Chapter.1 ~帝国兵になるまでの話~
生まれた時から帝都住まいだった私は、3歳の頃に両親に手を引かれ、初めて皇帝様の城を訪れた。
絵本で見たような大きく立派な建物が現実に目の前、城を守る帝国兵の頼もしい出で立ち、集う貴族様の煌びやかな風体。
そして皇帝様が、集う国民の前で唱えた力強い演説。張りのある声、威厳ある振る舞いに、その口が閉じられた最後に湧き上がった歓声は、三歳児にもカリスマという概念の実在を理解させるに充分なものだった。
平民の私には、夢のような世界だった。何もかもが、格好良く映って見えた。
帰り道、父が私に言った言葉がある。お前も帝国の兵士様になって、立派な大人になれればいいのになと。幼い我が子に、立派な生き方の一つというものを示唆する、夢を含んだ言葉だったのだろう。
私はその時、うんと答えた。まぶしいほどの世界に夢を見てうなずいた私の手を引く父は、そうか頑張れよとその時限りの返事をくれた。
きっとそれが、たとえ父にとっては、ほんの小さな、思い出の一つに数えられるかもわからない過去のことであったとしても。
私にとってはそれが、後の数十年の人生を定めるきっかけに間違いなかった。
6歳になった私は、剣術道場に通うことになった。
母は私がもっと幼いうちに他界し、男手一つで私を育ててくれた父は、決して裕福でもない暮らしの中でそれを認めてくれた。
酒飲みでだらしない所が息子にすらわかる、ちょっと出来のいいタイプの父親でもなかったのだが、我が子の夢の背中を押すために、安くもない剣術道場の月謝を、滞納せずにきちんと払い続けてくれたのだ。家賃はけっこう滞納していたくせに。知ってるんだぞダメ親父。
酔っ払ったら私に手を出すことも多い、乱暴者の記憶も多い父なのだが、今にして思えばいい父親だったと思う。そう思うようになったのは数年後のことだけど。
幸い私は剣術の才覚には恵まれている方だったらしく、剣術道場における成績はまあまあ良かった。
同い年にはまずまず劣る所がなかったそうだし、門下生同士の手合わせでも年上相手のことが殆どだった。
このまま上手になっていけば帝国兵になるのも夢じゃないかもな、と師範に言って貰えた時は嬉しかったし、そう言われた事を父に自慢したら、そいつは良かったなと我が事のように喜んでくれた。
よく稼いで、老後の俺のことを養ってくれよ、なんて冗談も言いながらだ。9歳の子供に随分とまあ重たい使命を課してくれるもんだ、まったく。
その日の夜に酔って私に説教して、そろそろ飽きてきた顔を見せたら殴ってきやがるんだから、帝国兵になって稼げるようになっても、この親父を養うのはやめとこうと決心に近いものを抱いたりもした。
今にして思えば当時の私は、もしかしたら親父のことが、あまり好きじゃなかったのかもしれないな。
そんな親父だが、帝国兵になりたいという私の夢については真剣に考えてくれていたらしく、私が12歳になった時、帝国兵になりたいなら剣術だけじゃダメ、教養も必要だと言って、学校への入学を勧めてきた。
親父よ、そんなに私に出世して金持ちになって欲しかったのかい? 養って欲しかったのかい? 当時の私はそんなことを邪推したりもしていたな。すまんね親父、ちょうどその頃は反抗期だったんだよ。
仰ることはごもっともだと思ったので、私は父の箴言に倣い、学校へ入学する。
剣術道場に通う傍ら、父の仕事の手伝いもちょっとしていた私は、簡単な計算や読み書きが出来ていたし、入学試験は一発合格することが出来た。合格点ギリギリだったらしいが。
お勉強はどうしても好きになれなかったが、夢のためだししょうがない。
帝国兵に志願すれば、相応の教養が備わっているかどうかを確かめる筆記試験というのもあるのだ。
何せ一般兵ですら、ひいては遠くとも皇帝様の安寧を守る役目を仰せつかうわけで、一般教養さえ備わっていればいい、という頭では到底務まらないらしい。
国家に仕える兵となれば、文武両道の選りすぐりの人材こそが求められるというわけだ。
剣術のみに身を費やしてきた私にとって、12歳から14歳にかけての三年間の勉強生活は苦以外の何物でもなかったが、なんとか毎度赤点ギリギリの点数をキープするような形で、落第を免れ続けてきた。
追試が何回かあったような気がするが、具合の悪い記憶はだいたい投げ捨ててきたので、私の中では無かったことになってる。
さて、15歳になれば、帝国兵になるための試験を受ける権利が与えられる。
私はさっそく15歳になった春、帝国兵になるための試験を受けに行った。
入門試験は年に二度だが、私は15歳の春と秋は、試験に合格することが出来なかった。
私を苦しめやがったのは筆記試験の方である。学校で習った最難度の問題よりも難しいやつ。ぶっちゃけ15歳春の試験は、殆ど白紙で提出したし、あれで合格できるとは私も正直思っていなかった。
筆記試験の合否はさておいて、武の側の試験も一応別枠でやってくれており、そちらでは案外手応えが良く、15歳でこれなら将来有望かもしれんな、とは試験官にも言って貰えた。
まあ、筆記試験がズタボロであったことは向こうにも伝わっているのか、どうにも目が生温かかったのは否めない。剣の腕はともかく学力があれじゃあな、という、残念なものを見る目。
しかしそれも私にとっては救い、何せ文武の二文字目の方に関しては、試験をパスできる見込みがあると、一応の言質を貰えたのだ。
だったら筆記試験で好成績さえ取れば、憧れだった帝国兵になることが出来るっていうことである。そう解釈することが出来た。
私はあれほど嫌いだった勉強にも、あの一年間だけは妙に張り切って望めた。好きにはなれなかったけど。
その甲斐あって、15歳の秋の試験ではやはり筆記試験の点数が至らなかったものの、16歳の春の試験では、筆記試験でかろうじて合格を貰える点数に至り、あとは剣術の腕さえ確かなら合格という所まで達せた。
元より私は、お勉強より剣術に生きてきたのだ。
勉強の傍ら、なまらないようにと(勉強する時間から逃げるついでに)鍛えまくった剣術の腕は、試験官から可の文字を引き出し、晴れて私は帝国兵となる試験に合格することが出来た。
16歳でついに獲得した、帝国兵見習いの勲章。それを持ち帰った私の姿を見て、まるで我が事のように喜んでくれる父と、その日は朝まで語り明かした。
後にも先にも、あんなに幸せだった夜はなかなか無い。
帝国兵というのは、我が国の者ならば誰もが憧れる仕事である。
何せ給料がいい。これが最たる一因なのだが、今はそれはさておいて。
何よりも、この国の政権を一手に担う支配者、皇帝様にお仕えする身分だ。その肩書きだけで誉れ高い。
ゆえに、王都に住まう貴族や、王都外の街に住まう富豪の子供なども、幼い頃から英才教育を叩き込まれ、立派な帝国兵になるようにと育ってくるケースも珍しくない。
後から聞いた話だが、たいしたバックボーンも無い一般庶民が、16歳で帝国兵になるための試験を
パスするっていうのは、かなり珍しいことらしい。
それだけ筆記試験も武術試験も含めて、帝国兵入りする試験というのは難しく、狭き門なのだ。
それこそお金持ちが、教え上手なプロを雇ってでも、我が子を幼い頃から厳しく育て、そういう子供が15歳だの16歳だの、若くして試験をクリアするものらしい。
そうした意味では、平民それも貧民寄りであった私が、16歳で帝国兵見習いになったというのは、それなりに大人達を驚かせたそうだ。
若いうちの私にそれを知らせると天狗になると思ったのか、当時の私にそういうことは教えられず、私がその真相の程を知ったのは数年後だった。それは正しい育て方だったと思う。
ただ、いよいよ帝国兵見習いとなっても、要するに年の近い同期の連中っていうのは、殆どが育ちのいい奴らだ。平民の私と、話の合う奴っていうのがそんなにはいない。
浮くとまではいかないものの、どことなく人付き合いが希薄で、その新しい職場において、私には友人と呼べる相手はなかなか作れなかった。
言っちゃ悪いが、友達になりたいと思える相手も正直いなかったし。みんな会話が、お金持ち育ちのそれでついていけないのである。
ただ、一人だけよく話す相手はいた。
同い年ながら私より一年早く、帝国兵見習いになった奴だ。
テセラ=キュービック=ガードリアという、サードネーム持ちの名前から察せるとおり、いいとこ育ちのお嬢様である。
見た目でどうこう言うのもなんだが、武に携わるはずの帝国兵という立場にありながら、金髪ツイストティアラの出で立ちは、いかにも私とは違う世界で育ってきた奴だった。
「あらあら、あなたが新しい私達の同僚かしら? 随分と生臭い出で立ちをしていらっしゃるのねぇ」
何せ初めて顔を合わせた時の第一声がこれである。第一印象がド最悪だったのは言うまでもない。
こいつが結局、私の帝国兵人生の中で、一番話せた相手だったっていうんだから、世の中わからんものである。
「こんな常識的なこともご存知ないわけ? これだから教養の無い方は――」
「まったく、どうして私がこんな小汚い方と寝食を共にしなければいけないのかしら……」
「ああもう違うっ! どうして私の言ったことを聞けないの! あなた達の浅知恵でどうにか出来るものじゃあないでしょうにっ!」
上記の彼女の言動からお察しのように、こいつは悪い意味で有名になるタイプのお嬢である。
言動端々に人を見下したような態度が滲み出ているし、この態度は年上が相手だろうと関係なし。
とにかく自分が一番偉いと思ってやがる。そのくせ、自分よりも階級が上の相手、要するに見習いを卒業して正式な帝国兵となっている相手には、まあまあそれなりに物腰も低く、世渡りの最低限は果たす。
年の近い帝国兵見習いの間では、正直あんまり評判はよろしくなかった。私も嫌いだったしな。
ただ、じゃあ浮いていたのかと言えばそうでもない。
テセラはその態度にこそ問題はあれど、帝国兵見習いとしての実績は上等であった。
勉強はトップクラスであったし、教養では周りに引けを取らず、試験をクリアしてきただけあって護身術とレイピアの扱いに関してはなかなかのものを見せる。私には劣るけどね。
何よりも彼女の強みであったのは、魔法の扱いに秀でていたことだ。
帝国兵見習いでありながら、魔物退治のちょっとした遠征においては、見習い兵士にしては破格とも言える活躍を見せていたし、同僚に現場で下す指示(年上だろうと遠慮なく命令する)も的確だ。
実際、戦場任務において、彼女のリードにより怪我を免れた同僚も少なくない。
彼女の高飛車な物言いは鼻につくものであったし、周りもそういう陰口を叩くことは多かったが、辛くも彼女の言動を許容してもいいかなと周囲が想う程度には、テセラは優秀だったのである。
私は絶対に認めなかったけどな。戦場ではあいつより優秀だった自信があるし。
そうこうしているうちに2年の時が過ぎ、私は"見習い"の名を脱却し、正式に帝国兵へと昇格した。
18歳で一般庶民上がりの若者が、正式な帝国兵に昇格である。貴族上がりの同僚が、お前達が帝国兵に昇格するのはまだ先だと言われる中での話。ちょっと気持ちがよかった。
「貴方がこ~んなに早く帝国兵になれたのも私のおかげよ? 感謝しておあそばせ?」
「うるさいな、俺がお前に感謝する謂れがどこにある」
「まあ何て恩知らずな。筆記試験で苦戦しそうなあなたのために、お勉強に付き合ってあげたのは誰だったかしら?」
「お前がいなくても通っていたよ、自意識過剰も程々にしろ」
「はぁ~、これだから庶民は……己の無知と周りの恩義にも無自覚だなんて、つくづく教養に欠けますわ」
意地でこう言い返してはおいたのだが、正直テセラのおかげで正式な帝国兵に早く上がれたという自覚はあった。
うるさい奴だし口の利き方もなっていない奴だが、こいつは案外面倒見がいい。見習い帝国兵時代にも、年下の後輩が魔法の扱いに苦心していた時なども、意外なほど懇切丁寧にものを教えていた。
こういう高飛車な物言いをする奴って、出来ない相手を高笑いして見下しそうなイメージがあるものだが、出来ない何かを誰かが出来るように導こうとする時のテセラはむしろ真逆である。
テセラの一歳年下の後輩が、魔法を暴発させてしまう悪い癖があると、彼女に相談してきたことがある。
テセラは翌朝までに、何をどう教えていけばいいかをしっかり考えてきて、それを数枚の紙に、さながら教本を作るかのようにきっちり書き留めてくる。
それを見ながら、相手も見ながら、時間をかけてじっくりとものを教えていく。それで上手くいかなくても、翌日また、別の視点から教えることを考えてきて、諦めずにじっくりと話を続ける。
二ヶ月ほどきっちり付き合って、その後輩は見事、魔法の暴発がしなくなるようになったのだ。
後輩からすれば嬉しいものだ。テセラにすっかりなついて、ありがとうございますと言っていたものである。
いざ戦場で魔法を暴発されて私に迷惑がかかっても困りますし、当然のことですわ? なんて憎まれ口を叩いてはいたものの、礼を言われることに照れる頬が朱に染まっていたのは可愛いものであった。
後でそれをからかったら、顔を真っ赤にしてビンタきやがったが。私も意地悪だったが暴力はよくないぞ。
私が勉学面で少々苦心していた時もそうだ。
帝国兵見習いで二年の時を過ごすと、正式な兵に昇格するための試験を受ける資格が与えられるのだが、その試験にも筆記試験とかいうやつがちゃんとある。
私にとってはそれが一番の問題だったわけだが、どこから勝手に知ったか察したか、テセラがお節介にも私の勉強の面倒を見に来やがったのである。
これがまあ、うるさいのうるさいの。どうして出来ないの、こんな簡単なことが何故、あなた本当に見習い兵士の試験をクリアしてきましたの、と、おおよそ後輩に向けての教え方とはかけ離れた毒舌ぶり。
はっきり言ってキレそうになった回数の方が多い。まあ同い年だし、年下に対する優しさを私にも見せろとは言わんが、頼んでもいないのに踏み込んできてこのうるささは、疎ましさの方がちょっと勝つ。
一般兵昇格試験に通ったのは、正直私が自分で頑張ったからだって言い切りたい。
ただ、あんまり認めるのも癪だけど、なかなかわからない問題の解き方をテセラに教えて貰えたことで、理解できるようになったのも、1つか2つ――いや、3つか4つかな? ああいや、他にも確か……もういいか、ゼロってことにしておこう。百の位を四捨五入すればとりあえずゼロにはなるだろ。
言ってもテセラが付き合いよく、私の昇格のために付き合ってくれたことは事実だしな。礼ぐらいは言ってもいいかって、この時は不覚にも思ってしまったのである。
「……まあ、感謝はしているよ。よく付き合ってもらったものな」
「頭を下げて言えないようでしたら30点ですわ。礼節に欠けますわね、相変わらず」
いやはや、後悔した。前言撤回に5秒かからないなんて、なかなか出来ることではあるまい。
こいつだけは絶対に好きになれんと、この時確実に思ったはずだったんだがなぁ。