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与え姫奇譚 ~または不術騎士アルフレッドの数奇なる立志英雄譚~  作者: 天流貞明
第二章 魔術師エルフィオーネと狂戦士アルフレッド
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魔術師エルフィオーネという人物



 数えるべき染み一つ無い天井を見上げながら、ぼんやりと思案に耽っていると、いつの間にか夜が明けていた。新しい朝の到来を告げる、鶏の泣き声が、遠くから聞こえてくる。

 アルフレッドはカーテンの隙間から差し込む朝日の光を目に受け、ソファから立ち上がると、周囲を見渡した。

 襲撃は起こらなかった。すべて世はこともなく、全員、何事も無かったかのように、すやすやと(約一名グースカと)寝息をたてて眠りについている。見張り番のシャーロットは、うつらうつらと舟をこいでおり、今にも眠りに堕ちそうな雰囲気だ。シャーロットの長い耳に、アルフレッドは「もう、寝てていいよ」と耳打ちすると、彼女は「すみません先生……おやすみなさい」と言った後、こてん、とソファーの上に堕ちた。

 アルフレッドは、台所へと向かい、朝食の支度をはじめた。

 保冷箱から、卵や野菜をはじめとする食材を取り出し、キッチンに火をかける。

 パンと、目玉焼き、ベーコン……牛乳に、レタスとトマトのサラダ……簡単な物でいいだろう。ついでに、二日酔い対策に、ウシオマルにはトマトジュースでもくれてやる。味噌汁をよこせと言われても無視をするに限る。

 一通り作り終え、料理をトレーに載せおわった頃には、一同もぼちぼちと目を醒ましはじめたようで、ロビーからは眠たげな声が聞こえてきた。

 

 

「食ったら少し仮眠する。さすがに貫徹は、今日の仕事に障る」

「アルフレッド、お疲れお疲れ!」

 本来の報酬がようやく下賜された。アリシアは眠たげにパンをかじるアルフレッドの白髪頭を、子供を褒めるように撫でている。

「アルフレッド殿、やっぱり今日も行かなきゃならんのかのう。昨晩十分に提示金額分の仕事をしたじゃろうに」

 案の定味噌汁をよこせと要求されたが、代わりにトマト汁を手渡されたウシオマルが、酔いどれのぼんやりとした目つきで言う。

「依頼の期間は収穫祭が終わるまでだろ。昨日のアレは、酔っ払いの暴徒の取り締まりみたいなモンで、それが本来の俺たち仕事だ。どうしても嫌なら、あねさんに助っ人を要請しに行くが……」

 ウシオマルはにわかに慌て始めた。

「ややややめるんじゃ、そんなことされたら義姉者にブッ飛ばされる」

「なら、文句言うな。三時間後、九時には出るぞ。昨日のヤツらの残党が、まだ居ないとも限らないからな。気は抜けん」

「大人は大変だねー」

「何なら、一緒に社会見学してみるかい? お姫様」

「そうしたいのは山々だけどねぇ、この子らの護衛もしてあげなきゃ」

 アリシアは、未だに泥のように深い眠りについているエルフィオーネと、安らかに寝息を立てるシャーロットの寝顔を交互に見遣った。




 三時間後、アルフレッドとシャーロットはほぼ同時に目を醒ました。

 そして身支度の後、アルフレッドとウシオマルは、玄関でアリシアとシャーロットの見送りを受けていた。

「気をつけてね、アルフレッド、ウシオくん」

「どうか、ご無理をなさらぬよう……」

「なあに、奴ら程度なら、たとえ百人来ようが一捻りじゃわ」

「俺が戻るまで、彼女の護衛は任せるぞ。終わったら、ちゃんと祭り散策には付き合ってやるから。ああ―――そういえば、エルフィオーネも、同じ目的で来てるんだっけか」

「おっ、護衛にかこつけて、美少女3人侍らせハーレム気分を満喫する気かな? この助平スケベ

「ハーレム? ただの引率だろ? 引率」

 にべも無く、あっけらかんとのたまう。これにはさすがにアリシアも、苦笑いを禁じ得なかった。

 二人を見送り、アリシア達が再びロビーに戻ると、藤色の髪の少女―――エルフィオーネが、毛布を膝に上半身を起こし、大きく背伸びをしていた。

「あ、目覚めたみたいね。エルフィオーネさん、気分はどう? 傷は痛まない?」

 歩きながら、気安くエルフィオーネに語りかけるアリシア。

「ああ、公女殿か。気分なら、すこぶるいい。傷もこれこの通りだ」

 そう言って、シャーロット謹製の包帯を、腹からするりとほどく。一体どこを傷つけられたかわからないほど、傷跡は綺麗に消えうせていた。白く、うっすらと腹筋の筋が見える、端整かつ健康的な腹部があるだけだ。

「わあ……本当に完治してる。信じられない」

 治療した本人であるシャーロットは再三、目を白黒させた。

「私にこれを巻いてくれたのは、あなただったな。エルフのお嬢さん。重ね重ね、感謝する。名前は―――ええと、一回聞いたような気もするが」

「シャーロットと申します。宜しくお願いします」

「あらためて、アリシアよ。年上のレディなんだから、公女殿、なんて呼び方は不要よ。呼び捨てでいいわ。宜しくね、エルフィオーネさん」

「なら私にも、余計な敬称は不要さ。貴族の身である貴女は、下々の者に、敬称を使う必要も無いだろうし、シャーロットに関しては、私より年上であろう?」

 えっ。とシャーロットは返答を濁した。

 確かに、エルフィオーネが、ただの魔術師だというなら、間違いなくその通りだろう。

 だが彼女が、もし「エルフィオーネ婦人」本人だと言うなら、その年齢は500歳以上、そしてさらに、「与え姫」だとしたら、実に600歳以上―――。

 と、考えたあとで、ふるふると小さく首を横に振る。

(まあ、そんなことはない。そんなことはないよね……。ちょっと、空想と現実をごっちゃにしちゃってるみたい……)

 今頃「先生」も、同じことを考えているだろう。最初は、確かにぎょっとしたが―――一夜明けて冷静になってみると、こんなものだ。

「それでエルフィオーネ、何か必要なものある? ご飯とか、お風呂とか」

「そうだな……」

「それともワタシ? なんちって」

「ほう、いただけるなら、貰うぞ? もっともそうなったら、昨日いた世界には永遠に戻れなくなるやも知れぬが、それでも良いか?」

 引きつった笑いで答えるアリシア。

「えっと、じょ、冗談、だよね?」

「どうかな?」

 妖艶な笑みを浮かべ、瑞々しい唇に舌先を這わせる。

「え、えっとその。わ、わたし、そっちのケは―――」

 本気で狼狽するアリシアを見たところで満足したのか、エルフィオーネはフッと小さく笑った。

「冗談だ。―――風呂を貰おう。案内して貰っても宜しいか?」

 

 



「―――本当に、何もしないよね?」

「ははは、本気で驚かせてしまったようだな。私は美しいもの全般をこよなく愛する主義なだけで、心配は無用さ」

 白煉瓦造りで、黴も見当たらない浴場の脱衣籠に、魔術式が設えられたローブ、フリル付きの、ビスチェ仕立てのコルセット、シルクの羽衣、インナー、下着等が次々と投げ込まれていく。

 生まれたままの姿になったエルフィオーネは、長い藤色の髪をふわりと舞い上げ、纏めはじめた。

 白く均整の取れたボディは、まるで、造られた彫刻オブジェのように美しく、かつ、ともすれば壊れそうな危うさをも漂わせている。男女問わず見惚れるような光景では在れど―――アリシアは、主に胸元と、くびれと、背丈とを自信と比較しながら、複雑そうな表情を崩さない。

「―――大丈夫。あと5年、いや、4年待つのだ」

「ほっといてよ、もう」

 どうやら、気取られていたらしい。アリシアは顔を紅潮させながら、口を尖らした。

 よいしょ、と、衣服が盛られた脱衣籠を持つと、アリシアは笑顔で言った。

「洗濯しておくわ。破れもばっちり縫って綺麗にしておくから、任せて」

「おおよそ、公女がするようなことではないな」

「お母様にね、仕込まれたのよ。婦女としてのたしなみってね。そんなスキルもってる子なんて、大小どの貴族の姫にもいないってのにね」

 苦笑しながら、アリシアは言う。

「ほう……たしか、アークライト侯夫人は、ナ国人だったな。道理で」

「へえ、よく知ってるね。炊事、洗濯、裁縫、掃除―――都合よく男に尽くすようなスキルばっかり、よくもまあって思うけどねぇ」

「ナ国では、女は家中奥にあってく内助に励むが理想、という風潮が根強い。だから、女が表に出て活躍したりする機会は、極端に少なく、歴史に名の残る者は、本当に数える程度しか居ないという」

「ひどい話よね。女を何だと思ってるんだか。―――そう思っちゃうあたり、私ってまだ子供なのかな」

 その質問には返答はせず、ひたすら、くるくると髪を纏め上げていくエルフィオーネ。

「―――だが戦となれば、小国であればたとえ姫であっても、兵士や侍女に混ざり、炊飯や怪我人の救護に奔走するという。普段は奥にある身分の者がだぞ。だが、普段は表に居ないからこそ、領民や兵士達を、平服姿で慰撫し鼓舞していく姿は、実に気高く、そして美しく見えるという―――美しいと言うことは、大事だ。実に大事だ。そうは思わんかね?」

「う、うん」

「まあ、何が言いたいかというと……だ」

 言い終えるのと、髪をまとめ終えるのは、同時だった。

「母上から賜ったその技巧群は、騎士様おとこの心を射止めるのに、非常に大事なスキルであり、これからも鍛錬していく余地があるということだ。―――いるんだろう? 年頃だし、そういうのが」

 アリシアの脳裏には、真っ先に、兄の友人であり、自身も実の兄のように慕う、一人の白髪の青年の顔が思い浮かびそうになったが、慌てて霧を払うように霧散させた。彼とはそういう関係ではないのは事実だし、そういう感情を抱くことなど、今更できない。そう、できないはず、なのだ。

「どこをどうまとめたらそういう結論になるかな。って言うか、からかわないでよ! もう!」 

「ははは、すまない。歳若い貴人と親しくなるのは久々だし―――あと、つい昔の友人を思い出したのでな。―――では失礼する」

 どうも話のペースを握られすぎている。アリシアは不本意そうな表情で、浴場へと向かうエルフィオーネの背中を



(えっ……!?)



 背中を、見た。そしてその瞬間、その背に、アリシアの目は釘付けになり、思わず脱衣籠をその場に落とした。



 ―――魔術式だ。

 


 その白く華奢な背中をびっしりと覆いつくす、魔術式の羅列。大群。ローブと長い髪に隠されて判らなかったが、今はそれが纏め上げられ、その姿を白昼に晒している。魔術師を名乗るにもかかわらず、彼女の術具がどこにも見当たらないと思ったら、そういうことか。アリシアは納得しつつも、信じられないといった面持ちで呆然としている。

 ―――魔術式を、からだに刻印する。それが出来れば、理論上、術具を携帯せずとも魔術を行使することが可能になる。自身が術具と同義の存在になるからだ。

 だが、それを行うのは、アルマー王国の法律では禁止されている。

 何故か?

 今までにそれを試して、成功させた人間は、全くといって良いほど存在しない上に、試した人間は、ほぼ例外なく、発狂もしくは廃人となったからだ。流れ込んでくる膨大にして強大な「情報」や「意思」に脳髄を焼き焦がされるかのように。

 アリシア自身、「成功させた人間」を眼にするのは、初めてだった。

(まさか、本当に存在するなんて……。しかも、一体何の魔術式!? 見たことも無いほど複雑だけど……)

 今まさにドアの向こうの浴場に姿を消そうとしているエルフィオーネ。アリシアは、慌てて見える範囲で、その魔術式の解読をはじめた。

 だが―――。

「……うっ。ううっ。な、なにこれ……」

 その瞬間、強烈な眩暈と吐き気に襲われた。

 解読しようとして、頭の中に飛び込んできたイメージは、何のものか全くわからない「情報」の海だった。まるで、何を記されているのか判らない、学術書の文字群の奔流が、否応無しに頭に流れ込んでくる感覚だ。

 それが、まさに津波のように押し寄せ―――今にも頭脳を砕かんとした。

 アリシアはその場に、頭を抱えながら、ぺたんと座り込んでしまった。未だに、頭痛がする。

(……伊達やただの刺青ってわけじゃない。正真正銘の魔術式だわ……何かはわからないけど、間違いなく)

 そういえば、シャーロットとアルフレッドが、昨日しきりに話していた。

 彼女と同じ名前を持つという、謎多き歴史上の人物、エルフィオーネ婦人。その正体は、アルマー王国民なら誰でも知っている伝説の英雄「与え姫」である―――という設定の下でかかれたアルフレッドの小説「与え姫奇譚」。もし、物語の中から、彼女がこの世に顕現したのなら、まさに彼女のイメージで一致する……と。

 空想と現実をごっちゃにして、一体何を血迷ったのかと、そのときは小ばかにしていたが、あの魔術式のせいで、考えが揺らいだ。

 本人は、自身のことを、「ただの暇人」といって憚らないが―――。

(あの人、一体何者なの……?)



日常といっても、平穏とは限りませんが

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