Chapter.2 ~帝国兵になってからの話~
18歳で晴れて正式な帝国兵となった私だが、幼心に夢見た帝国兵というものと、現実との差に悩むことが増える。
戦乱無き平穏な時代ゆえ、帝国兵と言ってもその本質は武力を必要としない役人のようなもので、本国の治安維持組織として機能が最たるものだ。
それは結構なことだとも。せっかく帝国兵になったのに、培ってきた武力を戦に活かせないなんてと残念がる変な奴が意外に多いことには少し辟易したが、あいにく私はそっち側ではない。
テセラもこっち側の少数派である。そういう意味でのみ、あいつとは気が合ったような気がする。
こういう考え方の持ち主が少数派というのが、そもそもどうかと思っていたが、どうも私が思っていたより、私の祖国はいい所ではなかったらしい。
帝国兵に昇格してから初めての月給を手にした時、その金額には正直目を見開いた。平の兵士の初任給が、私の父の約半年分の金額ではないか。
あらあら庶民は大金に見慣れていないのね、とテセラに笑われたが、私はその時リアクションを返す気分にすらなれなかった。いつものように言い返してこないの? と、テセラが少し怪訝な顔で私の顔を覗き込んできたが、要するに私はそういう顔をしていたんだろう。
この時、わかった。帝国兵という仕事を目指す者が数多い、本当の理由がだ。
幼い頃から薄々感じていたことだが、この国は身分の差による貧富の差が極めて極端だ。
その、富の字が意味するところは、王族と貴族と、それに携わる職を持つ者。
そして貧の字が意味するところは、それ以外のすべてのことだ。
そもそもテセラもどこぞの名家の生まれとは聞いていたが、初任給を受け取るや否や、その一部を我が家に向けて仕送りしていた。
要するにテセラの育った名家というのは、確かに私よりも遥かに裕福な家ではあるが、所詮は平民の域である。
正式な帝国兵となった長女テセラの得る給金、その仕送りが実家を喜ばせるような利益を生むほどに、名家と言ってもその本質は、帝国の平兵士に劣る貧民ということ。
二年ほど帝国兵としての生活を続けて、王族や貴族に距離はありつつも関わりを持つようになると、そんな馬鹿な話がなぜ実現するのかもわかってくる。
たとえば隣国では、王とは民のためにあるものだと言う。
我が国にはそうした概念は看板のみに刻まれ、王にとっての民の本質とは、自らの至福を肥やすための隷属でしかない。
この国における、真の意味での富豪というのは、元より王族の広がった血筋を持つ限られた貴族と、決して表沙汰には出来ないような方法で利益を上げ、王に多大なる献金を為す悪党のことを言う。
そうした者達にのみ、国民から重い税で以って集められた資金は活用され、皇帝とそれを取り巻く"選ばれた"者達が優雅に暮らしている。
それが本質、帝国兵もまたその範疇に含まれている。
帝国兵を目指す者が絶えないわけだ。そしてその数が限られているわけだ。王族に仕える者は、それだけで、それ以外の人生を歩む者達より大きな利を得られるのだから。
そうした理念によって集った者達だから、私がかつて夢見た、誇るべき皇帝と我が国を守るために兵役を志した気高き帝国兵というのは、まったくの皆無であったのが現実だ。
戦乱無き世であるがゆえ、兵の動きが内向きになり、役人としての職務が多くなるのは先述のとおり。
その役人としての仕事のうち、私がどうしても好きになれなかった仕事が税の徴収だ。
税収に携わる者にはノルマというものが定められる。それを達成できなかったら、兵としての仕事が為せているとは言い難く、減点され、仕舞いには退役すら命じられることもある。
だから税収に携わる者は、何としても徴収対象から税金を搾り取ろうとする。手段など選ばない。
確かに我が国の法も他国のそれと同じく、非道なることには罰が科せられる条文がある。
反吐が出るのは、その行為が国益に繋がるものであればその例ではない、と解釈できる条文が添えられていること。
つまり税を徴収する、国に利益を上げるためなら、殆どの強行的手段は許されるということだ。
帝国兵となってからの私達に、先輩兵が徴収の"手本"らしきものを見せてくれたものだが、あまりにもその手筈は粗暴で、荒っぽく、搾取される側の血や涙を見ることが多かった。
商売が上手くいかず、税金の支払いが遅れている商人を殴ったり。
寝たきりの祖父を養うための金が足りないと嘆く若者に、穀潰しの老人など井戸に投げ落とせと言い放ったり。
病弱な娘を医者にかからせるお金が足りない、税を待って下さいと頼む"母親"に、"いい仕事"を紹介してやろうかと下種な目で言ったり。
今月はどうしたって無理なんですと土下座した男の家に上がり込み、家具のいくつかを強引に持ち出したり。
穏便に税収が進むのは、安くもない税金をちゃんと民が支払えた時だけである。その時ですら、相手が貧しく見えれば見えるほど、来月に向けての釘をねちねちと刺す嫌らしさを垣間見せる。
これが庶民虐めでないのなら、他に言い表せる適切な言葉が果たしてあるのだろうか。
帝国兵になる前に私の友人だった者の一人は、厳しい徴税の中でひどい目に遭わされたことがあるらしく、ふとした時に町で顔を合わせた時、帝国兵となった私を憎々しげに睨みつけたものである。
幼き頃に私が憧れた、我が国を守る帝国兵という美しき夢は、帝国そのものによって打ち砕かれた。
帝国兵見習いになるため、帝国兵に昇格するため、勉強に手を尽くした日々の中でも、それに気付きかけたことも確かにあった。目を逸らしていただけだ。
たとえ目を逸らさなかったとしても、ここまでだとは思わなかっただろうけど。
テセラもそうだったのだろう。先輩の手を離れ、私達だけで税収をするようになり、ノルマを課せられるようになってから、私達は月末が近付くたび、共に酒を呑むことが多くなった。
「上手くいってます……?」
「いってるよ。嘆かわしいことだがな」
「そう……あなたも、先輩達のようになっていくんですわね……」
「…………」
帝国兵がいかなる手段を尽くしてでも、人道に反する手と口の使い方をしてでも、税収に躍起になるのは、したくもないが理解は出来た。ノルマを達成できなかったら、やがては退役を命じられ、今度は平民になる。
つまり、厳しく搾取される側に回るのだ。
一度帝国兵になり、苛烈なるこの国の庶民に対する扱いを知れば知るほど、帝国兵はその手に容赦が無くなっていく。ある意味、合理的かつ悪質なスパイラルだ。
税収を経験した者は、される者の痛みを知り、そちらに逆戻りすることを恐れる。何も帝国兵になった者達が、すべてがすべて始めから、ああした手段を好む者ばかりではなかったと思う。
それでも隷属に落ちぶれる自らを想定すれば、やるべき道は決まってくるのだろう。厳しい、厳しい税収のやり方に手を染める。
わからなくはなかった。長い時間をかけて、いや、ここまでの人生をそのために捧げてきたと言ってもいい、そうして帝国兵になったのだ。今さらその道を捨てて、どうして虐げられる側に進んで転べると言うのだ。
そうして自分の地位を守るため、"やるべきこと"をやり続ければ、自分の将来は約束できる。
やがて誰かと結婚し、家庭を築くことがあったとしても、裕福に家族を、大切な人を養っていけるだろう。実際この頃の私も、唯一の家族である父には、社会人として胸を張れるほどの仕送りが出来ている。
大人になるっていうのはそういうことなんだろうな、と割り切るべきなんだと思う。
それをするには、私もテセラも若すぎた。良くも悪くも、私達は秀才な方だったから。
18歳で正式な帝国兵となる者なんて珍しいのだ。二十歳未満でノルマを背負って、税収に携わる奴なんて殆どいないのだ。
ある意味、もう少し年をとって、社会のあれこれを知って"大人"になってから帝国兵に就職した方が、人によっては楽だったんだろうなと、この時強く思ったものだ。
「テセラ」
「……あまり今の私の顔を見ないで下さる? 人に見せられるような顔じゃ……」
「聞いてくれ、一つだけ提案がある。お前にしか話せないことだ」
彼女が言うとおり、苦しむ庶民から半ば強引に金を毟り取る仕事を誇れないテセラは、日に日に顔色を悪くしていたものだ。
初めて出会った時は、口がそうじゃなきゃ上玉なのにな、と思った美人顔も、疲れ果てて色を失っている。
何だかんだで付き合いは長いのだ。自分だけでやろうとしていたことに、彼女も巻き込もうと思ったのは、もしかしたらこれによって、テセラも救えるんじゃないかと思ったからだ。
私の持ちかけた提案に、テセラはすぐにうなずいてくれた。
私もそれをしようと思っていたけど勇気が持てなかった、一緒にやってくれる人がいるなら踏み出せそう、と言ってくれたテセラを見て、私は間違っていなかったと思えた。
ああ、やっぱりこいつは悪い奴じゃないんだって。言ってみてよかった、って。
「……まったく、知恵足らずの貴方に勇気を貰うなんて、ガードリア家長女として生涯最大の失策ですわ」
「ああ、まったくだ。お前みたいな奴を一瞬でも気遣ったのは、私の生涯最大の失策だったよ」
普段と何ら変わらぬ毒舌をぶつけ合い、しかし笑い合って手を握り合ったこの時、通じ合う心が心地よくさえ感じたのは酒のせいだ。間違いない。
だって相手はテセラだぞ。普段の言動を思い出してみよう。うるさいぞ。
私がテセラに提案したのは、別段たいしたことじゃない。
徴収に赴いた際、税を払うのが苦しいと言ってくる相手がいたら、その誰かさんが払えなかった税金を私達が、私財を投じてまかなおうっていうだけの話。
簡単な話である。ノルマさえ達成していれば文句は言われないのだ。私達は庶民をいじめるようなことをせずに済むし、私達が退役を恐れる必要もない。
おかげで帝国兵として就労しているとはちょっと思えないぐらい小遣いが減ったが、それでも私達にとってはストレスの種が減ることの方が大事で、大きな苦には感じなかった。
個人的に思うんだが、人がなぜ金を稼ぐのかって、つまりは健全な生活を営むためであって、仕事に従事して精神を病むのでは本末転倒だと思うんだが、どうだろう。
予想していた弊害はやはり訪れるのだが。
おかしなことをする奴らだと、身内の帝国兵に思われることに関しては、想定未満の被害で済んだ。
変人扱いで留まらず、妙な言いがかりをつけて絡まれるかもしれぬという想定もあったものの、そこまでのことは発生しなかったからだ。最悪、お前達がそんなことをしていたら帝国の威信に関わると厳罰を下される覚悟も少々していたのだが、そうならなかったのは幸いである。
ただ、帝国兵の私とテセラの名が、"税収に甘い"二人だと広く認知されたのはやはり良くない。
そうなると私達が税収に訪れた時、仏心を見せて貰えると思って甘える奴らがわんさか現れるのだ。
良くも悪くも、この国に住まう者は、他の帝国兵の苛烈さに鍛えられて慣れており、それらと同じ事あるいはそれ未満をされても耐えられるようになってしまっている。
だから他の帝国兵と同じように、強行的な手段に出られない私達に対しては、粘って粘ってなんとか税金を払うまいとする。お涙頂戴の話を捏造して私達の慈悲を乞うたり、何時間粘ってもすいませんすいませんの一点張りで、こちらが帰るまで食い下がったり。
流石に最初っから舐め腐った態度で、税金なんか払いませんよの態度で来た奴をぶっ飛ばしたことは
あったが、一度庶民らの間で広まった定評はなかなか覆らない。
私もテセラも、見るからに余裕があるのに税金を払うまいとする奴には厳しく取り立てるようにしたものの、やはり当初の想定よりは純税は集まらないようになり、私達の個人的資金による立て替えも苦しくなってくる。
「随分とお前も、庶民的な格好になったなぁ」
「服を買うお金も残らないんですもの。まったく失礼な話ですわ、誰が税金の立て替えをしていると思っているのかしら。人の気も知らないで、善意に甘えて手揉みする下民ばかりで嫌になりますわ」
「ふふ、そうだなぁ。ま、私も庶民側なら同じことをするだろうがねぇ」
「そういう貴方はどうですの? 元々節制家……というか、発想の貧しい貴方は、そもそも貯えなど必要としないのかしら?」
「節制家認定の時点で留めておけよ。なんでそんなわざわざ憎まれ口に持っていくかね」
「心配してあげてるのだけど」
「そう聞こえん」
私以外にはそろそろ口角も柔らかくなってきた年頃のテセラなのだが、どうにも私には憎まれ口ばかり叩きやがる。
付き合いが長いから許してるが、そろそろもう少し素直な物言いをしてくれるようはならんかねぇ。
後から知った話だが、私達と同じことをしている年上の帝国兵というのも、意外にそこそこいるらしい。腐りきったと思っていたこの国にもまだ、意外に救いは残っているものだと思えた。
私達が夢見た、誇り高き帝国兵の偶像というものは消えてしまったし、こんな執政を潔しとするどころか推奨する皇帝に対する敬意はすっかり失ったが、代わりに得られた同士もある。
やはりどんなコミュニティでもそうだが、同じ志を持つ者がいると安心できるというものだ。
テセラもその一人というのが何だか複雑な気分だがね。
ただ、出会った当初よりは悪くない関係になっていたとは思っている。極めて、意外にも。