四話 さよならクラたん
さかさクラゲの観察日記。花丸。
シュウ君が学校で金色のリボンを貰ってきた。
ハルコさんのはしゃぎっぷりは痛々しい程で、いつまた下の夫婦が文句を言いに来るか、気が気ではない程だった。
「大っきいケーキ買ってこよう!」
ハルコさんが提案し、シュウ君も答える。
「イチゴがいっぱい乗ってるのがいい!」
という事になり、二人は近所へ買い物に。
もちろんクラたんへの餌やりも忘れない。
「クラたん、行ってくるね。お留守番しててね」
クラゲを除けば二人きりだが、幸せな日々。
買い物だって二人で行けば楽しいおでかけ。
お婆ちゃんも呼んじゃう?
そんな話をしながら買い物を済ませ、家に戻る。
途中。
「あーっ、いけない」
何か買い忘れたようだ。本当にサザエさんみたいだ。
「シュウ君、ちょっとだけ先に戻ってて。すぐ買ってくるから」
アパートは目と鼻の先だった。
それが油断だった。
一人戻るシュウ君。
すぐに異変に気付いた。部屋の扉が開いている。
「お婆ちゃん?」
祖母が来ているんだと思い中に入る。
しかし祖母ではなかった。
男がいた。
部屋の中央の椅子に座り、ビールを飲んでいた。
袖からは火のような気持ちの悪いタトゥー。
シュウ君は知らない筈の顔。
でも夢の中で何度か見た顔。
「お、シュウなのか。でかくなったな」
少しも愛着を感じない声でわざとらしく笑う。
「鍵‥」
どうやって入ったのか尋ねると、男は呆れた様に言った。
「開いてたんで入って待ってたんだよ。相変わらずドジでバッカなトロい女」
「心配だから留守番してやってたんだ」
悪口の中にほんの少しだけ親しみが籠っていて、それが逆に不快だった。
「お前も、父親の顔もわかんないバッカなガキ」
小馬鹿にした様に笑う。
こいつとは口をきいていたくない、とシュウ君は感じた。何を言ってるんだろう。
父親。違う。パパはいつかママと自分を助けに来てくれる、クラたんをくれた優しい人だ。こんな男じゃない。
睨む様に男の方を向いた時、奥の棚に気づいた。ブタさん貯金箱が割られている。大事なカーネーション貯金のブタさん。
「あ、借りただけだぞ。今度ガンプラでも買ってやるから、そんな目で睨むなよ」
視線に気付いた男が苛立たしげにいう。
「睨むなって言ってんだろうがっ」
男としては威嚇しただけのつもりだったのだろう。思い切り棚を蹴る。
そこにはクラたんの瓶も並んでいた。
瓶は床に落ち、割れてしまった。
シュウ君は絶叫した。
理不尽な暴力に理解が追いつかない。しかしブタさんとクラたんがこの男に奪われたのはわかった。
「クラたんが!パパのくれたクラたんが!」
さかさクラゲは床に落ち、ぴくぴくと苦しんでいた。
「お前の親は俺なんだよ!なんだ、こんな虫」
男が踏んだ。
「あああああああ!クラたんが死んじゃった!パパがくれたクラたんが死んじゃった!」
絶叫し、初めてシュウ君は泣いた。今まで堰き止めてた水が決壊したかの様に座り込んで泣き続けた。
走り込んできたハルコさんが、シュウ君を抱き抱えて叫ぶ。帰って、二度と来ないで、大嫌いだと。ハルコさんも絶叫していた。
男は最初、言い訳をしようとした。もう一度やり直す為の相談をするつもりだった、と。
それは100%の嘘では無かった。
しかし一瞬、壊れた貯金箱と踏み潰したクラゲに目をやって、もう手遅れだと悟る。
言おうとした事とは違う言葉が口から出た。
「ちょっと困ってて金借りに来ただけだ。まだ店にいるんだろ?出してくれりゃすぐ帰るよ」
ハルコさんは男の顔に財布を叩きつけた。
男は現金だけ抜くと、そんな泣くなよと小声で言いながら出て行った。
玄関を出ると、男はポケットから小さなロボットの玩具を取り出して眺めた。
全くの身勝手な気まぐれでしかなかったが、息子への手土産のつもりで買ったものだった。
呼び鈴を押して、かつての妻が出て来たらまずこれを渡して、気が向けば子供の頭くらい撫でてやるつもりだった。目的は金の無心ではあったが、こんな強盗のような顛末になるはずではなかった。
ハルコさんがもっと収入のいい店、男の紹介する店で働く事を承諾するのなら、また一緒に暮らしてやってもいいとさえ思っていた。息子だって父親がいた方がいいに決まってる。喜ぶに決まっている。
男の幼稚な感性はそう決めつけていた。
だが、扉が開いていた。貯金箱が目に入った。シュウ君のほうが母親より先に戻ってきた。
色々と予定外が重なって苛ついてしまった結果だった。
もちろん、それは傲慢と幼稚さ故の自業自得ではあった。
(ガキなんかできるまではうまくやってたんだ)
面白くない。いい父親になれるかもしれないなどと、一瞬でも考えた事がそもそも間違いだったのだ。
男は舌打ちをして、人形を見る。
そして一瞬だけ迷ったが、それを植え込みに投げ捨てた。
◇◇
クラゲコラム④
クラゲは必死だ。
水温が高すぎても低すぎても簡単に死んでしまう。塩分が高くても低くても駄目。
水が汚れると死んでしまう。でも綺麗な水を探して泳いで行く事は、ちょっと難しい。
そんな弱い、とても弱いけれど、一生懸命に生きている不思議なクラゲたち。
彼らに脳は無いという。しかし、感覚や感情が全く無いとも言い切れないのだという。
ゆらゆらと漂いながら、彼らはどんな事を考えているのだろう。




