6話 夢の終わり、冒険のはじまり
「泣くわよ……! そんな、無茶ばかりして……」
リシェルが赤い目で睨んでくる。迫力が凄い。
「一歩間違えば死んでいたじゃない」
「生きてるからいいんだよ。それに、悪いことばかりじゃなかった」
俺は窓の外、広がる空を見た。
「見たことのない景色をたくさん見た。とんでもない化け物にも会ったし、信じられないほど美味い魚も食った。……退屈とは無縁だったよ」
「カイは……本当に、根っからの『冒険者』なのね」
リシェルが呆れたように、けれどどこか誇らしげに息をつく。
セバスが新しい紅茶を淹れてくれながら、静かに口を開いた。
「過酷な旅路を生き抜く実力と運。……カイ様がサーベイヤーになられたのは、必然でございましたな」
「買い被りすぎだ」
俺は肩をすくめる。
さて、昔話はこれくらいで十分だ。
俺は居住まいを正し、リシェルに向き直った。
「過去の話は終わりだ。……大事なのは、これからどうするか、だろ?」
「ええ、そうね」
リシェルも涙を拭い、真剣な表情に戻る。
その瞳には、侯爵家当主代理としての知的な光が宿っていた。
「カイ。貴方はこれから、どうしたいの?」
「決まってる」
俺はニヤリと笑った。
「世界の全てを見て回って、誰も見たことのない最果ての地にたどり着く」
ビシッと決まった。
はずだった。
リシェルの反応は予想外だった。
感動するでもなく、驚くでもなく。
ただ、気まずそうに視線を泳がせたのだ。
「……ルメリアって……あれは作り話よ?」
「……は?」
俺の笑顔が固まった。
今、なんて?
「えっ? い、いやいや、だってリシェに貰った本に書いてあったぞ! 『冒険者ガリオンの探求』!」
「カイ、あれは……『児童向けの創作童話』よ」
リシェルが申し訳なさそうに、けれど慈悲のない事実を告げる。
「子供がワクワクするように書かれた、架空の冒険譚。……ルメリアなんて大陸、実在しないの」
ガーン、という効果音が聞こえた気がした。
嘘だろ。
「ぶっ……くくくっ!」
耐えきれなくなったノアが、テーブルの上で転げ回って笑い出した。
「傑作だな! おい聞いたかセバス! こいつ、子供向けの作り話を信じて、世界一過酷なサーベイヤーの試験を受けたんだとさ! あー腹いてぇ!」
「……笑うな」
顔から火が出そうだ。
視線を向けると、セバスも笑いを堪えるように口元をピクピクさせている。
だが──まあ、いい。
おとぎ話を本気で信じて、命がけの試験に挑んだ。それは紛れもない事実だ。
けれど、その童話があったからこそ俺は故郷の海を出た。最難関のライセンスを勝ち取り、今、この場所に立っている。
自分が信じて進んできた道を、俺自身が笑って否定する必要はない。
「コホン。……しかしカイ様、実在しないとも言い切れませんぞ」
セバスがわざとらしく咳払いをして、静かに口を開いた。
「学者によると、現在人類が到達し、詳細を把握している生存圏は、世界全体のわずか5%にも満たないと言われております」
「……5%?」
「左様でございます。ゆえに、未知の領域は無限大。サーベイヤーが白地図を埋めるたびに人類は豊かになり、その功績は賞賛されてきました。──誰かの空想が、世界のどこかに実在しないという証明は、誰にもできないのです」
俺はむくりと顔を上げた。
そうだ。ないなんて、誰が決めた。
「ある」
「え?」
「ガリオンは嘘つきじゃない。俺がルメリアを見つけてくる」
俺は拳を握りしめる。
恥ずかしさは吹き飛んでいた。むしろ、燃えてきた。
誰も見たことがないなら、俺が最初になればいいだけだ。
「人類が5%しか知らないなら、残りの95%は俺の獲物だ。ガリオンが嘘つきかどうか、俺がこの目で測図してきてやるよ」
俺の開き直りに、リシェルが目を丸くし──それから、嬉しそうに破顔した。
「……ふふ、そうね。カイなら、本当に世界を塗り替えてしまいそうだわ」
「任せとけ。その時は、世界の果てまで連れてってやるよ」
「ええ、約束よ」
おとぎ話を、現実に変える。
それこそが冒険だ。
「……とはいえ、どこへ行くにしても、やはり情報と人手は必要でしょう」
ひとしきり盛り上がった後、セバスが冷静な声で忠告をしてきた。
「まずはギルドに登録されては? サーベイヤーの資格があれば、優遇措置も受けられます」
俺が頷くと、リシェルが勢いよく立ち上がった。
「そうね! それに、カイの捜索依頼も取り下げないと。明日、朝一番でギルドへ向かいましょう!」
「……は?」
当然のように自分も行く気満々のリシェルに、俺は思わず動きを止めた。
「いやいや、リシェも来るつもりか?」
「駄目かしら?」
「駄目だろ。侯爵家の当主代理が、朝のラッシュ時のギルドに行ってみろ。大騒ぎになるぞ」
ギルドは荒くれ者たちの溜まり場だ。
目立ちたくない俺としては避けたい事態である。
「俺はもう子供じゃないんだ。登録くらい一人で大丈夫だよ」
俺が諭すように言うと、リシェルは少し不満そうに唇を尖らせたが、すぐに諦めたように肩を落とした。
「……そう? 残念だわ」
彼女はセバスに向き直る。
「それじゃあセバス、捜索依頼の取り下げの手続きだけ、お願いね」
「畏まりました」
セバスが目配せをすると、控えていた一人のメイドが音もなく部屋を出ていった。
◇
その日は、軽めの夕食をもらって早めに休むことにした。
案内された客室のベッドに、身体を沈める。
「……うわ」
思わず声が出た。
昨日の宿の、背中が痛くなるような煎餅布団とは雲泥の差だ。
最高級の羽毛だろうか。まるで雲の上に寝ているかのような、包み込まれるような柔らかさ。
「人間、生活レベルを上げると戻れなくなるって言うけど……こいつは危険だな」
あまりの待遇の差に、自分でも苦笑が漏れる。
船のハンモックで揺られていた頃が、遠い昔のようだ。
「……ふあ」
思考よりも先に、強烈な睡魔が襲ってくる。
身体は正直だ。
明日は朝からギルドへ登録に行こう。
それが終われば──次は、どこへ向かおうか。
空中都市ゼファーか、あるいはもっと遠くか。
地図にない場所を思い描きながら、俺は深い眠りへと落ちていった。




