秘密 その2
結局、前後不覚に陥ったフリのまま、ベッドまで、エルフィオーネの肩を借りる形となってしまった。時刻は午前二時を少しまわったところ。エルフィオーネは、まだやることがあると、アルフレッドをベッドまで送り届けた後、十数分ほど会話を交わした後で、静かに退室していった。
ソファーの上では、エーリックが小さく寝息をたてながら眠りについている。膝から先が完全に寝床から放り出されているのを見るに、何とも申し訳ない気持ちになる。
本人は「最近は、ベッドより、こういった寝床の方が快眠できるようになってね。―――気にするな。このソファーの寝心地の良さは誰より私が知っている」と微笑み、結局押し切られてしまった。王都での、慣れない激務に悩まされる親友の姿が想起され、居た堪れなくなる。クレアリーゼ嬢に知られれば、「今すぐベッドを譲れ」と、こっ酷くがなられるだろう。想像すると、苦笑いが込み上げてきた。
酩酊が誘う心地よい眠気の中、アルフレッドは天井を大の字で仰ぎ、半開きの瞳で、ぼんやり物思いにふけっていた。
「―――ふふっ……。『ばかやろう』」
エルフィオーネ曰く、アルフレッドを真似てみたという、その少し悪戯っぽい囁きは、未だに耳の奥に残っている。
今は、あんたと言う存在が必要だ。どうか、見捨てないでくれ。
その、何とも情けない告白に対して返された答えが、先の台詞だった。
アルフレッドは、鳩が豆鉄砲を食らったかのように、目をぱちくりと開いたままエルフィオーネの横顔を見ていた。
◆◇◆◇◆
「主を真似てみたんだ。少しは、似ていたかな?」
「……ばかやろう。似てねぇよ」
「む。そうか……それは残念だ。―――ばかやろう。よし。これなら、どうだ?」
「つーか、何で口喧嘩みたいになってるんだよ……」
「ははは、申し訳ない」
その、よくわからない罵倒のし合いの後、エルフィオーネは穏やかな声で言った。
「―――大丈夫。私は、消えたりはしない。私は、あなたの望みのため。あなたに、至高の物語を書いてもらうために、これからも全力であなたを援ける所存さ」
アルフレッドは目を閉じ、感極まりながら。
「……すまねぇ」
小声で、独り言のように言った。どうしても「ありがとう」とは出てこなかった。
エルフィオーネの本来の役目は、作品の監修・校正だけのはずだった。だが、炊事に洗濯に使いに警備仕事の付き添いにと、気づけば彼女の普段の働きは多岐にわたり、それこそ労ってもねぎらいきれない程に膨れ上がった。
ゆえに、不安がある。最近になって、大きくなりつつある不安だ。
はたして自分は、彼女の働きに報いるだけの成果を、この先上げることができるのだろうか? また恩に報いることも無く、何も為せないまま終わってしまうのではないか?
四年前のあの時―――騎士学校を追われ、アークライト家を出奔したときと同じように。
そんな最悪の未来を思うと、今すぐ目を瞑って毛布の中にうずくまりたくなる。
成果とは、いったい何を指して言うのか。それは、まず大前提に、彼女がいう「至高の物語」の作成。そして、読者数と言う名の、売上部数だ。だが、「成果」を上げるには、幾多もの壁が存在する。
まず、現在の自費出版という形態から、脱出已む無しといえるほどの読者数を得て、話題を集めること。次に、れっきとした商業媒体からの出版物として扱われること。そうやって土俵に立ったうえで、売れっ子作家のゼファーからも「売れない作風」との烙印を押された状態を維持しながらも、ヒットと言える売上部数をたたき出さなくてはならない。果たさねばならぬのは、文字通りの「成り上がり」だ。
もし―――ともすれば無償の善意にも見える彼女のこの働きが、アルフレッドへの彼女なりの「投資」だったとしよう。だとすれば、成果なくば、彼女は間違いなくアルフレッドを見限り、姿を消す―――。
「今、『もし、このまま作品が売れなかったら』と考えたろう」
隠し事を言い当てたかのようなしたり顔で、ニヤニヤと問い詰めてくる。
「……あんた、本当は心が読めるんじゃないのか?」
「表情に出やすいのだよ、あなたは」
ふふっ、と子供を扱うかのように。
「だが案ずるな、主よ。あなたはただ、作品を書いてくれればよい。良い物語を、良いと世に知らしめるのは、私の仕事だ。私に任せてほしい」
「……簡単に言うけどさ。どうやって?」
「それは―――」
少し考えた後、エルフィオーネはふふっと笑い、片目を瞑りながらアルフレッドに微笑みかけた。
「秘密、だ」
その後、エルフィオーネは椅子に座り、ベッドに仰向けのアルフレッドの顔を見下ろしながら、子供を寝かしつける寝物語の代わりとばかりに、いくつかの身の上話を、自ら語ってくれた。
「……千年魔術師……?」
ああ。エルフィオーネは頷いた。
「彼らが残したという秘方。秘術。私はそれを探している」
「そいつのために、若くして世界中を旅しているのか? あんたは」
「そういう事になるな」
千年魔術師―――。
それは、歴史上確かに存在し、そして忽然と姿を消したという、伝説の魔術師の一族の通称だ。
むかし―――魔術が「邪道」「邪術」の類だったがゆえ魔術師の数が希少で、魔法も存在しなかった時代。歴史や史実の裏に隠れ、陽の当たらぬ場所で、彼ら一族は幾千年もの長きにわたり連綿とその奥義を次代、そして次代へと伝承させていったという。数多の国の大事の裏には、必ず彼らの存在があったとも伝えられている。千年という名がついてはいるが、彼らの系譜が実際に何年の命脈を保ってきたかは伝わっていない。ただ、途方もなく長い年月であったことは確からしい。
そんな、何もかもが謎のヴェールに包まれた一族だが、彼らが、世に生み出したことがはっきりとわかっているものが、二つある。
彼らが歴史に残していった足跡は、そして、世界に残していった傷痕は、あまりにも大きかった。大きすぎたが故に―――未だに、語り継がれる存在となってしまった。
彼ら、千年魔術師が生み出した二つのもの。それは、400年にわたる人同士の、そして魔物との、血で血を洗う争いの元凶ともなった忌むべき存在―――。
その一つ目は「魔法」の基礎原理。
そして二つ目は、その魔法の発動に必要な物質である、魔力の供給源たる窓口―――。すなわち「深窓」だ。
「彼らの存在を匂わす資料は史書の中には数あれど、魔術の奥義や研究に関する記録は、その悉くが散逸し、殆ど残っちゃいねぇ。簡単な物でも、魔術書が発掘されたとあれば、大発見になるくらいなんだぜ?」
「そうだな」
「そうだな、って……。そんな有様なのに、秘術や奥義を見つけるなんて……。そもそも、現存している可能性の方が、低いんじゃないのか?」
「書物として残っている必要はない。人でも構わない。口伝で、奥義が伝承されていることだって、考えられるわけだ。魔術はアイテムに『刻印』を―――すなわち記述を必要とする技術ではあるが、秘伝であるが故に、術式の内容と『展開』の手順を口伝で暗記させ、伝承させている術師は珍しくない」
その「簡単な魔術書」の現物を、写真で見たことがあるが、そのあまりに複雑怪奇で難解な構成に、眩暈がしたのをおぼえている。何しろ、簡略術式と複合式が多用され、むしろ、それのみで構成されていると言っても過言ではなかったからだ。術式の展開方法を探るのにプラスして、暗号解読を強いられているような気分になったのをおぼえている。
簡略式とは、その名の通り、数学でいう公式のように、定型的な一連の魔術式の展開方法を簡略化し、一文字でまとめたものだ。数学で例えれば、こうだ。
S=πr^2
という文字の羅列があったとする。これが一体何を示すか。
高等教育を学んだ者なら、これが「円の面積」を示すものだと少し考えればわかるだろう。だが、千年魔術師達が先の公式を、魔術式の簡略式で刻印した場合
●
円周の式(2πr)であったとすれば
○
とだけ記して終了するだろう。その簡潔さといったら、誇張も何も無く、本当にそんな感じだから始末に負えない。
簡略術式のメリットは、使用することにより、術具の素体にかかる「容量の負荷を、圧縮と言う形で大幅に減少させることにある。圧縮された魔術式だけで魔術式を組めば、正規の手法で刻印する何倍もの密度の魔術式を、術具に刻印することができる。
ただし、簡略式の中身―――すなわち、「どんな術式を簡略化させたのか」を失念してしまった場合は、刻印された魔術を半分どころか、全く発動させることができなくなる。●の公式は何だっけ? ○の公式は何だっけ? 実戦で焦っている際に、こうなってしまってはお終いだ。術式の内容を事細かに記すのは、万一の時のヒューマンエラーを回避する保険でもあるのだ。
現代の魔術師でも、こんな保険も何もあったものではない、曲芸まがいの術式を組むことはめったにない。それゆえ、現代の魔術の水準は、千年魔術師達の水準にはいまだ達しておらず、むしろ、未だ足元にすら及んでいないのではないかという説すら存在する。
「そんな奴らの奥義を見つけたところで、人智で理解できるものなのか……何にせよ、途方もない話だな。……いや、待てよ……」
アルフレッドはアルコールと眠気に抱かれた頭に鞭を打って、無理矢理目覚めさせる。
「千年魔術師達は、元凶である『深窓』の開発者で、ソイツはオンティニティア帝国の元・帝都に存在したんだ。だったら、オンティニティアを調べれば―――」
エルフィオーネは目を瞑ると、首を横に振った。
「そこは、まず最初に調べた。それこそ虱潰しにな。だが―――駄目だった」
「調べたって……」
領土こそ、全盛期でもあった当時とは比べ物にならないほど縮小したとはいえ、それでも、オンティニティア帝国は大陸の有力国の一つ。国土の面積も、アルマー王国やルテアニアに引けを取らない。そんな広い国を虱潰しとあらば、数多の人数と多額の費用をかけなくば、100年あっても終わるまい。それなのに、目の前の魔術師の少女は、あたかも家を探し回った後のように、至極あっさりと言ってみせた。でも彼女ならもしかしたら―――何か、秘密のツテのようなものがあって、それで―――いや、あり得ないか。
アルフレッドは深い詮索はやめることにした。彼女がそうしたというのなら、そうなのだろう。
「あのメルフィナとは、その時に知り合ったのだ。千年魔術師に係わる有益な情報があると、話を持ちかけられてな。ホイホイついていったら……」
「実はそれは真っ赤なウソで、魔術の奥義を置いてけ、とでも喧嘩を吹っかけられた、と。チンピラのカツアゲの手法そのままだな」
エルフィオーネは至極苦々しく笑う。
「まあ、大方そんなところだ。片腕をちょん斬って、分からせてやったが、逆に、変な感情に火をつけてしまった様でな」
げ……。アルフレッドは愛想笑いと共に、片頬を引きつらせた。「蘇生」で縫合出来るように切断してやったのは、せめてもの情けなのだろう。
「最初に出会った時から、殺し愛をするほどの仲とは……そりゃあ、俺なんかが一緒に居て、嫉妬されるわけだ」
ふふっとエルフィオーネが笑う。
「よく、三文小説にあるだろう。身分違いのカップルを咎めようと、女の取り巻きが男を『分不相応だ、離れろ』となじるシーン。さっきの酒場での出来事は、それを髣髴とさせるな。まったく、余計なお世話だ」
つられて、アルフレッドも笑った。




