Chapter.6 ~決別の話~
私は新天地、故郷帝国のお隣さんである王国、その王都に移り住み、役所に赴き正式に国籍を変更した。
今まで隣国と読んでいた場所が、この日からは私にとっての"本国"となる。さあ、第二の人生のスタートだ。
私は小さな商会と契約を結び、ものを輸送する時に護衛につく、専属傭兵のような職を得た。
人による治安に満たされた王都から外に出れば、そこは法治の及びきらぬ少々危険な世界。
たとえば半日で辿り着ける町へ、馬車を引いて麦やらどっさり届けたりするだけでも、その道中で狼の群れに襲われでもしたら大変。それならまだいい方だが、野盗の群れに襲われたりしたらもっと大変。
行く場所によっては魔物だって出る。これが一番怖い。子牛ほどの体躯で、額から一本角を生やした兎のような魔物が群れを為して襲ってきたら、狼や野盗なんかよりもよっぽど恐ろしい。そこへさらに、鷹のような大きさの鳥属の魔物の多重襲撃があったりすると、もっと最悪。
それなりに帝国兵として腕を慣らした私は、自分で言うのも何だが、そんじょそこらのその日稼ぎの傭兵よりも荒事には慣れている。
テセラが魔法を得意としていたのもあって、私も二十歳を過ぎてから魔法を学び始めて、今ではそれなりに実用的な戦闘用魔法も扱えるようになっている。
火を纏う剣ぐらいなら簡単に作れるぞ。使い所は特にないけど。
そんなわけで、私一人が交易の護送に付き添えば、それだけで傭兵十人ぶんのはたらきを為すとの評価を頂き、新しい職場ではいい具合に居場所を貰えることになった。
そのぶん商会は護送用傭兵を雇うはずであったお金が浮くし、利潤も大きく、私への賞与もそこそこ振る舞ってくれたこともある。
帝国よりも本国の人達は人当たりも良く、外様の私にも優しくしてくれて、国籍を移したのは正解だったと感じるまで時間はかからなかった。
転機は思ったよりも早く訪れた。
勤め先が王都内であったことも関係あるのだろうが、こちらの王族様の耳に、私の働きぶりと実力が届いたらしく、畏れ多くも城へとご招待頂けたのだ。
私も自分の腕にはそれなりに自信もあったが、まさか王様にそれをご評価頂けるだとは流石に驚きだ。
同時に、良き人材だと思えばその者の身分に関係なく、己が城に招かんとする王の度量というものも、血統に依存した人材の集め方を最善とする帝国に慣れていた私にとって、軽くカルチャーショックでもあった。
畏敬の念を抱くまま、謁見の間にて国王様と再会した時、なんと、そなたであったかと言われた時には驚いたものだ。
確かに私は、以前帝国兵であった頃、国司貿易隊としてこちらの国へは何度か訪れているが。
随分昔のことであるのに、私のことをちゃんと覚えてくれていたのだ。当時の私がやたらと接点を求めたがったのは事実だし、そういう意味では印象に残りやすかったのかもしれないが、それにしたって流石に国王様に、一緒に飲みませんかと持ちかけたことは無いぞ。
国王様と顔を合わせたのなんか数度である。それでも覚えてくれていたのだ。
祖国ではすっかり失っていた皇帝への敬意に代わり、本国の国王様に深く明確な敬意をこの時抱かせて貰えたことが、城に招いて頂いて得た最大の収穫である。
それがあまりに大きすぎるからそれを一番としたが、与えられたのはそれだけではない。
その力を活かして、我が国を守る兵となってくれぬかという申し出。私はそのために招かれたのだ。
なるべくクールに振る舞いたかったのだけど、流石にあまりの嬉しさに、肩がそわそわしていた気がする。
勿論、すぐには返事できなかった。何せ私は、この本国を植民地状態としている帝国において、元は帝国兵として、理不尽な租税をまき上げに来ていた人間の一人である。
そんな、本来憎むべき対象であってもいいはずの外来人を、兵という光栄なる仕事に就かせるという器の大きさには、いくら嬉しくとも、いいんですかの想いの方が勝る。
国王様は、兵にも意見を集めて同意を得られていると答えてくれた。確かにおぬしの危惧するとおり、少々複雑な顔をする者もゼロではないが、それもそなた次第では解決していけるのではないかな、と、激励に近い言葉まで授けてくれる始末である。
話は極めて速やかに進み、国司の兵が私の職場であった商会に話をつけに行ってくれた。
私が王様に招かれて城に赴いた三日後が、私がその商会での最後の仕事の日。護衛業が主たる私が、その日だけ倉庫整理に回されて、要するに仕事の最終日に商会本館を離れない。
その夜は、元締めを含む、ある限りの商会の働き手が集まって、私の送別会を開いてくれた。
何もかもが、この国は温かい。私が帝国兵を辞めて祖国を離れたあの日、見送ってくれる奴なんか一人もいなかったのに。最後の夜に一杯付き合ってくれたのはテセラだけだった。
あの国の何が陰湿かって、つい最近まで親しくしてた奴さえもが、私が国を離れると知った日から、徐々によそよそしくなっていく所なんだよな。国全体がそうとは言わんが、いかんせんあの国の皇帝周りの社会は封鎖的過ぎて、同国の同朋でなければ身内と認められないきらいが根底にあるからいけ好かない。
元々わかっていたことだけど、テセラってあの国において、相当に珍しい良識人だと思う。
まだまだ二十代後半、体が元気で伸び代も見込める年頃に、王国兵という誉れ高い仕事を仰せつかるようになったことは、風向きの良い私の人生を言い表すには充分なことだった。
帝国に残ったテセラとは、月に何度か手紙を寄越し合う形で連絡を取っていたのだが、私が王国兵に就職したことを手紙に綴ると、祝福の手紙が返ってきていっそう嬉しい。
何行か、私の就職を祝う言葉を綴ったあと、ただしこれがゴールではありませんことよ、もっともっと上を目指して精進なさいと、説教臭い文章が続く辺りも、あいつの声が頭の中に蘇ってくるようで可笑しい。
あいつ、私が相手だと妙に厳しいんだよな。欲の無い私を見ていてイライラするとは言っていたが、顔を合わせなかったら機嫌を悪くする必要もないということか。
相変わらずだな、なんて思いながらも、私も顔を合わせず文面上なら、ちょっと粋がったことを気楽に書けたりするから不思議なものだ。
来年の今頃には、私が佐官格に昇格した報告を寄越せるかもしれないぞ、なんて調子こいたことを冗談に綴ったりも。無理無理、一年でそんなに昇格できるわけないでしょうがっていう類の冗談。
ちなみにそれを書いてる所を、職場の女中に見つかって言いふらされた挙句、にやにや近づいてきた先輩方に、おうおう腕が立つからって調子こいてるみたいだなと散々いじられたりもした。不覚。
はっきり言って、ここまでの人生の中では、この頃が一番充実していたと言い切れる。
温かい職場、良き主君、そもそも空気からして心地よい風土。無粋なことを言えば収入も安定している。
兵役入りする前の職場であった、商会の皆様とも良好な関係は続き、一杯酌み交わしに行くこともしばしば。
生涯最高の親友であるテセラとも、顔こそ合わせずとも文を隔てて繋がりを持ち合っている。
究極的に我が儘を言って、親父が生きていてくれていればもっと最高だったなという程度。
誇張無く、何一つ不満のない毎日がしばらく続いていた。
この幸せがずっと続けばいいのにと、祖国では決して抱けなかったであろう想いを抱くにすら至っていた。
運命の歯車にひびが入ったのは、国王様が急逝されたことに端を発する。
私が王国兵となって、僅か一年半ほどの時のことだ。
国葬に参列した人の数は当然のように多く、特筆すべきは涙した人々の数だろう。
民に愛された、良き国王様だったということだ。その魅力の片鱗に短い時間触れただけの私ですら、きっとそうなんだろうなとわかっていたほどの人物である。
やはりその最期に、その人物が成し遂げてきた功績は嘘をつかない。
良政を敷き、民に愛され、指導力にも優れた名君が、やや病弱で、長い天寿だけには恵まれなかったというのだから、世の中儘ならないものである。
若くして先立たれた国王様には、跡継ぎが一人しかいなかった。
つくづく不幸なことだが、この国の王妃様も既に早世なされており、王位を継承できる者が、国王様唯一の御子様しかいらっしゃらなかった。
まだ成人もされていないその方が新国王として王権を継ぎ、本国は新しいスタートを切っていくことになる。
新たなる主君が若過ぎることもあって懸念はあったものの、こういう緊急事態時には王様周囲も、我々がしっかりしていれば何とかしていけるはずだと、力を合わせていくものだ。
恐らく私の祖国では、同じことが起こったら利権争いでも起こって、内から国が大荒れするんだろうなと思う。きっと帝国に限らず、そうなる国家は少なくないだろう。
それを思えば、お家騒動も無く、さらに言えば暗躍する者の気配もなく、揺れる王国をいち早く安定させんと王族から兵士、貴族や富豪までもが一致団結して明日へと前向きに動くのだから、当初から抱いていた私の印象以上に、やはりこの国は素晴らしい。
正直、そうは見えてもその裏では、良からぬことを考えている奴がどこかにいたりしないかと、私はけっこう警戒していたのだが。どちらかと言えば、楽観的になるよりは、この方が正しい懸念だと思う。
私も引っ越してきて二年経たぬ身、決して本国の方々に愛国心で張り合える気はしなかったが、恩深き先代国王様の遺したこの良き国が、妙なごたごたで波打つことは避けたいと心から思った。
しばらくの間の私は、少々目つきが悪かったと思う。それだけ、まだ見ぬ敵を見逃したりしないよう、きつく目を光らせていたということだ。
結論から言うと、そんな心配すらも杞憂であったのだ。
本当に平穏で、良い国だ。時が経てば経つほどに、この国への敬意は深まる一方だった。
だから、新体制に移ってから僅か一年で、唐突に激動の日が訪れるとは夢にも思わなかったのだ。
その動乱とは、外部がこの国にはたらきかけてのものではなく、何者かが若き王の玉座を揺るがさんとするお家騒動でもない。
私は知らなかったのだ。先代国王様の代から密かに、緩やかに焚かれつつはあったものの、君主の急逝によって実現が遅れ、しかし時を経てついに灯されることになった、大いなる火のことを。
長く、長く、この王国を植民地扱いし続けていた、帝国への反乱。
すなわち、私が新天地に選んだこの国が、私の祖国に独立戦争を仕掛けるという大事変である。
一国が一国に戦を仕掛けようという気配というものは、下準備の段階であるならまだしも、いよいよその時が近づいてきた頃合いともなれば、自ずと何やら匂い始めるものだ。
実際私が、漠然としたきな臭さを城内に感じ始めたのとほぼ同時期、元帝国兵であった私にも、当代の国王様から、近々そういう戦があると知らされたものである。
祖国と敵対する立場となった私を慮ってくれての告知であり、言い換えれば、いよいよそんなことをわざわざ場を設けて私に伝えてくれたということは、もはや実現不可避の戦であることの表れでもある。
戦列に並べとは言わぬ、と国王様が仰って下さったのは、せめてもの私への配慮だったんだろう。
毎月恒例、国司貿易隊をこちらに遣わせる帝国の慣習は継続されていたわけで、帝国は定期的にこちらの国に接点を持ち続けている。
なんとなく、不穏な空気はわかったんだろう。開戦の少し前なんていう時期は、どんなにその空気を表面化させまいと双方がしたとしても、兵役に務める者達の鼻を刺激する何かを漂わせる。
慇懃無礼で本質的には威圧的な国司貿易隊の連中も、なんだか以前よりも物腰が柔らかかった。
確かにこの王国側の空気を読み取れてしまったら、でかい顔し続けるのも怖くなるんだろうな。暗殺され得る敵地の中にいるような心地で。
普段でかい面した帝国兵が、こうして縮こまっている姿を見ると、たまにはいい薬だと思うのが本来の私である。あいにく私はテセラと違って、そんなに性格のいい方じゃない。
それでも、この時少し萎縮している帝国兵の姿を見て、あまり笑ってやる気分にはなれなかった。
私も、元帝国兵だからなのか、この不穏な空気には複雑な気分だったから。
しかし、国威では帝国の方がはっきりと上である。兵力も帝国が勝っているし、定期的な搾取によって国力に傷を負わされている王国側は、その辺りのディスアドバンテージも大きい。
傍目には無謀な戦と思われそうな、小国から大国への挑戦であると言えただろう。
それでももう、始まることは避けられないところまで話は進んでいた。
私に与えられた選択肢は、その戦列に並ぶか否かだけである。それを私の一存で良しとしてくれただけでも、当代国王様は寛容であった方だ。
テセラとの文通は続いていたが、やはりその内容もその一件についての話題が多くなる。
普段以上に、元気にしているかと綴るペンに力がこもったような気もするが、不思議なものでテセラの字からも同じようなものを感じるんだから、直筆の文通とは思ったより心を通じ合わせられるものだと思う。
手紙越しに尋ねられた。
"貴方の故郷であると同時に、私が守るべきとされる帝国、
貴方はそれを滅ぼすための一兵として、戦陣に並ばれるおつもりですか"
私の苦悩は深かった。まさにそんな時、こんな文を寄越してくるテセラには、悪い感情も良い感情も沸いた。
人の気も知らずに、とは思った。
私のことをよくわかってくれている奴だな、とも思った。
矛盾している。だけど、確かに共々思えた抱けた感情だ。
長らく帝国に植民地扱いされていた王国が、その帝国に反旗を翻して、これより起こらんとしているのが今回の争乱だ。
飼い犬が手を噛んできた、それに対して帝国が下す処断とは極刑に他ならない。相手を自分達の飼い犬だと言い表すには、恩を買うほどのことを今まで殆どやってきていない帝国だが、支配者側というのは驕るものである。
この戦争、帝国陣営の勝利に終わることあらば、王国側はほぼ間違いなく、地図の上からその名を消す。
王族や貴族、有力な力を持つ富豪枠に含まれる者は軒並み皆殺しにされ、王国兵らも抹殺されるだろう。きっと王都も火の海に包まれ、黒焦げになった大地に塩を撒かれ、二度と人が生きる場所として蘇らない。
財力でも、武力でも、完全に二度と帝国に刃向かうすべを奪われた王国から、指導者たりえる王族の血筋さえも奪い去り、王国の領土であった全てが、帝国陣営のものと化す。
戦後に残るのは、帝国の領土が広まった地図上の事実だけとなり、これまで何百年も築かれてきた王国の歴史は完全に途絶える。二度とその後の世界年表に、名を復権させることは無くなるだろう。
王国から見て、この戦争の敗北は、王家の根絶と王都の壊滅を意味し。
そしてその後も生きていく国民すべてさえもが、今まで以上の強い、帝国の支配に縛られて生きていかざるを得ない、そんな暗黒の日々を確約されることを意味している。
だから王国陣営は、決して負けられない。
その王国兵に属する私が、国の未来を定めると言っても全く過言でない、そんな戦役で手をこまねいていていいはずがない。
もしも王国陣営が勝ったとして、そんな大切な時に何もしなかった王国兵として、どうやってその後も続いていく王国歴の中で、私はあなた達に仕える王国兵ですと胸を張れるというのだ。
そして、負けられないのは帝国陣営もそう。
王国陣営は、今まで長らく続いた帝国からの支配から解放されたい。
武力で勝るとされていた帝国に、二度とそれによって王国を支配される可能性を剥奪しなければならない。
勝利条件に、帝国の完全壊滅を含むのは王国側も同じということだ。
帝都を壊滅させ、王族を根絶やしにし、帝国兵を抹殺し、財力を抱える者達をも根絶することが求められる。
そこまでしてこそ王国は、二度と帝国陣営の強い支配に縛られる未来は無いと、国民に約束することが出来るのだ。せっかく戦争に勝って、帝国の厳しいたかりから解放されましたという結末を勝ち取っても、その後また帝国に再決起される可能性を残していては意味が無い。
私の属する王国がこの戦争に勝利する時、その時消される命の中には、帝国兵の中でも有能な佐官も含まれる。
テセラも決して例外ではないということだ。
何周想い巡らせても、私の為すべきこととやらは揺るがない。
この戦争に、王国陣営はどれほど懸けているだろう。自分達の命は王君も王国兵にとっては当然、加えて彼ら彼女らが愛する、民の命運をも背負って賽を投げているのだ。
今の私は王国兵だ。それに殉じたことをしないでどうする。
現国王様は私に、故郷を滅ぼさんとする陣営に力を貸したくないならば、敢えて決着を見守るだけでも良いと言ってはくれている。
それに甘えて、国とそこに住まう人々すべての命運を懸けた一大戦争に、王国兵たる私が手をこまねいていて何もしないというのは、決して許されるべきことではない。
私が逆の立場だったら、そんな奴を今後本当の意味で、仲間と見做すことが出来るかどうかわからない。
仮に誰かが、そんな道を選んだ私を許しても、私自身がそんな自分を赦せないことは想像できた。
この王国に移り住んできた身、そして仮に戦争に王国陣営が勝利するとして、その後この国で胸を張って生きていくためには、私が選ぶべき道は一つしかなかった。
一兵として、帝国を滅ぼさんための一刃として戦場に立つべし。王国兵を名乗るようになった私に、課せられた使命はそれに他ならない。
そう、戦わねばならない。帝国を滅ぼすために。
テセラを、殺すために。
戦争の結果に、妥協された結末など無い。
テセラから受け取った、問いを記された手紙に私が返事を書くよりも早く、出陣の日は訪れた。
手紙を介してテセラと交わしていた会話は、彼女からの一通を最後に、私の言葉を届けることは叶わなかった。