢遊病のように廃墟の中を歩く私の目に、一つの崩れ落ちた廃屋が目に付いた。

 自分が長年過ごしてきた帝都だ。特に、最も職場周辺だった帝国城近隣だ。

 どこにどんな建物があるかなど全部わかっている。

 あの目まぐるしい大戦役の中でも、どこで何が起こったのかは覚えているのだ。


 テセラが力尽き、背中を預けていたあの建物は、今や完全に崩壊し、これ以上崩れ落ちようのない瓦礫の山と化していた。


 滅び果てた故郷の姿に、ずっとふらつくような足取りであった私も、それを見た途端に思わず早足になる。

 護衛についてくれていた同僚も慌てて私を追ってくれた中、私は無心に瓦礫をその両手でどけようとする。

 まるで、埋めた宝物を求める犬のように。あるいは、大先祖の遺骨に何かを(すが)らんとする原始人のように。

 どうした、何をしていると、心配そうな声を発してくれる同僚の声にも耳を傾けず、私は土を掘るように瓦礫をどかし続けた。頭がどうかしてしまった男の行動でしかあるまい。

 手が傷ついても、血が流れてもやめられない。息が荒くなる。その時何を求めていたのかも覚えているとも。求める何かが出てくることがないのを、頭の片隅でわかっていたことも。

 やめろ、やめろと私を引き止めようとする優しい同僚の手も振りほどき、駄々をこねる子供のように私は瓦礫を掘り続けた。やめられなかった。やめたくなかった。

 もうこいつは駄目になっちまった、と見捨てられてもおかしくない私の行動に、ならばと一緒に瓦礫を掘る作業に移ってくれた同僚の優しさって、きっと帝国では巡り会えなかったような縁だ。

 廃墟の片隅にある数人の男達の奇妙な行動、それを促した主犯を中心とする徒労の瓦礫漁りを、沈みかけた帝都の夕陽が西空から見下ろしていた。


 私はとうとう、テセラに会うことは出来なかった。

 親の死に目に会うきっかけを作ってくれたテセラは、確かに力尽きたはずのそこから姿を消していた。

 親友であり恩人でもあった彼女の死に目にすら、私は会うことも出来なかった。





 その後、王都に帰った私は、歩くことも出来たし誰かと対話することも出来た。

 だが、誰に言わせても生気の無い顔だったという。

 日に日に痩せてきている、大丈夫か、ちゃんと食うものは食っているのかと毎日心配された。

 大丈夫だよ、大丈夫です、と、相手を見て言葉遣いを変えるだけの私の言葉は、相手の顔を見る限り一切信用されていなかったように思う。


 実際、怪我が完治し城兵として働けるようになっても、私の勤務開始日は見送られ、しばらく心の整理をつけてくるようにと国王様に命じられた。

 故郷を攻め滅ぼした私の心の傷を慮っての、無期限の休暇を下さった国王様の計らいである。

 数々の恩に報いたく、体が良くなればすぐにでも働きたいと思っていた私も、勅命に従うほかなく自宅へと帰り着き、心身の療養に努めようと意識することになる。


 心にぽっかりと空いてしまった空洞は、何を以ってしても埋めることが出来なかった。

 私が復職するには、いくつもの条件が求められた。顔色が良くなることとか、髭をちゃんと剃ることとか、ぼさぼさの頭を正して数日外を出歩けるようになることとか。

 それらの条件も満たすことも出来なかったのだから、いくら時間をかけても私は立ち直ることが出来なかったということだ。


 2日おきか3日おきぐらいに、国王様から遣わされたお方が私のもとを訪ねて下さり、私が王国兵として復帰できるかどうかを確かめに来てくれた。

 顔を合わせた瞬間に常に言われる。まだ駄目そうだなって。

 一目見た瞬間からそう判断されるんだから、当時の私はそんな顔だったのだろう。実際、鏡を見て、頬のこけた自分を見るたび、そう言われるよなぁって自嘲したものだ。

 ご足労に応えることの出来ない自分を申し訳なく感じ、あるいはそんな自分をどうにかしようと思っても、どうにもならなくて。外出に足を向けても、日差しに明るい世界が色を失った白黒と錯覚する私に、好転の兆しは全く見えなかった。

 そうしてやがてひと月の時が過ぎてなお、私は立ち直れず、むしろいっそう体重を減らして、より足を動かなくさせていく一方だった。






 ある日、国王様から遣わされた方が、会わせたい人がいると仰った。

 つらい境遇だとは思うが、その者を家に上げてもよいか、と問われた。

 愛想も果たせているかどうかもわからぬが、その時の私は精一杯恭しく、どうぞお上げ下さいと答えた。

 いつまでも、こんな腑抜けを見放さずに見守って下さる、国王様と遣いの方への感謝の気持ちは失われていなかったが、一方でこの頃の私は、それを抱くのみでそれを行動力に力を持ち合わせてもいなかった。

 私に会いたいという奇特な何者かが、誰であるのか想像しようともしていなかった。


「さあ、入られよ」


 遣いの方に声をかけられたその誰かは、ゆっくりと私の目の前に姿を見せた。

 足が悪いのか、片足を引きずるような仕草でよろよろとだ。


「ぁ……」


 胸の前に手を結び、うつむきがちに私の顔をうかがうその女性の姿に、私は絶句の奥から溢れる声が僅かに漏れていた。

 帝都を滅ぼし、戦争に勝利して目覚めて以降、一度も大きく開かなかったであろう私の両目も、この時思わず大きく見開いた。


 彼女は、何も言わずに私と目を見合わせていた。言葉無く、口をぎゅっと閉じ、目に涙を溜めるような

眼差しで。

 ずっと止まっていた私の時間も、その時ようやく動き始めたのかもしれない。


「あっ……ぁ……」


 初めて立って、恐る恐る歩く幼子のように、私はよろよろと彼女に歩み寄る。相手は私を見つめていた目を一度伏せ、嗚咽するような声を溢れさせ始めた。

 私だってそうだ。ぼろぼろと零れ落ち始めた涙は、私の意志とは関係なくもう止まらない。


 どうして、お前がここにいるんだ。

 どうして、お前が生きてくれているんだ。

 どうして、私に会いたいと言って来てくれるような人物がお前なんだ。

 どうして、お前は今泣いているんだよ。


 もっと冷静だったなら思い浮かんだはずの問いの数々も、その時の私には考えられなかった。

 手が届く場所よりもさらに踏み込んだ私は、無思考の両腕を彼女の背に回し、苦しいほどの力を込めてぎゅうと抱きしめるばかり。

 どうしてそうしてくれるのかはわからないけど、彼女も両腕を私の脇の下から回し、ぎゅっと私の背に接した両腕で抱き返してくれていた。


 私は、帝国兵見習いとなったあの日以来、人前で泣いたことが一度もなかった。

 父を喪った時だって、一人になってから泣いた。

 男っていうのはそういうものだって、呑んだくれの親父から教えられて育ってきたんだから。


 私は呻き声のような泣き声を漏らし、ただただテセラを抱きしめることしか出来なかった。

 永遠に叶わぬと思っていたはずの再会は、それは現実なんだよと教えてくれる彼女のぬくもりに後押しされ、埋まることの無かった私の心を、あの日以来初めての感情で満たしてくれていた。






 あの日、帝国陣営は敗北した。皇帝は討ち取られ、帝国城は崩落の一途を辿り、高らかに王国側の勝利を唱える戦旗が帝都に掲げられた。

 私が帝国城へと駆け去る姿を見送ったのち、やがて意識を失ったテセラは、その結末を見ることは叶わなかったそうだ。


 彼女が目を覚ましたのは、帝都の片隅の民家であったという。

 驚くべきことに、最も熾烈であった戦場に倒れた彼女を救ったのは民間人だったのだ。


 戦争に勝利した王国兵らのその後の仕事は、主君を失い絶望した帝国兵に引導を渡すことであり、軸を失った帝国兵らは帝都各地で次々と粛清されていった。終戦後、立ち直った帝国兵らが復讐の刃を王国に向け得る未来を阻むための、容赦なくもあるべき軍事的判断というやつだ。

 そんな王国兵の目に、既に事切れたようにしか見えぬテセラは留まらず、彼女に残党狩りの刃は向かなかった。

 放っておけばそのまま世を去るだけであったテセラは、しかしとどめを刺されることなく、ずっと廃屋に背を預けて命を残されていたのである。


 王国兵らが撤退したのち、言葉は悪いが火事場泥棒を好むような奴もいるわけで、滅んだ帝国城周囲を徘徊する乞食みたいな奴らもいたわけだ。

 歯に衣着せずに言わせて貰うが、帝国の庶民の皆様方は、ひどい圧政に揉まれて育ってしまったせいもあるのか知らないが、結構お行儀の悪い人が少なくない。そういう人達、私は嫌いではなかったが。

 下町でも優しい帝国兵様で通っていたテセラの姿は、そんな者達の目にも留まったようで、愛された彼女は死んだようにしか見えぬ姿ながら、彼らに生存を確かめて貰えた。

 テセラの心臓が動いていることを確かめたその者達は、急いでテセラを帝都の片隅、つまり再び王国兵が帝都に帰ってきても見つかりにくそうな場所に彼女を運び、庶民ぐるみで彼女を手厚く介抱していたのである。


 目覚めたテセラにとって、戦争の結末がショックであったことは想像に難くない。

 特に、庶民や町医者の治療、素人治癒魔術では彼女を癒すには不充分で、片足がもう一生使い物にならない可能性も示唆されたという。

 絶望的な目覚めだっただろう。自殺を選んでもおかしくなかったと思う。

 それでも彼女は、生きる道を選んでくれたのだ。優しき人々、彼女の人徳が得た人々の愛に守られ、それに応えるべく治療に専念し、ようやく動ける体になった今、私に会いに来てくれた。


 彼女と再会を果たした翌朝は、前日までのことが嘘であったかのように、目覚めよく朝を迎えられた。

 同時に思った。それはきっと、これからずっと変わらない想いだ。

 勝利して立ち上がれなかった私と、敗北して故郷を失ってなお立ち上がったテセラ。

 帝国兵であり、王国入りしようものならその場で粛清されてもおかしくない立場ながら、私に会いたいと王都の門を叩いてくれた、一途な行動力が彼女にはある。

 帝国兵になってからずっと張り合ってきた彼女に、私は明確に負けを認めたことが無かった。実際、どんな仕事に取り組んだところで、彼女に劣った結果を導いたことは無かったと自己評価できる。


 だけど断言する。テセラは私よりも強い人間だ。

 十年越しで張り合い、互いに高め合ってきたと自負する相手に、勝敗など度外視ではっきりそう思えてしまうほど、再び私の前に姿を見せてくれた彼女の姿は、私にとってはまぶしいほど気高く映った。

 敵わない。






「体の方は、もう大丈夫なのか? 足を引きずっているようだが……」

「今は完治しきっていないけれど、じきに昔と変わらないように動かせるようになるとは言って貰えてますわ」


 再会を果たしたその翌日、再びテセラは私に会いに来てくれた。

 私の家の庭で立ち話、言い換えれば私も日の下で立ち話が出来るほどにはなったらしい。昨日の今日で何なんだと同僚に文句を言われても全く反論出来ない。


 ご挨拶直後、この国に入って大丈夫なのか、許されたのかとは私も早めに尋ねたが、きっちりこちらの国王様の許可も貰って宿に泊まっていたらしい。

 本来ならばどう考えても見過ごせぬ対象でありながらも、私の旧友であるという一点をただ重視し、傷心の私を慮って特別にお赦し下さったっていう。

 確かにテセラの話はこちらの国でもそこそこしたことはあるけど。帝国兵はクズばかりだが、一人だけそうではない奴がいるって話を酔うと私も好んで話したものだけど。あんまりにも頻繁にその話を同僚にする私のせいで、多分国王様の耳にもそれが入ってしまってたんだろうけど、それにしたってだよ。

 本当、うちの国王様の寛容さには言葉も無い。


「……帝都の皆様がお金を持ち寄って下さって、異国の良いお医者様にかかるよう促して頂けたの。私は祖国を守ることも出来なかったのに……あれほど人の優しさが身に沁みて、人前で泣いたのなんて初めてでしたわ」


 あぁ、そりゃ泣く。かつてなら、お前みたいなお転婆でも泣くことがあるんだなって軽口の一つでも叩いてやっていたところだが、それは無理ってものである。だいたい、私にそれを言えた口かと。


「おかげ様で、あと二ヶ月もきっちり安静にしていれば元気な足になると、向こうのお医者様にも診断を頂けました。完治したら、帝都の皆様にもちゃんとお礼を言いにいかなくてはなりませんね」

「そんな中で、私なんかに会いに来て大丈夫だったのか?」

「推奨はされていませんわよ。ごねた私に、少々渋りながらも許可を下さったお医者様には感謝するばかりですわ」


 そこまでして会いに来てくれた奴に、どうやって昔のように軽口を叩けばいいんだろうな。

 長いこと会っておらず、その辺りのやり方も忘れてしまって困る。文通の書面なら完全に昔からの語らいが出来たのに、久しぶりに会うと出来ないっていうのが不思議なものだ。


「明日にはもう、お医者様の所へ帰るつもりですわ。私もこの立場、この王都に長居するのも決して良いことではありませんしね」

「……今後はどうする? 怪我が治ったら、帝都に帰るのか?」

「それも難しいかしらね……敗軍の兵に過ぎぬ私が、帝国の皆様と顔を合わせるのは耐え難いものがあるのも事実ですから」


 ずきりと胸が痛んだが、もう考えても仕方の無いことだ。

 そんな戦争の結末を促した一人が私だ。だが、テセラの口はそれを責めるものではない。こいつは、そんな皮肉を好むような奴ではないのだ。

 そんなつもりではないのに暗い顔をしては、それこそテセラを気に病ませることになると思う。彼女の言葉に小さくうなずくだけの私は、胸の痛みを顔に表さないよう出来ていただろうか。


「ただ、私も前向きに生きる方向では考えていますのよ」

「ふむ?」

「手厚く癒して下さるお医者様、ひいてはその方が過ごされる街に移り、私はそこでこれからの人生を歩んでいこうと思っているの。流れ着くように助けを求めた私を快く受け入れ、不治とさえ思われたこの脚に再び希望を与えて下さった方に、恩返しをしていきたい。

 ……この王国に立ち寄ることも出来ませんし、帝国に帰ることにも前向きになれない私の選んだこの生き方、貴方の目には逃げと映るかしら?」

「そうは思わないよ。相変わらず、お前は強くて義理堅く、正しい道を選べる慧眼を持っているとしか感じない」

「な、なんだか照れ臭いですわ……あなたがそんなに分厚く賞賛してくれるのは、ちょっと気味悪くさえ思いますわ」

「ふふ、そうか。でも、本音だぞ」


 祖国を失って間もないというのに、これだけ未来設計を出来るなんて、戦争に勝ってなお塞ぎ込んでいた私と比べてどうだ。本音であることは幾重にも強調できる。


 テセラと再会できたことで、髭も剃り、ぼさぼさだった髪も正し、比較的血色の戻った顔色で人と話せる自分に戻れた私にとって、いかに彼女と永遠に会えないことが利いたのかは自分でもわかる。

 無二の親友だ。最大の恩人であった父と並べても劣らぬほど、私にとっては大切な人だ。

 そんなテセラが今、希望ある人生を想い描いていることを目にするだけで、たまらなく胸が満たされる。

 出世論の何たるかを私に教えてくれた彼女は、今なお以ってしてその続きを私に示してくれていた。


「それにしても、聞きましたわよ。貴方、あの日以来ずっと殻にこもりっぱなして、皆様心配されているようで」

「お恥ずかしい。お前に知られたら、何時間説教されて然るべきなんだろうな」

「あら、別に。誰が何を言っても聞けない人を叱る価値などありませんわ」

「最も手厳しい」


 ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。甘んじて受け入れてしまう自分を、受け入れるしかない自分を恥じる感情を得られるのもまた、彼女に出会えたことに端を発するんだから、勝てないなぁと思う。


「さっさとそのだらしない顔を正して、誇りある城兵の仕事に従事なさいな。心身整えてしっかり励めば、貴方はもっともっと高みを目指せる人物なんですから」

「重いなぁ。自己評価最低としか出来ぬ今、そんな過大評価をされても胸に沁みないよ」

「あぁ嫌ですわ、本っ当美点の欠片も無い謙虚、正しくは卑屈。貴方がそんなだと、貴方を唯一無二の私と釣り合う男性と認めた私の名折れだというのに」


 勘弁してくれよ、と素で言いかけた私だったが、ずいと私に一歩近付くテセラの行動に、その言葉は封じられる。

 彼女の眼差しは攻撃的じゃない程度に少し鋭く、その眼力は黙って聞けではなく、お聞きなさいと優しく私に訴えかけるかのよう。


「私は貴方に言いましたわよね? 出世するに値する実力者であり人格者たる者は、相応に昇り詰め、祝福されて後続の者に安心と憧れ、夢をもたらすのもまた使命と」

「ま、まあ……そこまで言葉多くは言われなかったが、そうだとは読み取ったよ」

「貴方は私が、そうあるべきと認めた数少ない人物。今の無様には特別目を瞑ってあげてもいい。だけど必ず、そうした本来の貴方を取り戻し、この国の万人に認められる人物になって貰わないと私が困るのですわ」


 私よりも背の低いテセラがさらに私に近付いて、ぐいっと背伸びする。

 彼女の目線の高さは私より少し高くなり、それでもしたいことに顔の位置が届かなかった彼女は、ちょっとだけ体がぴょこっと浮く程度に、つま先を伸ばして最大限以上の背伸びを一瞬だけ叶える。


 彼女の唇が私に触れたのが、それと同時の出来事だ。


「……私の、初恋の方なのですから」


 頬を赤らめ、伏せかけた目を落とさず、真っ直ぐ私の目を見据えてそう言う彼女に、私の返す言葉は何も無かった。

 感想なし。この時に明確に何か想えって言われても、ちょっと難易度高いと思いませんか。


「ずっと昔から想っていたわけではありませんわ。あなたが帝都を離れてから、気付いた気持ち。……もう、遅すぎましたわね」

「……………………いや、あの」


 無意識にそう発した私の言葉の続きが何であったのかはもうわからない。

 言いかけた私の言葉は、目を閉じ首を振った彼女に遮られ、永遠に実現しない世界へ追いやられた。


「貴方はこの国で、のし上がる。もうこの国を、離れることはありませんわね?」

「……ああ」

「私はもう、この国に住まうことは叶わない。きっともう、共に暮らすことは出来ませんわ」


 テセラの言うとおりだ。今になって、秘めていてもよかった想いを発しつつ、もっと早く気付いていればと惜しむ目で微笑むテセラの表情に、私の胸は今までと全く違う意味で痛んだ。


「貴方と私は、道を違えた。けれど、それは私達にとっての喪失ばかりではなかったはず。貴方は貴方を評価してくれる人々に巡り会え、私は帝国とは異なる、心から尽くせる方々に出会えた。そうでしょう?」

「……そうだな。ああ、その通りだ」

「貴方は、私と永遠の親友同士では、満足できない?」


 後から思えば恐らくに、人生最大の最大の難題を問われたのがこの時だと思う。

 私も一瞬考えた。私にとっての最愛の親友に対する、最善の回答をどうしてもしたかった。


「……親友で、いいとも。世界で一番、大切な親友だ」


 私に恋心を抱いてくれたという女性に対する、私が精一杯絞り出した回答だ。

 その答えで、彼女ががっかりすることを恐れた私は、目はテセラの顔に向きつつも焦点を合わせず、彼女の表情を視認できなかった。


「世界で、一番だ」


 ほとんど間を挟まず、必死なぐらい強く念押しした。

 すまない、これで許してくれと。お前を満足させられる答えじゃないかもしれないけど、これが私の精一杯なんだと、私は息を呑み込んだ。


 それでも彼女は、上品な足取りで私との距離を詰め、優しい腕で私を抱きしめて。


「……やっと、100点」


 喜びに震え、涙ぐむような声を私の耳元で発し、ぎゅうっと私を抱きしめてくれた。











 その日を最後に、テセラには会っていない。

 彼女の新たなる住まいに文を送り、返信をゆったりと待つ文通生活だけが続いている。

 王都と帝都に分かれ住んだ時のような、返事を受け取っては翌日に返事を出すような早いものではなく、月に一度、互いに手紙が届き合うような頻度になった。

 どちらかに恋人が出来たら、この文通はやめにしようという約束も結んでだ。

 それで文通が続いている時点で、二人とも縁さっぱりということでもありますが。


 テセラは武人としての力量としてではなく、魔導士としての手腕を活かし、向こうでは魔法学を研究する一人として、あるいは多目的に仕事を果たす魔法使いとして生活しているそうだ。

 まあまあ上手くやってますわ、と手紙を貰えれば、ああ上手くやってるんだなって確信できる。あいつはどこに行っても仕事が出来る奴だ。昔のような角の立ちやすい語り口も、大人になってすっかり薄まったし、人間関係も良好に築いているだろう。

 プライドが高い割に見栄を張らず、上手くいかないなら上手くいくように努め、高いプライドに反しない結果を導く彼女であるのは、私が一番よく知っているのだ。

 顔を合わせずとも、月に一度の文通で吉報を知れるだけでも、彼女と私を繋ぐ絆は、私の心を温かく満たす太陽のように(きらめ)いている。


 ひと月以上も心配をかけてしまった私は、心身ともに整えて復職した時は、正直どんな顔して国王様や同僚に顔を合わせようと憂鬱気味だった。

 皆様こっちが申し訳ないぐらい優しくて、よかったな、頑張れよと、喜び、迎えてくれるわで、自己評価では激烈マイナスからスタートの気分だったが、腐ってもいられないので必死で働いた。

 初日から頑張れたのは、なんだかんだで私は仕事の出来るタイプだし――と言ってみたいところだが、やっぱり王国の皆様の温かい力添えあってのことは勿論、テセラのエールもあってのことだと思う。

 流石にそこは驕っちゃいかんところである。メンタルコントロールのためには、たまに自信過剰になってみたりするのはアリなのだが、ここは流石に。


 "私の初恋のあなたである貴方には、並の貴方では困る"


 そこまで言われて頑張れないようじゃ、やっぱり男として駄目と言わざるを得ない。

 本当の意味で、私がテセラの声援から独り立ちできるようになるのはいつになるんだろうなぁ。


 その甲斐あってかつい最近、兵としてはやや異例、内政に関して少々意見をくれと言われるようになった。

 戦争に勝利した王国側は、敗北した帝国の領地をまるっと頂いたわけで、そちらの体制の再構築にも意識を割く必要が出来たらしく、私はそちら側にそこそこの発言権を与えられたというわけだ。

 これも出世と言うのかな。そちらの土地柄をよく知る身として、王国育ちの者よりも利があるからというのもあるが、声を求められている時点で、ある程度は執政者様に頼りにされているのだと思いたい。


 今や私はこの王国が大好きだ。もっともっと、この国を良くしていきたい。

 そのためには、人を導ける器を持ち、その地位を出来るだけ高く昇り詰め、その手で良き未来を築く一人者になることが一番なのだろう。

 帝国兵であった頃には考えもしなかったことだけど。

 そんな夢を抱かせてくれるのが、今の私が住む王国という場所だ。

 地位を高めれば責任を問われることも多くなり、心労の種も増えるだろう。若かった頃の私はそれを忌避し、血統により昇格できないことを言い訳に、人の上に立つことを無意識に避けていたように今では思う。


 だけど、故郷ではないとはいえ、愛国心を持てる今では心から上を目指すことが出来る。

 出世し、その手で人を導く立場となり、多くの人を幸せにすることを前向きに目指すのも悪くないと。

 今の私の人生は、希望に満ちている。幼い頃に想い描いた夢とは異なり、しかしそれよりずっと良い。




 テセラから受け取った手紙の返事を書き終える時、いつも湧き上がるのは感謝の念だ。


 前向きに生きんとする私に常に活力をくれる、唯一無二の親友に。

 私を受け入れ、今の環境に巡り会わせてくれた、今は亡き先代国王様に。

 塞ぎ込んだ私を見捨てず、改めて傍にお仕えさせて下さる現国王様に。

 満たされた今の私の毎日を語る上ではずせない、優しさに満ち溢れた同僚に。

 外様であったはずの私に、今日も笑顔で挨拶してくれる王国の人々に。


 そんな私の今を築くための礎を作ってくれた、帝国兵になりたいと願った私の夢をずっと支えてくれた、今なおその顔を忘れ得ぬ父に。

 私自身もずっと気付くのが遅れたけれど、貴女に出会えてよかったと心から思える初恋の人に。


 自分一人だけで大きくなれる者など、この世に一人たりともいまい。

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