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拾漆

 からからから。

 自転車の前輪が回る音。

 がたがたがた。

 自転車の後輪が回る音。

 聞いているだけで、自転車に申し訳なくなる。はっきり言って、ここまでよく耐えてくれたものだ。

「おっちゃん、こんにちは」

 自転車屋に入り、声をかける。自転車修理のために馴染みになった店だ。

 店の奥から快活そうな中年のおじさんがスパナ片手に出てくる。おう、と低い声で挨拶が返ってきた。

「今日はどうしたんだ? 海の」

 おっちゃんは俺を"海の"とか"海の字"と呼ぶ。

「とうとう、ぶっ壊れた」

「おう、とうとうか」

「うん」

 長年世話になっており、おっちゃんは俺のこける事情も熟知しているため、店内にはなんとも言えない空気が漂う。

 とりあえず、見せてみろ、と言われたので自転車を引いてくる。その音は既に自転車を引く音ではない。

「海の字」

「うん?」

「そろそろ、新しいの買ったらどうだ?」

 妥当な提案が来た。けれど俺は即答を控えた。この自転車には愛着があるし、その上、新しい自転車を買う金が捻出できるかどうか。

「オメェ、親に物ねだらねぇ奴だろ?」

「そりゃ、簡単にあれこれ買ってとは頼めないよ」

「最近の奴ぁ、親に甘えねぇ。甘えられねぇんだろうな。悲しい世の中だぜ」

「親の脛かじりばっかの世の中ってのもどうかと思うけど」

「ははっ! そいつもそうだ。どれ、なんとかしてやるか」

「さんきゅ、おっちゃん」

 軽いやりとりを交わして、おっちゃんが道具を取りに奥に戻る。それから俺も自転車の修理を手伝った。

「そういや海の、オメェ、高校生になったんだな」

「ああ。そこの学校に通ってる」

 自転車屋からは学校が目と鼻の先だ。学生が多く通りかかるからこその立地なのかもしれないが。

 俺の答えにおっちゃんが怪訝そうな顔をする。

「じゃあ、いつもカメラぶら下げた男の子んことは知ってるか?」

「……半澤?」

 出てくると思わなかった人物の名に驚く。おっちゃんは頷き、続けた。

「そうそう、そいつ。ちょっと気ぃつけてやってくれ。なんか、危なっかしくてなぁ。こないだ、そこで自転車とぶつかりそうになった。こないだだけじゃない。しょっちゅうなんだ。実際ぶつかったやつもおるし。けど、それを全然気にしとらんのが問題でな」

「気にしてない?」

「ああ。ぶつかっても謝りもしない連中が多いんだが、それを止めたりせん。痛くも痒くもないみたいにけろっとして歩くんだ。それが……言い方悪いが、不気味でな」

 半澤……

 自転車相手だからいいようなものの、先日のように、車に向かって飛び出しかねないその様子に俺は悲しくなった。どうしてそんなに傷つくまで、一人で抱え込むんだよ。

「ん、わかった。気にしとく」

「おう」


 半澤が死にたがる本当の理由を、このときの俺はまだ知らなかった。




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