8話 豚語はわかりかねます。
兵舎を出ると、上空から白い影が舞い降りてきた。
着替えの間、空を飛び回っていたノアだ。
「散歩は終わったのか?」
「ああ。……早く海に出たいぞ」
ノアが肩に止まり、不満げに嘴を鳴らす。
「陸の空気は埃っぽい」
「我慢しろ。手続きが終われば、また旅だ」
一等区画の整然とした街並みを抜け、三等区画へと戻る。
空気の味が変わった。煤と、安酒と、人々の熱気の匂い。
ロイドに案内され、俺たちは街の中心に位置する「冒険者ギルド」の支部へと向かった。
重厚な扉を押し開けると、ドッと喧騒が押し寄せてくる。
「うわぁ……すごい人ですね」
ロイドが目を丸くして呟いた。
広いホールは、剣や杖を背負った荒くれ者たちで溢れかえっている。
彼らの視線は、壁一面に貼り出された羊皮紙──依頼書に釘付けだ。
いい条件の仕事を取り合っている最中なのだろう。
「私も中に入るのは初めてでして……」
周囲をきょろきょろと見回し、少し緊張した様子のロイド。
雇われの兵士である彼にとって、この無法地帯は異世界みたいなものか。
壁際が混雑している一方、正面の受付カウンターは意外にも空いていた。
俺たちは列に並び、すぐに順番が回ってきた。
「はい! 本日はどのようなご用件でしょうか?」
窓口の女性受付が、業務的な──しかし明るい営業スマイルで応対する。
若くて元気そうだ。この喧騒の中で一日中笑顔を振りまくのだから、彼女らも立派な戦士と言えるかもしれない。
「冒険者の会員登録を頼みたい。新規だ」
「はい、新規登録ですね! 当ギルドでは、荷運び人、薬草採取人、料理人などなど。さまざまな区分がございますが──どの枠で登録なさいますか?」
彼女は俺の服装──ロイドから借りた平民の服──を見て、少し首を傾げた。
十代半ばの少年が二人。
どう見ても、駆け出しの荷運人か何かだと思っているのだろう。
「あー……区分は、『境界測図師』で」
俺はそう言って、懐から金属プレートを取り出し、カウンターの上に置いた。
ゴトリ、と重い音が響く。
「え……?」
受付嬢の動きが止まった。
営業スマイルが凍りつき、その目がみるみる大きく見開かれていく。
「サ、サーベイヤー……!? え、その若さで……?」
彼女の視線が、俺の顔と、鈍く輝くライセンスを何度も往復する。
無理もない。
サーベイヤーといえば、歴戦の猛者か、高名な学者が持つ資格だ。こんな若造が持っているなんて、普通はあり得ない。
「し、失礼します……! 確認させていただきます!」
彼女は震える手でライセンスを手に取り、裏面の刻印と魔力署名を確認する。
そして、息を呑んだ。
「あっ! カイ・セラ様、ですね……!?」
「ああ」
「少々、お待ちください! すぐに支部長を……!」
次の瞬間、彼女は慌てた様子で椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がり、カウンターの奥へと駆けていった。
取り残された俺とロイド。
周囲の冒険者たちが「なんだなんだ?」と怪訝な顔を向けてくる。
「カイ様……やっぱり凄い資格なんですね」
「……目立ちたくなかったんだがな」
しばらくして、顔を紅潮させた受付嬢が戻ってきた。
「お待たせいたしました! こ、こちらへどうぞ!」
カウンター横の通用口が開かれる。
促されるまま、俺たちは奥の階段を上った。
案内されたのは、喧騒が嘘のように静まり返った、ギルド二階の貴賓用応接室だった。
「すぐに参りますので! 少々お待ちを!」
お茶を置くやいなや、受付嬢はバタバタと部屋を飛び出していった。
後に残されたのは、湯気の立つカップと静寂だけ。
「……なんか、大事になってませんか?」
後ろに立つロイドが、居心地が悪そうに身を縮こまらせている。
同感だ。俺はただ登録をして、情報が見たかっただけなんだが。
やがて、廊下から複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
ノックと共に、扉が開かれる。
「失礼します」
現れたのは、対照的な二人組だった。
一人は、丸眼鏡をかけた穏やかそうな男。
仕立ての良いスーツを着こなし、いかにも事務方といった柔らかい物腰だ。
そしてもう一人。
男の背後に立つのは、真っ赤に燃えるような長髪の女だ。
白衣のようなマントを羽織って、軽装鎧に身を包み、腰には大剣。
全身から放たれる圧力が、そこらの冒険者とは桁違いだった。
「お待たせいたしました。──このリュシオン支部の副支部長をしております、パティックと申します」
眼鏡の男──パティックが、丁寧な所作で一礼する。
「そして彼女は──」
「Aランククラン、『紅蓮の探求者』のエルゼよ」
パティックの紹介を遮り、女が一歩前に出た。
値踏みするような視線が、俺を頭から爪先まで嘗め回す。
俺はソファーから立ち上がり、二人の視線を真っ直ぐに見返した。
「初めまして。──カイ・セラです」
短く名乗る。
余計な謙遜も、虚勢も必要ないだろう。
すると、エルゼが鼻を鳴らした。
「カイ・セラ……。昨日までに見つけてれば金貨二百枚だったのにな。一体何者なんだい?」
……は?
俺は耳を疑った。
金貨二百枚? そんな大金を懸賞金にしてたのか?
一生食っていける額だぞ。改めて、リシェルの執念の恐ろしさを思い知る。
「アストリア家が、それだけの懸賞金をかけていたんです」
パティック支部長が眼鏡の位置を直しつつ、補足した。
「しかも条件が厳しい。『絶対に傷をつけるな』『最高級の貴人待遇でお迎えしろ』と。下手に手を出せばアストリア家を敵に回すことになる。ですから事情を知らされていたのは、ごく数名の上級冒険者だけです」
なるほど。
金貨二百枚をただぶら下げたら、金に飢えた荒くれどもが押し寄せて、俺を誘拐同然に連れ去ろうとしたかもしれない。
情報統制をして、手練れだけに絞ったのは賢明な判断だ。
「で? 出てきたのは薄汚いウミビトときた」
エルゼが一歩、俺に詰め寄る。
見下ろす視線には、明確な蔑みが混じっていた。
パティックが冷や汗をかきながら「ひっ」と息を呑むが、彼女はお構いなしだ。
「ウミビト如きが、どうやって貴族に取り入って、あまつさえサーベイヤーになったんだ?」
「簡単さ。ツチビトは『傲慢』だからな」
俺がさらりと答えると、部屋の空気が凍りついた。
地上人は俺たちを平気で「ウミビト」と呼ぶくせに、自分たちが「ツチビト(土人)」と呼ばれることを嫌がる。
四方の海を恐れている事を、どこかで恥じているのか、それとも単に格下になじられるのが許せないのか。
「……言うじゃないか、汐鼠風情が」
エルゼのこめかみに青筋が浮かぶ。
汐鼠。ウミビトに対する最大級の蔑称だ。
「すまない。豚語には疎くて何を言っているのかわからん。……えっと、『紅の豚』さんでしたっけ?」
ブチッ、と何かが切れる音がした。
「──死ね」
エルゼが激昂し、腰の大剣に手をかけた、その瞬間。
ヒュッ、と白い風が舞った。
「……何のつもりだ?」
大剣を抜きかけたエルゼの動きが止まる。
彼女の喉元に、真っ白な「翼」が突きつけられていたからだ。
いつの間にか俺の肩から消えたノアが、エルゼの肩に乗り、その頸動脈に翼の先端を当てている。
「動くなよ、女」
ノアの瞳が、剣呑に細められる。
だが、エルゼは鼻で笑った。
「はっ。焼き鳥にしてやるよ。……こんな鳥の羽で、アタシを殺せるとでも──」
ヒュン!!
ノアが翼を一振りすると、放たれた数枚の羽毛が矢のように飛び──部屋の隅に飾られていた「金属製の鎧」を貫通し、背後の石壁に深々と突き刺さっていた。
「…………は?」
エルゼが目を見開き、自身の首元と、穴の空いた鎧を交互に見た。
彼女の顔からサーッと血の気が引いていく。
ノアはふわりと舞い戻り、俺の頭の上に止まった。
「次はないぞ」
静まり返った執務室で、ノアの涼しい声だけが響いた。




