39話 『獣操』と『冥毒』
通されたのは、店の最奥にある半個室だった。
使い込まれた巨大な酒樽の底を平らに磨き上げ、テーブルとして仕立て直したものを、不揃いだが座り心地の良い革張りのソファが囲んでいる。
「いらっしゃい! ……あら?」
注文を取りに来た恰幅の良い給仕の女性が、メルディの顔を見るなり、驚いたように目を丸くした。
「あんた、もしかしてマルタンさんの……メルディちゃんかい? 久しぶりだねぇ! すっかり別嬪さんになっちまって!」
「えっと、お久しぶりです、マダム。お店、相変わらず繁盛……してますね」
「おかげさんでね。……あれ、今日は先生は一緒じゃないのかい?」
女性がキョロキョロと、メルディの背後を探す素振りを見せる。
メルディは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに困ったような笑みを浮かべて誤魔化した。
「あ、はい。祖父はちょっと……寄る年波には勝てなくて。引退してしまったんです」
「そうなのかい……。あの頑固爺さんがねぇ。寂しくなるよ」
しんみりとした空気を振り払うように、女性は俺たちの方へ視線を向けた。
「で、こっちの男前たちは?」
「はい。これからは、この方達とパーティを組むことになりました。リーダーのカイ様です。お爺ちゃんと同じアストリア家の『境界測図師』様なんですよ」
「ええっ! 測図師様だって!?」
女性が素っ頓狂な声を上げ、まじまじと俺の顔を覗き込んでくる。
「こんなに若いのにかい? 若い測図師様っていうと、あの『獣操』様や、『冥毒』様みたいなおっかない人を想像しちまうけど……」
『獣操』に『冥毒』──また知らない名が出たな。
この反応を見るに、一般市民からすれば、測図師というのは関わってはいけない「災害」のような扱いなのだろう。自殺志願者という悪名は伊達じゃないらしい。
「ああ、まだライセンスを取ってから一月も経ってないひよっこなんだ。空に来たのも初めてでね。手柔らかに頼むよ、マダム」
「へええ、見た目は優男だけど、人は見かけによらないってね。……よし、じゃあ測図師様の就任祝いだ。とっておきのサービスをしてやるよ!」
マダムは豪快に笑うと、厨房の方へと戻っていった。
──数分後。
彼女は大きな盆を抱え、再び俺たちの個室へと戻ってきた。
ドン、とテーブルの中央に置かれたのは、年代を感じさせる一本のボトルと、香辛料の刺激的な香りを漂わせる大皿料理だ。
「お待たせ。これがマルタンさんがキープしてたボトルだよ。『いつか孫が一人前の空乗りになって顔を出すはずだ。その時に開けてやってくれ』って、ずっと預かってたんだ」
「……お爺ちゃんが?」
メルディが嬉しそうにボトルの埃を指で拭う。
ラベルを見たエルゼが、目玉が飛び出るような声を上げた。
「きゃっ! 『天空麦』の三十年物!? これ、店で頼んだら金貨が飛ぶ代物よ!」
「さすがマルタン師だな、いい趣味してる」
俺は感心しながら、琥珀色の液体が入ったボトルを手に取った。
ずっしりとした重み。三十年という時間が詰め込まれた、祝いの酒だ。
「この料理はサービスだよ。西の岩塩と南の唐辛子をたっぷり効かせた『地底竜の串焼き』。この店の名物さ」
「ありがとうございます。……では」
メルディが誇らしげにボトルの封を切る。
トクトクと心地よい音を立てて、四つのグラスに液体が注がれた。
芳醇な樽の香りが、スパイシーな料理の匂いと混ざり合い、鼻孔をくすぐる。
「ロイド。お前はもう『護衛』じゃない。同じ船に乗る『冒険者』だ。まさか、飲めない口じゃないだろう?」
「……カイ様がそう仰るなら、最後までお付き合いしますよ」
ロイドはいつもの硬い表情を少しだけ崩し、口端を緩めてグラスを手に取った。
ランタンの灯りの下、四つのグラスが掲げられる。
「それじゃあ、偉大なるマルタン師と、俺たちの明日からの航海に」
「「「乾杯!」」」
カチン、と澄んだ硬質な音が洞窟内に響き渡る。
喉を焼くような強い酒精と、鼻に甘い香りが広がった。
エルゼが「プハァッ!」と豪快に息を吐き、空になったグラスをテーブルに叩きつけた。
「染みるぅ! さすが三十年物、香りの余韻が段違い! 舌の上でとろけるみたい!」
「……随分と豪快な飲み方だな。だが、確かに美味い」
俺も琥珀色の液体を舌の上で転がす。
ピートの燻製香と、バニラのような甘み。三十年の熟成でアルコールの角が完全に取れていて、舌触りが驚くほど滑らか。
これならいくらでも飲めてしまいそうだ。
「料理も絶品ですよ。この『地底竜』、見た目は少しグロテスクですけど、味は鶏肉と海老の中間みたいで……」
メルディが串にかぶりつき、頬を赤らめて咀嚼する。
西の岩塩と南のスパイス。この刺激的な味付けが、まろやかな古酒と暴力的なまでに合う。
「ロイド、酒はどうだ?」
「はい。……美味いです。普段飲んでたのは消毒用みたいな粗悪酒ばかりでしたから、これが『文化的な味』というやつなんでしょう」
ロイドは表情を変えずに淡々と飲んでいるが、そのペースは早い。
どうやら、こいつもザルらしい。
洞窟の天井に吊るされた無数のランタンが、揺らめきながら俺たちを照らす。
父を探す娘と、金と酒を愛する冒険者と、戦いしか知らなかった元剣奴。
そして、ずっと差別されてきたウミビトの俺。
家族、財産、忠義。
そして、この世界に何があるのかを知りたいという、抑えきれない好奇心。
それぞれが追い求めているものは違うが、今この瞬間、この船に乗っているという一点において、俺たちは一つの運命を共有していた。
バラバラな経歴の四人が、同じテーブルで同じ酒を酌み交わしている。
不思議な縁だ。だが、悪くない。
追加のつまみをいくつか注文し、俺は気になっていた話題を振った。
「ところで、さっき給仕が言っていた『獣操』と『冥毒』ってのは、何者なんだ?」
ロイドを見ると、彼も無言で首を振った。
良かった、今度は俺だけが無知を晒すわけじゃないようだ。
「私が知ってるのは『獣操』の方かな。本名は確か、ガンダル・バタール」
エルゼが酒の肴のナッツを放り投げ、口でキャッチしながら言う。
「東の大陸を拠点にしているサーベイヤーよ。笛と鞭を使って魔獣を調教し、自分の軍隊として使役しているらしいわ。なんでも、ドラゴンすら手懐けてるって話だから、まともな神経じゃないわね」
「魔獣の軍勢か……。信じられないな」
俺が率直な感想を漏らすと、肩に止まっていたノアが羽をひと撫でして応じた。
「強力な遺跡の遺物を所持していると見て間違いないだろうな、実に興味深い」
「……遺物、ですか。確かに、ただの調教だけでドラゴンを従えるのは不可能でしょうね」
ロイドもノアの言葉に得心がいったように頷く。
「えーっと、『冥毒』の方は、ロベリア・ボルジア様ですね。南の大陸出身の女性測図師です」
続いて、メルディが指を立てて説明する。
「私も詳しくは無いですが……魔獣が蠢いていたせいで誰も入れなかった島に、毒の霧を散布して、魔獣の内臓だけをドロドロに溶かして殲滅したとか」
「うげっ……」
エルゼが露骨に顔をしかめる。
「だから『冥界へ送る毒』……『冥毒』と呼ばれているんです」
「……なるほどな。どっちも『おっかない人』扱いされるわけだ」
俺はグラスに残った氷をカランと鳴らした。
魔獣の軍勢を率いるバタールに、強力な毒を使うボルジア。
同じ「境界測図師」とはいえ、同年代は化け物揃いのようだ。
「信じられない奴もいるもんだな」
「私からしたら、あんたも充分規格外だけどね」
エルゼが苦笑する。
「ですね。あ、追加の串焼き来ましたよ!」
ロイドも笑いながらそれに同意した。




