三話 泣かない男の子
シュウ君はたまに悲しい夢をみる。
夢の中でママが泣いている。
泣きながら誰かと喧嘩してしている。
男の人が、火のような模様の入った気持ちの悪い手で、ママをぶつ。
布団の中、寝たふりをしながらそれを見る。
助けてあげないと。
でも体が動かない。
夢の中のシュウ君は、赤ちゃんのように体が小さくなってしまっていて声も出せない。出てくるのは赤ちゃんの泣き声だけだ。
それは昔、シュウ君がずっと小さい頃に布団の中で実際に見た光景だったのだが、そんな事を彼が知るはずはなかった。
今日はハルコさんは仕事が休み。
いつもなら少し嫌がられながらベタベタと息子に絡んで過ごすダメママモードなのだが、今日は少し賑やかだった。
フニャ子を連れてお婆ちゃんが来ていたのだ。
シュウ君が珍しく駄々を捏ねて連れてきてもらったのは、彼女が病気になる夢を見たからだった。
しかし、バスケットから飛び出したキジトラの猛獣は元気いっぱい。
フニャ子!元気だったーと懲りもせず抱きつきに行くハルコさんを軽く引っ掻いたほどだった。
フニャ子はシュウ君に「よう、元気?」的な視線を向けてから、部屋の隅ですやすやと眠った。
賑やかで楽しい休日だった。
終わらせたのは、激しく玄関ドアを叩く音。
騒音の苦情。
下の部屋に住む老夫婦だった。
今までも何度か騒音の苦情に来た事がある。
「ちょっと静かにして欲しいんだけどねえ」
ずっとニヤニヤ笑いながら意地悪く文句を言う夫を押し退けて、恰幅のいい妻が前に出た。
「猫いるじゃないか。ペット禁止なの知ってるでしょ」
とまくしたてる。
違うんです、とひたすら謝りながら事情を話すハルコさん。しかし取り付く島もない。一時的にだろうが部屋に放せば飼うのと同じだろう、と怒りは収まらない。
「すみません、もう母が連れて帰りますから」
深く頭を下げるハルコさん。
夫妻は「頼みますよ」と釘を刺してようやく背を向ける。去り際、夫はチラリと振り向いて
「やっぱり亭主が叱らんから、常識無いんかねえ」
とやはりニヤついた嫌らしい顔でいう。
妻の方は、くだらない事言うなと夫を軽く叩き、引きずるようにして連れ出した。
「ママ?」
シュウ君が覗きこむ。
ハルコさんは涙をポロポロとこぼしながら息子をぐっと抱き寄せる。
「なによ」
「頑張ってお仕事して親と子供を養うの、それの何が悪いのよ」
(ごめんねママ。ぼくがフニャ子を呼んだから)
シュウ君は当然そんな風に上手くは言えなかったけれど、原因を作ったのは自分だというのは理解できた。
猫をバスケットに戻しながらお婆ちゃんが頭をなでる。
「シュウ君、男の子だから、ママを守ってあげてね」
ママは泣いて、お婆ちゃんもフニャ子も帰ってしまう。なんでこんな事になってしまうんだろう。
シュウ君は泣きそうになったが、また我慢した。
絶対泣かないんだ。
もう悪いやつにママがにひどい事しても、赤ちゃんみたいに泣いたりしないでやっつけるんだ。
昔、お婆ちゃんと約束したから。
パパがいないから、シュウ君はママを守ってあげるんだよ、という約束。
「シュウ君はママに似た優しい子だから、きっと大丈夫だよね」
と言ってお婆ちゃんはギュッと抱きしめた。
ハルコさんの抱きつき癖はお婆ちゃん譲りだったようだ。
「クラたんに、ごはんあげるね!」
元気な声でエサやりをする。今日はおいしそうに食べているようだ。
ハルコさんは涙を拭きながら偉い偉いをして、ブタさんに100円を入れた。
その姿を見ながら、いつかパパが助けに来てくれればいいのに、とシュウ君は思った。
クラたんをくれたのは会社の人というのは嘘で、本当は顔も知らぬ父親からのプレゼントなんじゃないのかな。そんな風に考えた事もあった。
餌やりの時にシュウ君は時々ちいさな声で話しかける。クラたん、どうなの。きみはどこからきたの。
クラたんはパパの事を知ってるの?
クラゲはのんきにエサをもぐもぐ食べている。
◇◇
クラゲコラム③
不死身のクラゲ
深海にはオバケのような大きなクラゲや猛毒のクラゲもいるけれど、たいていのクラゲは単体では弱い。
しかし、中には不死身に近い凄いのもいる。
ベニクラゲというクラゲは病気や怪我をしたり、寿命が近付くと小さなポリプという子供に戻って、もう一度、クラゲ人生をやり直す。
五回でも十回でも何度でもやり直す不死鳥みたいなクラゲだという。
世界中にたくさんいて、日本にもいる。
温かい海で、攻撃もされなければベニクラケは永遠に生きていける。
でも、水が冷たくなったり、敵に襲われて食べられたりしたら、やっぱり死んでしまうのだけれど。




