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肆拾伍

 最近、こけない。

 とても嬉しいことだが、十六年間毎日こけ続けてきた身としては何か違和感というか物足りないというか……いや、こけないことは本当に嬉しいのだが。

 リンから告白されて以来、こけることはなくなっていた。相変わらず、坂を猛スピードで駆け抜ける暴走車がいるが、その対策だってばっちりだ。

 今日はとーると花畑に行く日だ。両親は親戚の家に挨拶巡り、姉貴もそれに引っ張って行かれた。俺も行かなきゃならない気がして母に声をかけたら、「美好はいつも家の中のことをやってくれているから、気にせず友達と羽根を伸ばしてらっしゃい。こういうときくらいしかお姉ちゃんは役に立たないんだから」とさりげなく毒を吐いていた。その毒に姉貴がダメージを食らったのは言うまでもない。

 母の気遣いに感謝し、俺は一日ゆっくり過ごすことになった。

 とーるとは、現地で待ち合わせしている。

「おはよう、うみくん」

「おう、とーる」

 にこやかにやってきたとーるの首にはいつもどおりデジカメがぶら下がっている。

 珍しく、小さな鞄を持っていた。

「その鞄、何が入ってるんだ?」

「予備の電池とメモリーカード。花畑に行くって聞いたときから準備してたんだ。絶対どっちも足りなくなるから」

 電池はともかく、メモリーカードもか?

 そんな俺の疑問を読み取ったらしく、とーるが付け足す。

「父さんがよく連れてきてくれたんだ、花畑。どんな季節でも綺麗な景色が撮れて。たぶん、夢中になったら際限なく撮っちゃうから」

 なるほど。確かに写真のこととなるととーるは無我夢中になるし、フィルム節約とか我慢とかはできないだろう。

「まあでも、ここの人によればほとんど花は抜いてるらしいから、期待するような構図()はないかもしれないぞ?」

「それでもいいんだ。閉園前にもう一度だけ、写真に収めておきたい。思い出の場所だから」

 実は最後に父さんと来て以来なんだ、と続けるとーるの笑顔に切なさが湧き上がる。本当は父親のカメラで撮りたかっただろうに。

 チケットを入口で渡すと受付の女性に「海道さまですか?」と訊かれた。頷くと、「ご案内致します」とその人が席を立つ。

「あの、受付は」

「いいんです。海道さまたちが当園最後のお客様ですので」

「えっ」

 訊くと、お盆前までは客が殺到していたらしいが、八月いっぱいで閉園と事前に示していたために、そこから先のチケット購入者は全くいないのだという。少し寂しいですが、早めに閉園するかもしれません、と女性は苦いものを滲ませつつもはにかんだ。

「他の時期の植物は既に刈り取ったり植え替えたりしてもうないので、見られるところは限られております。せっかくいらしていただいたのに申し訳ございません」

「いえいえ」

 こちらです、と案内されたそこには。


 一面、オレンジ色の花。

 ちらほらと黄色いのも見えるが、ほとんどがオレンジで埋めつくされていた。よくよくこの時期から秋の始め頃まで道端で見かけるような花。名前は知らないけれど、小さなコスモスみたいな形をしている。

「キバナコスモス……」

 とーるがぽつりと呟いたのがどうやらこの花の名前らしい。女性が頷いて説明する。

「当園の他の花は時期を過ぎてしまいましたので。ここが一番見頃かと」

「ありがとうございます」

「では、ごゆっくりお楽しみください」

 女性が去るよりも早く、とーるはぱしゃぱしゃと撮り始めていた。このカメラマン根性には呆れるというか、感心してしまう。

 くすりと笑っていると。


「見つけた」

 ぱしゃり。


 フラッシュが(またた)いた。




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