5話 海を離れた理由
「つまり、カイ様は冒険者組合の捜索網には引っかからず、自力で……たった一人でこの屋敷まで辿り着いた、と?」
セバスが呆れたような、それでいて感嘆を含んだ声を漏らした。
「ギルド?」
「ええ。先ほどお嬢様が申し上げた通り、ずっと貴方を探していておりました。てっきり、彼らがカイ様を見つけ出し、ここまで案内したのかと」
「いや、ギルドの世話になったことはないな。……なるほど、もしかして」
嫌な予感がして、俺は聞いた。
「近くのギルドに顔を出していれば、ここに簡単に来れたのか?」
「左様でございます。なんなら、アストリア家の賓客として馬車でお迎えにあがりましたものを」
「…………」
俺は天を仰いだ。
髪飾りを売り、ボロ船を修理し、命がけの試験を受け、門番に揉め、ようやく辿り着いたこの場所。
正攻法で攻略しすぎた。
「ぶっ、あはははは!」
我慢できないといった様子で、ノアが羽で腹を抱えて笑い出した。
「傑作だな! お前、すれ違いにも程があるぞ!」
「……結果オーライだろ」
むすっとする俺を見て、リシェルもクスクスと笑う。
「まあ、カイらしいと言えばカイらしいわね。……でも」
彼女は居住まいを正し、少しだけ悪戯っぽい瞳で俺を見た。
「そこまでして、本当に私に会うためだけに来てくれたの?」
「うーん……まあ、そう言ってもいいんだろうけどさ」
俺は照れ隠しに頬をかいた。
「昔、リシェが色々話してくれただろ。海を越えた先にある魔族の住む大陸の話とか、空に浮かぶ島の話とか。……ずっと、憧れてたんだ」
俺の言葉に、リシェルの瞳が輝く。
「へぇ……。じゃあ、サーベイヤーとして世界を冒険したいってことね」
「ああ。それに──」
俺は言葉を切り、少しだけ視線を落とした。
「三年前に、母さんが死んでな」
「えっ……」
「病気だった。あっけないもんさ。……それで、思ったんだ。船団にいれば食いっぱぐれることはないけど、来る日も来る日も海を回るだけだ。母さんが死んだ時、このままじゃ俺も、同じ場所で終わるんだなって」
だから、出た。
髪飾りを売ったのも、思い出を過去のものにするためじゃなく、未来への投資にするためだ。
「そう……おばさまが」
リシェルは静かに目を伏せ、胸の前で手を組んだ。
海の神へ捧げる、鎮魂の祈り。
貴族である彼女が、異教徒であるウミビトのために祈ってくれている。
その仕草だけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ありがとう」
俺が礼を言うと、リシェルは顔を上げ、優しく微笑んだ。
「うん……。ねえ、カイ」
「ん?」
「これから世界を回るにしても、準備が必要でしょう? 行く当てがないなら、しばらくうちにいない?」
「……いいのか?」
俺はチラリと背後のセバスを見た。
いくらお嬢様の提案でも、執事長が許さないんじゃ──
セバスは、穏やかな笑みを浮かべて深く頷いた。
「もちろんでございます。カイ様は当家の恩人。それに、これほどの行動力と実力を持つ測図師を囲い込めるなら、当家としても益こそあれ、損などございません」
ちゃっかり損得勘定もしているあたり、さすがは名家の執事だ。
でも、その合理的な歓迎の方が、俺には心地いい。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……しばらく厄介になるよ」
こうして俺は、地上での拠点を手に入れた。
飯付き、風呂付き、貴族の後ろ盾付き。
冒険のスタート地点としては、出来過ぎなくらいだ。
◇
食後の茶を飲みながら、改めて現在地の確認だ。
ここは、世界を形作る四大大陸のひとつ、西の大陸。
アルヴェン王国に属する地方都市、『リュシオン』。
俺が持っていた手がかりは、八年前にリシェルから聞いた「うちはエルデナのリュシオンにあるの」という言葉だけ。
海図もない。正確な座標も分からない。
ただその記憶だけを頼りに、俺は勘と執念でここまで辿り着いたわけだ。
「……我ながら、よく来たもんだ」
王国内では中堅規模の都市だが、アストリア侯爵家が代々治めているだけあって、窓から見える街並みは洗練されている。
中心広場の噴水、整然と並ぶ商店。活気はあるが、治安の悪さは感じない。
「それでお父上たちは?」
「王都へ召集されているの。お父様もお母様も兄様も、しばらくは戻らないわ」
リシェルがティーカップを置きながら教えてくれた。
つまり、現在この広い屋敷の主はリシェル一人(と使用人たち)というわけだ。
王都までは馬車で三日ほどらしい。
両親の留守中、羽を伸ばしている……というよりは、しっかりと留守を預かっている感じだな。
だが、この街の真価はただの綺麗な地方都市ってだけじゃない。
「この街はね、空中都市『ゼファー』への空路が繋がっているの」
「空中都市?」
「ええ。空で採取された魔石を、ここから王都へ運ぶのよ。王国のエネルギー政策を支える重要拠点、ってところかしら」
空中都市、ゼファー。
その響きに、俺の測図師としての血が騒いだ。
空に浮かぶ島、そこから産出される魔石。
なるほど、この街がただの田舎町じゃない理由はそこか。
「へえ……それは興味深いな」
「ふふ、目が輝いてるわよ」
リシェルが楽しげに笑う。
「さて、私の話はこれくらい。……次はカイの番よ」
「俺?」
「ええ。この八年間、貴方がどうやって生きて、どうやってここまで辿り着いたのか。……全部、聞かせて」
リシェルが身を乗り出してくる。
逃がさないという意思を感じる笑顔だ。
「……長くなるぞ」
「構わないわ。……貴方のことだから、ワクワクさせてくれる大冒険があったんでしょ? あの頃のように」
リシェルが身を乗り出し、悪戯っぽく微笑んだ。
◇
「──とまあ、そんなわけさ」
俺が話を締めくくる頃には、窓の外はすっかり茜色に染まっていた。
喉が渇いて、冷めてしまった紅茶を一口飲む。
ふと視線を上げると、リシェルがハンカチを目元に押し当てていた。
「……ぐすっ」
「おいおい、泣くような話じゃなかっただろ」
周囲を見渡して、思わず言葉に詰まる。
元ウミビトのメイドたちまで、そろって目を潤ませていた。
……いや、お前たちも似たような生活をしてきたはずだろ?
というか、俺って同胞に同情されるほど苦労してたのか?




