恋の足音
軽快な足音は、しかし、水を踏むパシャパシャという音のせいで、いまひとつ弾んでいないようにも聞こえてしまった。
穿った見方なのかもしれないけどな。
ただ、雨は余り好きじゃなかった。
昔っから、ここ一番で絶対に雨に降られる男だった俺にとっては。
「五月病?」
茜が、やっぱりどこか小走りのような感じで少しだけ俺の前に出て、訊ねてきた。
無理してついてこさせる形にならないように、と、注意して歩幅を調整していたんだけどあまり上手くはいっていないみたいだ。
お互いに慣れていないせいだと思う。
昔は同じぐらいだった身長は、中学で一気に差が開いた。茜が伸びずに、俺だけが成長期に突入し、たった一年と数ヶ月で、クラスで二番、学年で六番の長身になっていた。
別に、背丈が欲しかったってわけじゃないんだけどな。
と溜息を吐けば、決まって茜になら縮めと命令される。
昔は、並んでいると雛人形みたいと――女の兄弟がいない俺の家に死蔵されていた豪華な母さん持参のお雛様は、毎年、茜のためなのに、なぜか家に飾られているせいでの呼び方だった――今じゃ、すっかり兄妹見たいに見られているせいだ。
茜がどういうつもりかは、……まあ、色々とアレな子なので、量りかねている部分もあるけど、周囲の視線が恋人から妹に格下げでは、面白くは無いんだろう。多分。
「いんや、雨が嫌いなだけ」
「好きな人なんて居ないでしょ~。外出時の雨なんて」
リズムをつけて喋る茜の声を聞きながら、透明なビニール傘の上の水滴を、下から指で弾いて飛ばす。
すると、傘が傾いたせいか、傘の上にたまっていた水がボタボタッと……。
「あ」
「ちべたい!」
茜の肩と補助バッグに少し飛んだ。
「すまん」
うん、ちょっとだから大丈夫。
それに、クラスで男子注目の的の美人のように、透けて困るような……つか、今日は肌寒かったので、割とがっつり中に厚手のTシャツを着ているみたいで、防御力の高そうな服装をしているし、お互いに大丈夫過ぎる。
まあ、そのTシャツの下につけるものが……要るのか、要らないのか不明だが。
「もっと、申し訳無さそうに謝れ!」
思いっきり頬を膨らませて大声を上げるその姿は、なんか、下級生みたいで、どこか微笑ましくなってしまった。
「つか、茜が、登校中は雨が降ってないからって、下駄箱で他の女子と中二病を発症して傘を壊したのが原因じゃないか。なんだっけ? 必殺技の名前」
「正論なんて、要らないもん!」
ふん、と、背中を向け――しかし、本降りってほどじゃないけど、弱くも無い雨足に、俺を置いていくわけにもいかず……。
一歩先を、俺に背中を向けて歩いている。
ちょっと歩幅の差からつんのめりそうになるけど……。まあ、いいか。
ここ数日は、夏みたいなっ天気だったってのに、朝から曇っていたせいか、今日は少し肌寒い。
こんな気温じゃなかったら、元気いっぱいの茜の事だから、雨の中を走って帰っていたのかもしれないな、なんて思い、あながち冗談って感じでもなかったので、ひとりで苦笑いしてしまった。
肩を怒らせて歩く茜。
茜は、せめて髪型ぐらいは、と、肩甲骨の辺りまで髪を伸ばしている。ショートカットにすると、男に間違われないまでも、必要以上に小さく見られるせいで。髪は、癖毛ってわけじゃないけど、完全にストレートとも言い難い、独特の髪質だ。
と、そんな風にぼんやりと茜の背中を見ていたせいで、急に足を止めた茜を、危うく蹴飛ばすところだった。
「どうした? 怒り足りなかったのか?」
態勢を立て直しつつ、つんのめったついでだからと茜の顔を覗き込めば――。
「オルゴール?」
と、謎の呟きが聞こえて来た。
まあ、謎なのは初期設定か、と、茜が顔を向けた時計屋のショーウィンドウへと視線を向ける。
一瞬、それがなんなのか、わからなかった。
円盤と針? いや、刷毛か? が、あるので、レコードって言うヤツなのかな、とも思ったけど、説明文にはオルゴールと書かれていた。
「こんな日には、オルゴールだよね。ポタポタって感じの雨と、なんか、似てるし」
機嫌は直ったのか――いや、単に、怒っていた事実を忘れたのか――、楽しそうに話す茜。
まあ、音は鳴っていないけどな。
しかし、こういう形のもあるのか……と、感心しつつ値段に目を向けると――。
「茜、速やかにこの場を離れろ」
「え?」
ポカンとした顔で俺を見上げ――、次いで、不安そうな顔になった茜。
「お前が、ゼロ五つもつくような物の側にいたら、きっと、ろくなことしない」
真顔で正論を告げたんだが、茜はさっき以上に怒った。
……女子って難しい。
つか、こいつ、怖くないのか? あんな高価な品の近くとか。
再び肩を怒らせ、でも、傘から外れない微妙な距離で半歩前を進む茜。
傘から少し手を出してみると、雨はさっきよりも小振りになっていた。
が、隣同士のお互いの家もすぐそこだったので、そのまま傘を差し続けることにした。
「オルゴールってさ」
もう家に着く、そんな時に、不意に茜が喋りだしたので、足を止める。
「ああ」
「なんか、好きなんだよね」
「そうか」
まあ、解らなくも無い。
どこかノスタルジックな音の響きが合って、時々聞きたくなる。
「なんか、金属――ってかんじで冷たそうなのに、音が柔らかくてさ」
うんうん、と、頷く。
小振りとはいえ、雨の中で話す内容とも思えないが、そんな些細なことでつっこんでいたら、身が持たない。茜は、いつも唐突だ。
「アンタみたいだよね」
うん、う?
つい、流れで頷きかけたが――。
改めて茜の顔を見直すが、それより早く、茜が、じゃーねーとか言いながら、あくまでも自然な様子で、話は終わったとばかりに家に向かって駆け出してしまった。
ど、どこまで意図的な台詞だったんだ?
しかし、呼び止めて問い質しても、埒が明くようには思えない。ええい、くそう、と、心の中だけで毒づく。
分かっているようで、無自覚っぽいから、いつも翻弄されてしまう。
女子は、これだから……。
どこか能天気に、雨を弾いて進む、パシャパシャという恋の足音が聞こえていた。