暗雲 その3
「―――そうだったか。件の収穫祭の事件の当事者であり、彼女にとって、お前は命の恩人と。そういうことなんだな」
エーリックは酒に顔をほの赤く染めながら感極まったように言うも、アルフレッドは「大層なもんじゃないさ」と軽く一蹴した。
「それを言うなら、アリシアも、ウシオも、シャーロットもだろう。確かに、最初に倒れてるのを見つけて運び出したのは俺だったけどさ」
「だが、お前が彼女を探し出さなければ、そのまま毒牙の餌食になっていたのは想像に難くない。口には出さないだけで、相当感謝しているんだろう。でなくば、無償であのように素晴らしい奉仕はできないよ。―――なんとなく目に浮かぶ気がするよ。お前が彼女をその腕に抱え、夜の闇の中を疾駆する姿がな。まるで、少女が憧れる、おとぎ話の中の騎士様のようだ」
向けられた台詞を振り払うように、アルフレッドは手の甲を返す。
「だからそんな大層な物じゃねぇって。当然の事をしたまでだしさ。それに、騎士様はお前の方じゃないか。俺は町の世話焼き警備員さんで、なんちゃっての助平な作家先生。お前は麗しの王女様の近衛騎士。そうだろう? 俺みたいなゴツい騎士様なんて、女の子はお呼びじゃねぇって」
少し卑屈なように、アルフレッドは口元をつり上げる。
エーリック=アークライト。人呼んで、国家魔術騎士の【若獅子】。
国家随一の猛将たる【蒼雷侯】ジェスティ=アークライト侯爵の長男にして、アリシアの実兄。アルフレッドにとっても、共に少年時代を過ごした、兄弟のような存在でもある。
数多の天才・俊英が集ったとされる、国家魔術騎士養成学校アークライト領校『伝説の260期生』にあっては不動の首席。四回、五回生の時分では、アルフレッドでさえ、太刀打ちできなかった。
それに加え、在学時、さる事件で打ち立てた功績により、若干18歳にして将軍の称号を国家より賜り、自領内はおろか、周辺の貴族の騎士団を率いる権限を得、【蒼雷侯】を凌駕する傑物と、国中に衝撃を与えた。
騎士学校を卒業し、国家魔術騎士の爵位を正式に叙勲されたのちは、華の王都へと招聘され、幼年時からの縁故もあり、次期王と目されている、ジェシカ王女殿下の近衛騎士団に編入。順風満帆に出世街道を歩んでいる。
妹のアリシアを見ても分かる通り、そのルックスも抜群。おまけに弁舌も闊達という、まさに天より二物も三物も与えられた、実も華も備わりし好漢である。
「そのことなんだがね。最近になって、団長の補佐まで任されるようになってさ……。事務仕事を色々押し付けられて、難儀してるよ」
フッと鼻で笑いながらエーリックは疲れたように言う。
は? とアルフレッドは目を見開く。
「……そりゃあ世にいう昇進、昇格の類じゃないか!」
近衛騎士団の団長は、王女の寝室に入ることが許される女性しか就くことは許されない。その団長の補佐役といえば、男性性においては王女の、ひいては、次期女王の傍らに最も近い存在ということになる。貴婦人に奉仕と忠誠を誓うことを至上とする類の騎士としては、現アルマー王国ではその頂点に君臨すると言っても過言ではないかもしれない。
「うーん……そういうことになるのかな?」
あっけらかんと言い、首を傾げる。その仕草、妹のアリシアを何となく彷彿とさせる。
「知らないうちにそんなオエライさんになってたのかよ、将軍! やっぱり今日は呑もう。もっともっと呑もう。昇進祝いだ!」
「よせよ。そんな大したものじゃないさ。―――それより、お前の作家稼業のほうはどうなんだい? 私としては、早いところ王都の書店でも手にとれるようになってほしいよ。王都まで送らせるのに、家臣に手配をさせるのもひと手間さ」
「へっ。何だよ、うるせえな。だったら今回みたいに休暇でもとって、定期的に帰ってくればいいんだよ」
アルフレッドは呑みかけのグラスを、たん、とテーブルの上に置く。
「と、冗談はさておきだ。半ば趣味で気軽にやってる仕事とはいえ―――もう少しばかり売れてくれりゃ、胸張って副業って言えるし、作品を支えてくれてるあの娘にも、申し訳が立つんだがなぁ」
アルフレッドは返本されてきた「与え姫奇譚」の在庫を、横目で見遣り、自嘲した。
「……まあ、もっとも。今の王家の情勢を鑑みるにだ―――その御膝元である王都に、こんな本が出回った日にゃ、ちょっとした騒動になるだろうな。『新手の王家批判か』って具合にさ」
エーリックは何も返さず、ただ酒を呷るだけだ。
「……なあ、エーリック。今回のお前の休暇っての、その王室のゴタゴタが絡んでるんじゃないのか?」
ピタリ、と酒の呷りを止めるエーリック。グラスから口を離す。
「どうして、そう思う?」
「正直、政治とかそういう手合いの話題は苦手なんだが―――歴史小説書いてると、どうしてもその辺の背景や事情に詳しくなっちまう。表立って公表はされていないが―――今の宮廷内のゴタゴタは、最早隠しきれないところまで来ている」
コトン、とグラスを置くエーリック。酔いが回ってきているのか、そのまま、フゥー……と大きく息を吐き、ソファーに背を凭れさせ、天井を仰ぎ見た。
「なあ、アルフレッド。私は贅沢者なのかな」
「あん?」
前後の要領をえない質問だった。だが、その口ぶりに、先のアルフレッドの台詞の何倍もの卑屈や自嘲を漂わせている。
「隣の芝は、というやつなのかな……。正直なところ、私はお前を羨ましく思うよ」
「……何だ、そりゃ」
「アルフレッド。お前は今の自分の境遇を、どう思う? 満足できているか?」
アルフレッドはぐいっ、とグラスに残った酒を飲み干すと、新たな酒を注ぎながら「そうだなぁ……」と、自身の日常に想いを馳せる。
「風雨をしのげる場所を無償で借り、仕事は食いっぱぐれが無い程度にある。何もない日は趣味で助平な創作活動やら、取材という名の小旅行やら。少ないけど読者の子も居て、たまに遊びに来てくれる可愛い妹分がいて、町の人間からもありがとうって感謝されて、後輩からも教官って呼ばれて、今じゃ美人の助手まで傍に居る」
再びグラスに口を付けながら言う。
「いろいろ苦労して得たモンだとは言え、俺みたいな根無し草には正直、分不相応なくらいに恵まれた境遇だと思うよ。今日明日を生きられないような、貧民街や寒村の人間たちの事を思うとな。十分すぎるくらいに満足だ。満足しなきゃならない。そう思ってる」
アルフレッドは俯き加減に言う。
「……この中に身の程知らずの贅沢者が居るとしたら、それは俺の方だよ、エーリック」
「何故だい?」
「……最近さ、気付いちまったんだ」
アルフレッドは首を傾けながら中空を、酔いの濁った目で見ながら、酒気と一緒に言葉を吐く。
「完全に焼き捨てたと思った、俺の理想。国家魔術騎士の称号のもと、お前らと肩を並べて、護国の為に剣を振り、世話になった親父殿や御袋様、領地のみんなの恩に報いようっていう俺の夢―――。それはまだ、心の奥底に、まるで残り火みたいに、しぶとく燻りつづけてやがる。そいつが、焚き付けるんだよ。『お前が求めたのは、こんな姿じゃないだろう』『この調子じゃ、借りは一生かかっても返せないぞ』ってな具合にさ。面倒くさいことになぁ……求めた姿じゃないから、借りが返せないから―――だったら、俺にどうしろって言うんだよって。なあ。今更どうやったって国家魔術騎士にはなれない。もう、夢は終わったんだって、これでもかって程言い聞かせてきたつもりだったんだがなぁ……魔術騎士学校を追われた、あの日からなぁ……。」
その後、両者は沈黙する。
ややあって―――。
酩酊で、アルフレッドは危うく体勢を崩し、転げ落ちそうになった。慌てて立て直し、姿勢を正す。
「おっとと……。悪ぃな。愚痴ばかりで」
「……構わんさ。もともと、この席は、そういう場なんだろう。自分で言ったことじゃないか」
「はは……そうだったな。じゃあ、エーリック。次はお前の番だ。思う存分、ぶちまけてみな。こんな俺が羨ましいってのは、一体全体、どういうことだ?」
エーリックは小さく笑いながらグラスを呷り「そうだな」と前置いた後、語りだした。
酒に対しては当に愚痴るべし




