勧善懲悪マン
夕方のスーパーで、悲鳴が上がった。
「出たぞ!万引き怪人だーッ!!」
パン売り場から黒い影が飛び出した。
全身タイツ。
胸には大きく「窃」の文字。
背中には大量の菓子パン。
口には魚肉ソーセージ。
万引き怪人シーフドッグだった。
「フハハハハ!! おれは軽犯罪秘密結社ハンザイナーの怪人!! 本日の戦利品は菓子パン六個、プリン三個、魚肉ソーセージ四パックだァーッ!!」
店長のおじさんが叫んだ。
「それ新商品ーッ!!」
シーフドッグはスタコラ走った。
その時だった。
ウィーン、と自動ドアが開いた。
逆光の中に、白い人影が立っていた。
白いスーツ。
白いネクタイ。
白い革靴。
胸には、大きく「善」の文字。
勧善懲悪マンだった。
店内が静まり返った。
シーフドッグも止まった。
「……げ」
勧善懲悪マンは静かに言った。
「貴様は万引きをした」
「ち、違う!これは借りてるだけというか!」
「窃盗だ」
「生活も苦しくて!」
「犯罪だ」
勧善懲悪マンは、一歩前へ出た。
「悪」
次の瞬間だった。
白い革靴が、シーフドッグの腹へめり込んだ。
「がぼッ!!」
胃液が飛び散った。
勧善懲悪マンは、飛んだ魚肉ソーセージを拾った。
包装を剥いた。
「万引きとは、店から利益を奪う行為」
シーフドッグが這って逃げようとした瞬間、その後頭部を踏みつけた。
「や、やめ――」
ソーセージを喉奥へ押し込んだ。
一本。
二本。
三本。
喉が異様に膨らんだ。
ひゅう、ひゅう、と壊れた笛みたいな呼吸音が鳴った。
勧善懲悪マンは、今度は菓子パンを袋ごと握り潰した。
潰れたパンを、血まみれの口へねじ込んだ。
「店が潰れれば、人が路頭に迷う」
シーフドッグは白目を剥き、自分の喉を掻きむしった。
勧善懲悪マンは、その指を掴んだ。
「商品を盗む手だ」
ベキ。
ベキ。
指が逆方向へ折れた。
次の瞬間。
ぶち、と嫌な音がした。
喉の皮膚が裂けた。
内側から、押し込まれたソーセージの先端がぬるりと飛び出した。
女子高生の店員が吐いた。
勧善懲悪マンは静かに言った。
「万引きは、人を殺す」
そして最後に。
シーフドッグの頭を掴み。
レジ台の角へ叩きつけた。
ぐしゃ。
もう一度。
ぐしゃ。
赤黒いものがレジ横へ飛び散った。
魚肉ソーセージだけが、ころころ転がっていた。
誰も動けなかった。
店長だけが、震える声で言った。
「……で、でも……助かったんだよな」
誰も返事をしなかった。
勧善懲悪マンは、いつからか現れたヒーローだった。
勧善懲悪マンは、悪を裁いた。
強盗。
詐欺。
暴力。
横領。
そして万引き。
全部同じだった。
泣こうが。
謝ろうが。
事情を話そうが。
「悪は悪だからだ」
それだけだった。
最初、人々は熱狂した。
悪人を必ず倒すヒーロー。
警察より早く現れ、逃亡も許さず、再犯率はゼロ。
テレビは毎日特集した。
子供は真似をした。
「勧善懲悪キーック!!」
とか言いながら、公園で友達を蹴った。
だが。
時間が経つにつれ、人々は少しずつ気づき始めた。
勧善懲悪マンは、「悪人」を決して許さない。
更生も。
反省も。
事情も。
全部飛び越えて、壊す。
その日、駅前に浮気怪人ラブリンが現れた。
ピンク色のタイツを着た女怪人だった。
頭にはハート型の触角。
胸元は無駄に開いていた。
「フフフフ!! 既婚者専用マッチングアプリ、“マジ恋DX”によって、この街の家庭はボロボロよォ〜ッ!!」
巨大スマホを掲げ、高笑いしていた。
野次馬の中には、
「あ、これうちの旦那のアイコン……」
と呟く主婦もいた。
ラブリンは笑った。
「愛にルールなんてないのよォ!!」
「家庭?貞操?そんなもの、ドキドキの前では紙切れ同然だわァ!!」
その時だった。
ざわり、と人垣が割れた。
白いスーツ。
白いネクタイ。
勧善懲悪マンだった。
ラブリンの顔が引きつった。
「ちょ、ちょっと待って!?浮気なんて人類の歴史と共にあるものでしょ!?」
勧善懲悪マンは歩み寄った。
「貴様は家庭を破壊した」
「でも合意の上だし!?」
「悪だ」
ラブリンは後退った。
「いやいやいや!!もっと悪いやついるでしょ!?殺人鬼とか!!」
「順番だ」
その瞬間だった。
勧善懲悪マンは、ラブリンの顎を掴んだ。
メリメリ、と湿った音がした。
顎が外れた。
口が、柘榴みたいに耳元まで裂けた。
「甘い言葉で家庭を壊した」
勧善懲悪マンは、巨大スマホを握り潰した。
液晶が蜘蛛の巣みたいに砕けた。
「言葉は、人を傷つける」
割れたスマホを、ラブリンの顔面へ押し当てた。
ガラス片が頬へ埋まり、血が滲んだ。
ラブリンは潰れた蛙みたいな声を漏らした。
勧善懲悪マンは、そのままスマホを裂けた口へ叩き込んだ。
頬骨が割れた。
奥歯が喉へ落ちた。
ぶぶっ、と通知音が鳴った。
《今から会える?♡》
血まみれの顔の奥で、スマホが震えていた。
勧善懲悪マンは、ラブリンの顔をガードレールへ擦りつけた。
ギギギギギ、と嫌な音が響いた。
頬の肉が薄く削げ、アスファルトへ貼りついた。
「嘘を囁いた舌だ」
勧善懲悪マンは、口から舌を引きずり出した。
そして。
引き千切った。
ラブリンの絶叫は、途中から泡になった。
最後に。
白い革靴が、ラブリンの頭へ乗った。
小学生くらいの子供が泣き始めた。
母親が慌てて目を塞いだ。
がん。
がん。
ぐしゃり。
割れたスマホの破片と、歯と、骨が、どろりとアスファルトへ広がった。
ハート型の触角だけが、ぴくぴく動いていた。
勧善懲悪マンはくるりと振り返った。
白いスーツには、一滴の汚れもなかった。
「安心しろ!」
勧善懲悪マンは、人々へ向かって言った。
「悪は、私が裁く!!」
誰も拍手しなかった。
けれど誰も、「やめろ」とも言えなかった。
だって確かに。
悪は、裁かれていたからだった。
その夜のことだった。
住宅街で、突然悲鳴が上がった。
「ひったくりーッ!!」
サラリーマン風の男が、鞄を抱えて走っていた。
後ろから女が泣きながら追いかけていた。
ざわり、と空気が揺れた。
白いスーツ。
勧善懲悪マンだった。
男は止まった。
「ち、違います!!これ僕の――」
「逃走」
勧善懲悪マンは言った。
「窃盗犯だな」
「違う!!これ会社の鞄で!!」
勧善懲悪マンは、男の顔を掴んだ。
「待っ――」
民家の塀へ叩きつけた。
頬骨が砕けた。
鼻梁が陥没し、血泡がぶくぶく膨らんだ。
周囲が凍りついた。
女が叫んだ。
「あっ!!違います!!あの人です!!犯人、この人じゃなくて!!」
別の男が、人混みの奥を走っていた。
女の鞄を抱えたまま。
本物のひったくり犯だった。
空気が止まった。
勧善懲悪マンも止まった。
倒れた男は、血まみれの顔で震えていた。
数秒の沈黙のあと。
勧善懲悪マンは静かに言った。
「……紛らわしい行動は慎め」
そして去っていった。
救急車のサイレンが近づいてきた。
誰も喋らなかった。
野次馬たちは、ただ互いの顔を見た。
コンビニで、会計前の商品を持ったまま歩いたら。
夫婦喧嘩をしていたら。
会社の金を数えていたら。
誰かに「悪」に見えたら。
あるいは。
勧善懲悪マンが、そう判断したら。
白いスーツは、呼ばれなくても来る。
どこからともなく現れる。
そして、一度「悪」と決めたら終わりだった。
それ以来。
人々は、静かに暮らすようになった。
夜道で口論する声は減った。
レジ前で慌てて財布を探す人間も減った。
店員へ怒鳴る酔っ払いも減った。
誰も、クラクションを鳴らさなくなった。
皆、心のどこかで考えていた。
今、この瞬間も。
どこかで。
白いスーツが見ているのではないか、と。




