1話
「――おい、起きろ。おい」
小さな声が聞こえる。それは低い男の声だ。どうやら自分は何か椅子のような物に座っていて、そして今まで寝ていたらしい。
「早く起きろ。お前が寝ていたら、隣にいる俺まで叱られちまうじゃねえか」
隣から、再度男の声がする。それも、先程よりも大きな声だ。
うるさいな。
眠気が遠ざかっていくのを感じる。完全に意識が覚醒してしまった。しょうがない。再度聞こえてきた声にしぶしぶ目を開ける。
……あれ?
視界から入ってきた情報に、困惑する。
ここは、どこだ?
薄暗い……そのせいで周囲の状況は良く確認できないが、多くの人達が集まっているのは分かる。公民館かなんかのホールだろうか……? それにしても暗い。明かりをつけようとは思わないのだろうか。
いや、そもそも照明器具の類が無い……のか?
周囲をキョロキョロと見渡して見る。壁や天井、色々な場所を探してみるが……やはり光源となりそうな場所は見つからない。
全く、この場所の製作者は何を思ったのだろうか。今時、照明が無いなんて考えられないだろう。設計ミスか?
……いや、まさかこれは怪しい宗教関係のやつなのだろうか。薄暗い会場に、多くの人間。勝手なイメージだが、如何にも怪しい儀式が始まりそうでもある。
まさか、オレは何かに巻き込まれたのか?
脳に突っかかりを覚えながら、オレは考えられ得る可能性について検討する。
金銭的な目的で拉致られた……無いな。オレの家は別に裕福な訳でも無いし、由緒ある血筋とかいう訳でも無い。金銭目的で拉致られたりなんか、しないはずだ。
いや、まずこれは拉致では無いだろう。
自分の身体の状態を確認してみる。まずは今の状況だ。オレは椅子に座っている。特に痛みや痺れは感じない。手や足も思い通りに動すことが出来た。縛られたり、殴られたりしたような跡もない。逃げ出す気になれば、逃げだすことだって可能そうである。逃げ切れるかどうかは別として。
こんな状態で拉致という説を推すのは、いささか強引だろう。
次は……オレが自分でこの場所に来たという説だろうか。……いや、この線は薄いだろう。
まず、自分で言うのも何だが、オレはこういった事に興味が無い人間だ。それに、自分の意思でここに来たのなら、それまでの過程を覚えているはずである。こんな場所に来た記憶、オレには全くない。つまりは……この説でもないだろう。
待てよ……? この場所、何処かで見た気がする。
先程から記憶の隅にある、何かが脳に引っかかる。オレは……この場所を知っている? こんな場所に、来た筈なんてある訳ないのに。
何故だ?
「おう、起きたか。坊主。さっきからせわしなくキョロキョロとしやがって。心配しなくても、周囲に監督官の奴等はいねえよ。全く……俺の肝まで冷えちまったぜ」
湧いてきた疑問に首を捻っていると、横から声が聞こえた。さっきオレを起こしてくれた人の声だ。
そうだ、ここが何処なのか自分で分からないなら、人に聞けばいいんだ。
どうやら、オレは少しばかりパニックになっていたらしい。こんな単純な事を忘れていたとは。取り敢えず、起こしてくれたお礼と、今の状況でも聞いてみることにしよう。
――いやあ、すいません。最近寝不足気味でして、起こしてくれて助かりました。……それで、今日ってどういう集まりなんでしたっけ?
こんな感じで行けばなんとかなりそうだ。もし、怪訝な顔をされたら度忘れでゴリ押ししよう。周囲には多くの人がいるが……話でもしているのか結構ザワザワとしている。話をすることで悪目立ちすることはなさそうだ。
よし、話しかけよう。
「あの、すいま……」
「ん……? どうした」
オレの声に反応して、振り向いた男。失礼な話だが、そいつの顔を見た瞬間オレは言葉を失った。
その男は人間では無かった。顔が、いや良く見ると身体全体が硬い鱗のような物で覆われている。口の中には、とても大きな牙が生えているのが薄暗い中でも分かった。
まるで、ワニ人間だ。
アニメか漫画なんかでよく見る、ワニを擬人化させたような奴が隣にいたのだ。
「どうしたんだよ、おい」
話しかけておいて、突然固まったオレにワニ人間が怪訝そうに言った。心なしか、言葉尻が強い気がする。機嫌を損ねたのかもしれない。
ヤバい。ケンカでも吹っ掛けられたらどうしよう。
――問、平和な日本に住んでいた高校生(帰宅部)がワニに勝てますか?
無理です。なすすべもなく死ぬでしょう。てかワニじゃないし、ワニ人間だし。唯のワニより強いでしょ絶対。腕とかめっちゃ太いし。この人に殴られたらオレ、木端微塵になるんじゃないかな。
もうヤダ。誰か助けて……。
取り敢えず、誤魔化そう。全力で誤魔化そう。
既にオレの頭の中に、ここが何処なのかとかいう疑問は無かった。当然なのだが、ワニ人間なんてびっくり動物見た事も聞いた事もない。つまり自分は今、超常現象的なサムシングを体験しているのだろう。
夢だと思いたいのだが……バクバクと脈を刻む心臓が、ここが紛れもない現実だとオレに教えている。ちくしょう、オレが何をしたっていうんだ。いつもならDBKで周回している時間だぞ。そういや、携帯も見つからないな。ああもう、スタミナが勿体ない。
半ばヤケクソで現実逃避していると、再び何かが脳に引っかかるのを感じた。
携帯……? いや、違う。
再度、周囲を見渡して見る。すると、何が記憶に引っかかっていたのかに気付くことが出来た。
……この場所、DBKの最初のイベントシーンの場所に似ていないか?
まさか、ここはDBKの世界なのか?
論理の飛躍がおかしいと我ながら思う。突飛な考えかただと思う。こんな事、普段ならば絶対に考えない。
だが、この仮説をオレは捨てる事が出来ないでいた。会場の雰囲気、状況、すべてが記憶の中にあるDBKのゲームと完全に一致するからだ。
異世界転生、いや、この場合異世界転移……なのか?
そういう系のアニメなんかは大分好きだったから、知識はある。だが、現実には絶対に起こらないフィクションの話だと思っていた。
確信を持てたわけではない……でも、もしかしたらと思う自分がいる。
何より、ここがDBKの世界だと思うと、少しだけワクワクしている自分がいた。
「おい! 無視してんじゃねえぞ」
テンションが上がったオレに、声がかけられた。ワニ人間である。
……しまった、ワニ人間の事を忘れてた。結局オレが話しかけて、その後無視し続けた形になっている。これはヤバい。
おそるおそるワニ人間の顔色を伺ってみる。そして、直ぐに目を逸らした。
ワニ人間は明らかにキレていた。瞳に怒りが乗っている。もう完全に、おこである。激おこである。今にも殴りかかってきそうである。
誰か助けて下さい。