収穫祭の夜に その2
アリシア=アークライト。14歳。一言で言ってしまえば、友人の妹。
10年来の縁があり、今となってはアルフレッドにとっても妹のような、幼馴染のような間柄だ。呼び方も、互いに呼び捨てである。現在は、アルマー王国国家魔術騎士養成学校アークライト領校所属の『従騎士』の身分にあり、国家魔術騎士叙任のために修行中の身で―――とは、あくまで名目上の話。
普段は同校の寄宿舎で寝泊りしている彼女だが、時折こうして思い出したように、ひょっこりとやってくる。そして、何か変わったことをするでもなく、頼まれてもいない身の回りの世話や、雑談など、取り留めのないことを甲斐甲斐しく行っては何日か泊まり、満足すると帰っていく。まるで窓から飛び込んできた小鳥のように、かしましく。
仕事以外はおおかた部屋に篭って一人で副業に専念しているアルフレッドにとっては、孤独と、アイディアが浮かばない悶々とした気分とを紛らわせてくれる、一応、ありがたい存在ではあった。
「疲れたでしょ? お風呂沸かしてあるから」
「あ、ああ。悪いな、なんか。その……収穫祭の件とか」
「いいのいいの。お仕事長引いちゃったんでしょ?」
本当に怒っていないのだろうか。今のところ、言葉からは怒気らしきものは感じないが。
「シャーロット、帰ってきたよー。『先生』が」
その声を聞き、暖炉の近くのソファから、アリシアよりさらに一回り小柄な少女が立ち上がった(背凭れに隠れて見えなかった)。アリシアとは好対照の、控えめな足取りと仕草で近づいてくる。
前々回アリシアが来た時に、一度だけ会ったことがある。
可憐な顔つきに大きな紺碧の瞳。ふわりとした薄碧の髪に、特徴的な、尖った長い耳。
誰もが一目瞭然の、エルフの少女だ。
確か名前はシャーロット=エンテール。アリシアの友人で、同じく国家魔術騎士養成学校の校生であり『従騎士』である。
「ええと……お仕事、お疲れ様です!」
「ああ、確か、シャーロットさん。だったよね? 名前」
ぱあっと、シャーロットはその顔つきににあう、笑顔を咲かせる。
「名前……覚えててくれたのですか? ありがとうございます! うれしい……」
「そりゃあ、ねえ」
アルフレッド自身、エルフという存在は書物で知りこそすれ、実物を見たことは数えるほどしか無かった。なので、アリシアが今までに連れてきた友人一同の中で、唯一、それも強烈に覚えていた。
―――エルフは基本的に人間と交わることを良しとしない種族だ。種族間の友好度は、正直、最悪レベルだといっても差し支えはない。
アルマー王国西方の僻地で、領地の拡大(あちらの言い分は失地回復らしいが)を目指して侵攻を繰り返す異民族の連中を、国民が「蛮族」と蔑むように、エルフも人間を「蛮族」と蔑み、人の目が届かない広大な森の奥地に身を隠し、独自の文化を築いている。両種族の国交や交流のようなものは皆無に等しく、あちらが蛇蝎の如く嫌うなら、こちらもお返しにといわんばかりに、人間社会でのエルフへの心象も、決して良くはない。
そんなエルフの彼女が何故、人間の尖兵として戦うことを決心したのか。恐らく並々ならぬ事情があるのだろう。興味は尽きないが、聞き出そうとするのは過去のいざこざを掘り起こすようで、口には出さないでいる。詮索屋は嫌われるものだ。
「あの……新作読みました! アレックスくんすごく格好良かったです!」
紺碧色の瞳をさらにキラキラと輝かせ、身長差のせいで、見上げながらの姿勢で言う。
「ああ、ありがとうシャーロットさん。俺の周囲は基本的に、本のほの字も無いような、脳まで筋肉で出来ているんじゃないかっていう連中ばっかりだから、感想を聞かせてくれるのは実にありがたいよ。励みになる」
「それ、私のことも含んでたりするの? 私だって本ぐらい読むよ」
「おいおい……誰もそんなこと言ってないって」
口を尖らせながら、アリシアはアルフレッドが脱いだジャケットを受け取った。
「次回作……期待してます。ついにアレックスくんが従騎士から正式な騎士になるんですよね!」
「ここまで長かったけどね。ちょっと時代考証とかその辺に難儀してて、それが済んだらもっとスピードアップできると思う」
「あっ、でも、早さはお体に障らない程度でいいので……」
「ありがとう。シャーロットさんのために頑張るよ」
「あ……ありがとうございます! 応援してます!」
両の掌を口に宛がいながら喜ぶシャーロット。
会話が終わったと同時に、「早く入ってきてよ、お風呂」とアリシアが腰に手を当てながら急かしてきた。
アルフレッドの副業、それが文筆活動である。
請け負う仕事の無い時間、手慰みにと思ってはじめたものだった。
ただし―――売れているとはお世辞にも言いがたい。
芳しい報告は書店ではまず聞かない。作品が、棚の片隅に一度も人の手に取られたことがないと言わんばかりに、埃がかぶった状態で置いてあるのを見ると、思わず苦笑いがこみ上げる。
そんな中で、シャーロットは初期からずっと、アルフレッドの作品を追いかけてきた。いわゆる、ファンだ。少なくとも、アルフレッドが知り得る、唯一のファンだ。何しろ、今まで書籍化された作品はおろか、依頼されて別名義で書いていた、好色物の作品さえ、文体で見破り、手元にそろえていると言うのだから恐れ入る。
現在執筆しているのは、今から500年前の、アルマー王国の『暗黒時代』を舞台とした時代物だ。時代物が特に好きだというシャーロットは、続刊を常に待ち望み、期待に大いに胸を膨らませていると言う(実際、身長に不釣合いなほど、豊かに膨らんでいる)。
しかし、やはりというか、時代考証には相当手こずらされており、執筆速度は通常の半分以下にまで落ちている。アイディアやひらめきでどうこうできる事ではないので、純粋に知識がないと、どうしようもない。迂闊な描写一つで、その手のジャンルに精通した読者を白けさせてしまう恐れがあるので、常に資料と睨めっこ状態なのはさておき、いざ書いてみたものを「これでいいか?」と相談できる相手もいないのだ。
シャーロットが言うには、「いまのところ、そこまで致命的といえるようなところは無い」「気にならないレベル」とのことだが、「そこまで」の中には、いったい、どれだけ、やらかしてしまっている箇所があるのだろうか。
だが何にせよ、ファンと言うか、読者の存在は大きな励みになる。
そういえば初対面だった前回の来宅の時は、つい朝まで語り尽くしてしまい、横でアリシアが涎をたらしながらうたた寝していたのを覚えている。
風呂から出ると、待っていたのはアリシアとシャーロットだった。
しかも寝巻きではなく、両者とも、どこをどう見ても余所行きの、しかし華美すぎない小奇麗で可愛らしい服を身に纏っている。そして帰宅時以上の満面の笑顔でアルフレッドを見上げるアリシア―――。
「……そういうことですか」
ここに来て、アルフレッドは悟った。
確かにアリシアは怒ってはいなかった。収穫祭巡りの予定は、少なくとも彼女の中ではご破談にはなっていなかったからだ。
「いくら収穫祭だからって、仮にも男を連れて堂々と夜遊びなんて……仮にもいち侯爵家の……」
「これなら完っ璧に普通の町娘じゃん。いいのよ、家のことは。今日は無礼講なんだから関係ないって。それに、いざとなったらアルフレッドが護ってくれるんでしょ?」
「護るって……。まあそりゃあそうだけど、そもそも、俺よりお前らのほうが……」
「いいから、早く出陣よ! 出陣! 何のためにここに来たのか、わかってるんでしょ?」
「アルフレッド先生……よろしくお願いします」
盛大に頭を抱えたくなった。が、その手を強引にアリシアに引っ張られ、アルフレッドは最早なすがままだった。これは「命令」なのだ。拒否権はない。
(すまん、エーリック……俺にはやっぱり、このじゃじゃ馬は御しきれん)
遠く王都に居る友人にして、アリシアの兄、エーリック=アークライトに心の底から謝罪しながら、アルフレッドたち三人は夜の港町へ駆けていくのだった。