自己紹介といきましょう
駅前家電量販店のはす向かい。都内でも有数の大型ブックストアは今日も人の入りが多かった。
来店した人々がそれぞれの望みの本を物色し、あるいは品定めをしている中で、草野 大樹は人目を気にしながら書棚をこそこそと移動している。
行動は怪しいが、外見はいかにも品行方正な青年。整髪料を使っている訳ではないのに端正に整えられた髪に、顔には黒ぶちの眼鏡がかけられており、普段ならば真面目であることを周囲に印象づける。
その草野はゆっくりと、しかししっかりとした足取りで目当ての書棚に辿り着いたようだ。
なんでもない様子であたりを見渡したあと、深く息を吸って、躊躇いがちに書棚に手を伸ばした。後ろめたいことをしているような、その様子はさながらグラビア誌を初めて手に取る中学生のようである。
赤面し、嘆息し、しばらく彼は眺めていたが、突如読んでいた雑誌を投げた。
「うおぉーっ!やっぱりこんなのはダメだーーー!」
何事かと周囲の視線が彼に集まる。しかしそんなことを気にする様子もなく、彼は全速力で書店を飛び出した。
店内はあまりの衝撃に静まりかえっていたけれど、それも少しの時間。しばらくすると何事もなかったかのようにもとの落ち着いた雰囲気に戻っていた。
その終始を見ていた退屈そうな店員は、投げ捨てられた雑誌を元の棚に戻そうと拾いあげる。「園芸入門」、そう書かれた雑誌のタイトルを見て、彼が何に対して反応し奇行に至ったのか、店員はしばらく首をひねって考えてみたが、少しも見当がつかないのであった。
○ ○
今日の目覚めは最悪だった。
気持ちのいい夢を見たまではいい。
いや、やっぱよくないな。原因だし。
「はぁ…」
ため息をひとつ。
後処理のせいで朝食を食べる時間がなかったことや、途中で寄ったコンビニでは好きな明太子のおにぎりが全部売り切れていたこともあって、今日はとことんついてない日だなと思う。
こういう日は何をしてもうまくいかないんだよな。
布団で1日じっとしているのがいいんだけど。
くそ、学校め。
感情をどこかにぶつけるでもなく机に顔を伏せた。
ふと、昨日のことを思い出す。
本屋から飛び出して、家に帰って、それから我に帰った。
またやっちまった、そう悟った。
しばらくあの書店に行けないという後悔と、また自分を律することができなかったことに対する悔しさがこみ上げる。
欲求は義務だ。
しかし、性欲は邪魔だ。
確かに、文化は性欲によって進化してきた。性欲がなければ初音ミクは生まれなかったし、ネット回線もここまで早くならなかった。ひょっとしたら、性欲がなければカップラーメンも、ツタンカーメンも、ピサの斜塔もなかったかもしれない。
しかし、しかしだ。街を見ろ、世界を見ろ!
積もり積もった性欲のはけ口を探し、朝夕なく路地をさまよう人々の姿を!
性欲の傀儡となり、夜のネオン街で身を亡ぼす哀れな人間を!
性欲は邪魔なのだ。
排除することが叶わないなら、御すればいいのだ。
ガラリと前の扉が音を立てて開く。長めの茶色がかった髪を軽く束ね、まだ新しいスーツに身を包んだ女教師、柊 恵子がやってきた。
おっと、気が付いてよかった。
慌てて声を出す俺。
「起立」
そうそう、俺クラス委員なんだ。
自分の性欲すらも支配下に置けない人間が、クラスをまとめられるはずがないだろう。だから俺は性欲を御さなくてはいけないんだ。
特殊性癖を持つ自分ならなおさらだ。
デンドロフィリア。
樹木に対して欲情する異常性癖。
俺はまさしくそれだった。
でもな!学校なら抑えるのもたやすい!
教室から出なきゃいいんだからな!
教科書とにらめっこをしていれば、性欲の入り込む隙などないのだ!
ここで俺は強大な支配者となる!
「今日から環境委員さんたちが校内緑化運動をするんですって。
みなさん協力してあげましょうね」
なる…はずだったんだけどな…