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「あ」

 ほとんど呼気のような声が出て、立ち止まる。半澤もぱっと前を見、白線の出前で止まった。視線が外れる。黒い瞳が遠退いて、どこからか運ばれてきた寒風が頬を凪いだような気がした。

 しかし、そこから異常な時が動き出す。──半澤が、信号が赤になり、横方向の信号たちが青くなるのを見ながら、一歩、踏み出したのだ。

 俺は咄嗟にその腕を引っ張り、こちら側へ戻しながら、支えを一つ失ってちょっとバランスの崩れた自転車共々歩道で倒れた。目を見開き、黒い水晶のような瞳に俺を映しながら、半澤も尻餅をつく。白線の内側に。

「何やってんだよ、お前! 俺がわざわざ先に気づいて止まったのに、わかりきって飛び出す馬鹿があるかよ!! 自殺志願者のつもりかよ? そもそも人はそこらの乗用車にはねられたくらいじゃ死なねっつの、聞いたことあんだろ、阿呆がっ!!」

 俺はほっと息を吐く間もなく、怒鳴り散らした。倒れた自転車がからからと空回る音が耳につくのも、ペダルが思い切りぶち当たった右足首が再度痛み出すのも、今はどうでもよかった。見開かれた半澤の黒と、握りしめた手の感触だけが、俺の"実感"だった。

「かいどうくん……」

「何だよ?」

 たどたどしく俺の名を呼ぶ細い声にぶっきらぼうに応じる。信号が青なのをいいことに、かっ飛ばす車たちが起こす無遠慮な風が、俺たちに叩きつけられた。

「いたい……」

 静かだけれど切実なその声に俺ははっとして、掴んでいた手を放す。そこでようやくどくどくと自分の心臓が激しく脈打っているのを自覚した。

「いや、そうじゃなくてね」

「だったら何?」

 続いた半澤の一言に応じる声からは未だ無愛想な雰囲気が漂ってはいたものの、怒気は消えていた。そんな俺を見て、半澤はほろ苦く笑う。

「うん、何から言えばいいのかな。ごめんね。僕、今朝もやったばっかりだから。すぐ治るって思ってたから、こんなに痛むなんて、予想してなかったんだ」

 言いながらおもむろに、俺が握っていた左の手首を出す。そこには少し赤く滲んだ包帯が一巻き巻かれていて、それを、半澤はほどいた。

「はん、ざ、わ?」

 そこにあったのは。

 そこに、あったのは、まだじんわりと血の滲む、リストカット痕だった。

「僕は、そう、本当に自殺志願者みたいなものなんだ。さっきも、飛び込んだら死ねるかなって、一歩。うん、死ねないかもって知ってた。でも、試してみたかったんだ。けど、わかった。わかったよ。そうだよね、噂だって、時折現実だ。確かめられて、気が済んだ。ごめんね。会ったばかりで、おかしなことに付き合わせちゃって。僕ってやっぱり変かな? 変だよね、こんなの。ごめんね、わかりきったことばかり聞いて。ごめん、海道くん。怪我は大丈夫? ……あ」

 風が頬を凪いでいく。優しいのか、乱雑なのかの区別は、心がぐちゃぐちゃでつかない。ただ、冷たい。頬を凪ぐ風がやけに冷たかった。

 長い長い謝罪を終え、自分の手首より俺の右足を気にし始めた半澤は、零れんばかりに目を見開いて俺を見る。夜の硝子のような黒がモノクロームに俺を映す。二つの鏡面に映った埃まみれのパーカーとジーンズを着た少年は、幾筋も頬を伝う線で濡れていた。

 どおりで冷たいわけだ。ははは、俺、だせぇ。

 そんなことを考えていると、半澤の桜色の唇がゆっくり動いた。

 通りすぎる車の音でよく聞こえなかったけれど。


「みつけた」


 唇は確かにそう動いた。直後、ぱしゃり、と本日二度目のフラッシュを浴びた。






 作中で半澤くんが赤信号になってから道路に飛び出していますが、真似しないでくださいね。

 リストカットもかなり痛いので、やらないでくださいね。





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