Chapter.3 ~帝国兵になってよかったと思った時の話~
税収にあたり、どうしても重い税に耐えられそうにない庶民の税を、私やテセラが自分の小遣いで立て替える小細工はしばらく続いた。
このやり方には色々問題もあったし、皮肉を垂れられることも多かった。
私達の手で助けられる相手の数は限られていたし、限界が近くなれば私達もそれが出来なくなる。
例えて言うなら、私達の私財で月に十人を救うのが限界だとするなら、十一人目以降には同じことは出来ない。そうなると十一人目以降は、どうして私達はこちら側なんだと言いたくもなるだろう。
そういう発想から偽善者だと陰口を叩かれたこともあるし、正直カチンときたのだが、甘んじてその批難は受けることにした。言いたいことはわかるしな。
偽善という言葉を進んで使いたがる奴に限って、その言葉の意味を正しくわかっていないのが殆どですわ、とテセラが吐き捨てるように言ってくれたおかげで、いくらか溜飲が下がったのもある。
話がわかる奴はわかってくれたし、言っては何だが私は下町では珍しく、評判のいい帝国兵だった。
税収の鬼とされる帝国兵、表面上は腰が低くとも庶民はみな煙たく思うものだが、私にはその根拠が適用されない。
普通の帝国兵とは異なり小遣いの少ない私は、自炊を面倒がって外食する時も、下町の居酒屋に行くのがせいぜいなのだが、おかげ様で下町の商売人には、私はけっこう歓迎された。
悪く邪推するなら、媚びを売っておいて、もしも私達の所に当たった時は――なんて発想があっても驚かないが、広い帝都で私が一部の店に当たる確率なんて、天文学的な数字である。
だからそんな邪推は要らないのである。庶民に対する当たりが強くない私を、庶民らは単に快く受け入れてくれて、私はそれが嬉しかった。
こうして結果がゆっくり実を結び始めると、生き甲斐にもなってくるのだ。
帝国兵とは本来、祖国の平穏を守るべきものだと聞いて育ってきた。実態とは異なるも、帝国の礎にもその条文は刻まれている。
所詮建前に過ぎなかったそれに、少しでも自分が近づけている気がして、そう思えれば前向きになれた。
私は他の帝国兵のように大人にはなれなかったが、私なりのやり方で、民と近付くことが出来る帝国兵としてあり続けることが出来る。
救える人など一握りでも、悪政に苦しむ人々の助けになれているはずだと自信を持つことは出来た。
これを実感させてくれたのが下町の人々であって、テセラにも一度下町に遊びに来いと行ってみたことがあったのだが、これがまあつっけんどんに拒否されるのだから困りもの。
私が庶民の集まる汚い店になど行けますか、と。まったく、その高すぎるプライドはどこから来るんだ。
お嬢様だからかな。だったら仕方ないね。うん。
「テセラ様かい? それならこないだ、うちの店にも来てくれたよ」
「ほほう? 詳しく、どうか詳しく」
「あまりこういう場所には慣れていないのかそわそわしておられたし、料理に対してもカルチャーショックを受けたのか表情が堅かったが、なんだかんだで完食してくれたし、悪いもてなしをしてはいない……と、個人的には思いたい」
「ほほう、ほほう、楽しんでおられたと」
「うーむ、俺の方からそう言うのはちと畏れ多いが、楽しんで頂けたとは思っている」
「へぇ~、そうか、私にはあんなことを言っておいて。そうかそうか」
そのことをからかってやったら、顔を真っ赤にしたテセラがビンタしてきたのは言うまでもない。
予想していたからビンタは食い止めてガードしてやったともさ。直後ローキックが飛んできたがね。怯んだ隙にビンタされた痛みは、翌日まで続いた。
しかしまあ、恥ずかしいものを知られて、真っ赤な顔になって震えるあいつの姿はたまらなく面白かった。いやはや、痛かったには痛かったが、あれはビンタされてもお釣りが来るいい見世物だった。
居酒屋のおっちゃん、グッジョブだぞ。いい情報をどうも。
さて、こんなことをしていれば出世街道からはずれると思われそうなところだが、どうだろう。
私は民から財を搾り取れという国の意向を汲まず、私財を投げ打つ形で庶民らに甘くしているわけだ。これを王族が疎ましげに思ってもおかしくない、という可能性も私は考えていた。
答えは、特に関係ない。王族やら貴族やら、我ら帝国兵よりも上に立つお方は、結局のところ集まる銭さえ集まれば文句は言わないのである。利得を己らに集中させる貪欲なお上ではあるが、その貪欲さは私達にとってはいい意味に転がり、お偉い様から私達にお咎めが来ることは特に無かった。
私が一般兵から全く昇格できず、出世コースから大きく逸脱していたのは、己の行いによるものではない。
私とテセラが22歳になった時のこと。テセラが一般兵を卒業し、数人の兵を纏めるいち兵長の地位に就くことになった。
あんまり褒めたい相手ではないのだが、何せ彼女は私から見ても優秀だ。魔法を駆使した魔物退治におけるはたらきも良く、デスクワークをやらせても上手にやる。少々口が汚いのはもはや単なるちょっとした個性であり、人を導くのも上手である。
私よりも優秀かって言われたら譲らんけどね。でもまあ、彼女の昇格は妥当だ。もっと早くてもよかったとさえ思う。
「テセラも明日から兵長だな。今後はお前にも、敬語を利かねばならんようになるわけか」
「…………」
「くぅ~、屈辱的だなぁ。今後は公式に、お前に顎で使われる形になってしまうんだなぁ」
もうこんな軽口も、100パーセント通じる間柄になっていたものだ。
認めたくないが、やっぱり私はこいつのことを、良き友人だと認識できるようになっていたらしい。兵長になったテセラに敬語を使わなければならない今後を思うと、寂しさを覚える気持ちの方が強かった。
友達に軽い口を利けなくなるのって、やっぱり寂しいと思いませんかね。ひとえにそれだけだ。言った言葉の通り、こんな奴に敬語を使うなんて屈辱的、なんて想いは一片たりとも無かった。
「……貴方も昇進してくれれば、また同じ口を利けるようになりますわよ。だから……」
「よせ、私には無理だ。お前だってわかっているだろう」
「それは……」
「私は、平民だからな。決して、今の地位よりも上に行くことはあるまいよ」
何年も兵役を続けていれば、流石にわかってくる。
この一年前、テセラと同い年かつ、彼女よりも遥かに愚鈍で使い物にならない、カスみたいな奴が兵長に昇格した時、私はすべてを悟らされた。
仕事は出来ない、上司に媚びを売るのも下手、口の利き方もなっていない、純粋な能力でも世渡りの上手さでも、どこをどう見てもそいつがテセラに勝っている部分など一つもない奴だ。
そいつが昇格できた根拠はただ一つ、血筋である。
そもそもこいつは、王族に使える貴族の三男坊であり、帝国兵になれたのも裏口を用いてのものだ。実際、明らかに武術の心得も、二十歳超えても15歳当時の私やテセラに劣るほどお粗末だったしな。まともな手段で帝国兵になれたわけがないとは、元から思っていたのである。
要するにこいつは、貴族として上流社会に混ぜるのも難しいバカ息子で、それでも我が子は可愛いから不自由はさせたくないとした親が、王族に頼んで帝国兵に混ぜ込んでいたという話。
こいつの給料も、乱暴に搾取した血税から払われたもので、自分達の税金がこんな奴のお小遣いになっていると知ったら、恐らく人民の怒りは生半可なものではあるまい。
そんな奴でも、実績なくとも、昇格つまり昇給させて貰えるのだ。こんな奴よりずっと仕事の出来るテセラを差し置いて。
ここまで知れば、出世に必要なものが功績や人望ではなく、血統のみに依存するものだと否応無しに
理解できる。
貧民上がりの私など、皇帝や王族の目には全く留まっていないだろう。腐りたくはなかったし、あまり投げやりなことを考えたくはなかったが、それを悟ってしまった時、私は己の出世街道を諦めるようになっていた。
物分かりがいいんだぞ、私は。王族辺りは私のような貧民上がりの一般兵など、普通に平民として暮らすよりも裕福に過ごせていいだろう、それで満足しておけと言うだろう。
まあ確かにそうだな、って納得できるドライさを持っている私は、どうもさほど野心を持っていないタイプの人間なんだろうなって、後からわかったものである。
「……悔しくないんですの?」
「この国は、そういうふうに出来ている。そこに生きる以上、その倣いには従わねばなるまい」
「ああもう……! あなたのそういう所、嫌いではありませんが今日は気に食いませんわ!」
だろうな。私もこんな奴、傍から見て頼りないと思うよ。向上心ないと思われても仕方ないもんな。
「だったら質問を変えましょう……! あなたは、一途に頑張っている人が評価されず、いくら努力しても報われない、そんな社会に憤りを感じたことはありませんの!?」
「それが私だって言ってくれてるなら、珍しくお前が私を褒めてくれているようで驚愕する」
「はぐらかさないで! ええ、私は貴方を評じています! 私が知る限り、貴方は帝国兵の中で――いや、この国に生きる者達の中で最も気高く、私には最も敬える一人ですわよ!」
さすがにちょっとびっくりした。
いや、私もテセラの普段のあれこれには悪態つきながらも、人間的にはそこそこ敬意を払ってはいたともさ。だからかむしろ、逆があるとはちょっと想像していなかった。
「もう一度尋ねますわよ! 貴方は、一途に頑張っている人が評価されない光景を見て、何とも思うことのない人間ですの!?」
「…………」
「今の私がその心地です! 貴方がどれほど努力しても、恐らくそれが報われ、評価されることのないであろう現実を直視している! 私の憤りが如何ほどのものか、貴方に想像できますの!?」
ああ、そうだな。一生懸命働いて稼いだ金も、無情な帝国兵に搾取され、苦しい生活を強いられる平民を見るたび、私の胸の奥がちりちりとざわついたものだ。
今でも変わっていないよ、思い出すだけでむかむかする。
一途に努力を重ねて日々を生きる者には、相応の報いが与えられる、そういう社会を私だって望んでいるさ。
でもな、テセラ。この国はそうじゃないんだ。
生まれた時に、生涯の貧と富を定められ、それに抗えないよう社会そのものがそのヒエラルキーを推奨している。
皇帝という、誰も逆らえない人物が、他ならぬそいつがこの国を、そうあろうとしている。それを取り巻く王族や貴族もそうなんだ。
国威を支える帝国兵という武器に、奴らは恩恵をもたらし手なずけている。庶民にこの世界を覆す力は無い。
私達が夢見る、努力に見合った何かがもたらされる理想郷は、決してこの国では成立し得ないんだよ。
「……なあ、テセラ。お前の気持ちは嬉しいよ。だけど、あまりなじるのはやめにしてくれないか」
「でも……!」
「曲がりなりにも、私は私なりの生き方を見つけることが出来たんだ。今さら叶わぬ夢を見て、それに焦がれる悪夢をもう繰り返したくない。お前にそう言って貰えるずっと前から、私はこの現実に気付いて、それに折り合いをつけてきたつもりなんだよ」
「っ……」
「お前が私に、敬意を払ってくれていることはわかった。きっと私の選んだ道は、それに対する裏切りでもあるのだろう。だから……っ?」
ひっぱたきが手癖だったテセラが、私の額を拳で軽く、こつんと叩いた。
得意技がビンタ、サブウェポンにローキック、そんな攻撃的なお嬢様の、思わぬ弱い一撃にかえって私が怯む前、伏せた顔でテセラは絞った口元を震わせている。
「……ええ、見損ないたいぐらいですわ。貴方がそんな腑抜けだったなんて、正直がっかりですとも」
うん、私もそう思うよ。流石にこの時は、テセラに申し訳ないと思った。
「いいこと、よくお聞きなさい……! 私は明日から兵長の役に就き、貴方の上官となりましょう! 貴方は私に今までと同じ口を利くことの許されない、私に一切の反抗を許されぬ一人になることを存じていますわね!?」
ああ怖い怖い、明日からどんなこき使われ方をするんだろう。あんまり怒らせていい奴じゃなかったなぁ、立場的にもこいつの性格的にも。
「貴方は明日以降も、私に今までと同じように口を利きなさい……! 一日早いですが、そう命令しますわ!」
「はあ、何だそれ。よくわからんのだが」
これ私、間違ったこと言ってないよな。首をかしげてそう言ったら、胸ぐらを掴まれたんですが。
「貴方は私が認めた数少ない、民の安寧を志せる数少ない帝国兵! 豚にも劣る周囲の雑兵などと同じく貴方を扱う私だと、貴方の方こそ見損なわないで下さいまし! 上官である私に敬語を使わずに接せる特別な一人であると、私は貴方をそう示しつける! ここまで言えば私の真意もわかるでしょう!」
すげえ汚い言葉をお使いになるその目に宿る激情が凄すぎて、流石に私も息を呑んだ。
女に強く迫られて、無言でうなずくことしか出来なかったのは初めてである。同じ剣幕で十歳年上のおっさんに凄まれても、怯まぬ肝の持ち主だとは自負しているつもりなのだが。
「返事は! さあ、答えなさい! 貴方は明日から、言葉遣いでも私に諂うのか! 私が友人と認めた貴方は、明日からも私を友と認めてそれらしい接し方をしてくれるのか! 返事はハイかわかりましたか! さあどちら!」
断るという選択肢はないんですね、明日からの上官様。
思わずこの空気で笑ってしまったのは失礼だったが、私は悪くないと思いたい。
「わ、わかった……わかったよ、明日からもお前とは普通に話そう。周りからは妙に見られるかもしれんが……」
「構いません! 私が説明をつけるだけです!」
ようやく胸ぐらを離してくれたが、突き放すような離し方でちょっと首が痛んだ。その痛みもあまり気にならないぐらい、テセラの情熱が嬉しくも感じられたけど。
「いいこと!? 今日私が貴方に言ったこと、今後二度と言いませんことよ!? 決して忘れず、貴方の胸に刻んでおきなさい! 愚民!」
「一言多いよ。なんでそれを言わなきゃ締められんのだ」
「愚かしい貴方にはお似合いの言葉です! 身分の差を笑う他の連中と一緒にしないで下さいまし! 愚かな民、まさしく貴方を言い表すに適切な言葉でしょう!」
変わらないねぇ、こいつは。世の中には、ほんとは性格はいいけど素直になれず、ついつい口が汚くなっちゃう奴っていうのがそこそこいるらしい。それを可愛いと呼べる属性と認識する人もいるらしい。それはわかる。
でも、こいつはそういうのじゃないと思う。ほんと思ったことを素直に口にするタイプだから、素直になれないとかそういうタイプじゃない。
要するに私は、素直にディスられているわけだ。うん、怒っていいな、意地悪してやっていい場面だな、絶対。
「話は変わるがテセラ、お前この間また下町に遊びに行ったらしいな。変装して行ったらしいがバレバレだぞ」
「はへっ!? な、何故あなたがそれをっ……!?」
「言っておくが店のおっさんからのタレコミではないぞ。常連の客から聞いた情報だから、店のおっさんを見損なう誤解はされぬように」
「あっ、えっ……そ、それは、その……」
「おかしいなぁ、庶民の薄汚い下町の店には行かないんじゃなかったのかなぁ。それがお気に入りの店まで見つけて通うようになるなんて、私の知らないところでどれだけ……おわわっ!?」
「う、失いなさいっ! 記憶を全てっ! 全部っ、全部全部全部うっ!」
「待て待て待て、頭はやめろっ! お前の腕力で殴られたら後遺症が出るっ!」
顔を真っ赤っ赤にして、握り拳で私の頭を全力ぶん殴ってこようとしやがるので、この時ばかりは全力で防御、応戦した。
何せ兵役慣れした名うての帝国兵のナックルである。側頭部をぶん殴られたら、本当に記憶を失うほど失神させられてもおかしくない。
「わかった、わかった、忘れるからっ……! 命に関わるっ、どうかお収めをっ……!」
「信用なりませんわあっ! 忘れてっ、忘れてえっ!!」
あんまりからかい過ぎるのはやめよう。腕力で来られたからなんとかなったものの、魔法をぶっ放されてはちょっとやばかったかもしれない。そんなことする奴じゃないとは思ってるけど。
あぁでも、昔からは考えられなかったことだな。こいつを、こんなに好きになれるなんて。
異性として見るのはちょっと難しい、もう絶交したくない友人だとは、はっきり認識できるようになってしまえたらしい。
世の中、わからんものだ。昔思い描いていた、立派な帝国兵という夢潰えた後、その旅路の中で出会えた絶対に反りが合わないと思っていた奴と、こんな間柄になって、あまつさえそいつに支えられている。
帝国兵を目指し、そうなったことも、この点に関しては良かったとさえ思えるよ。そうでなかったら、こいつと出会うこともなかったんだもんな。