35話 雲海の猟犬
人だかりの中心にいたのは、黒い毛皮のコートを羽織った、顔に深い傷跡のある男だった。
背後には、殺気を放つ数人のならず者たちが控えている。
そいつらと、南の大陸の旗を掲げた行商人の一団が対峙していた。
黒い毛皮のコートには、羊のような紋様が刻まれている。
「あれは、カオルン男爵家の家紋だね」
それに気づいたエルゼが言う。さすがは西のAランククラン冒険者だ。貴族の家紋にも明るいらしい。
「対立してるのは南の人間のようだな」
船団生活だった俺は南の大陸に足を踏み入れたことはない。だが、一応立場としては南の人間だ。
普段は意識もしないが、目の前で虐げられているのは、広い意味での同郷人だった。
この浮遊都市ゼファーは、西のエルデナと南のサザランテを定期的に回遊している。
表向きは二大大陸による「共同統治」を謳っているらしいが、その実態は理想とは程遠いようだ。
「なにかあったのか?」
俺は近くにいたハーフリンクに声をかけた。
「西の人たちが南の人たちを虐めてる。いつものことだよ」
原住民は「いい迷惑だ」とでも言いたげな冷ややかな顔だった。
「……だからな、サザランテの安物の秤じゃ、エルデナの公式規格と三%もズレが出るって言ってんだ」
傷跡の男が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて言い放つ。
「この広場じゃ、そんな不正な道具は認められねえ。だから俺たちの『正式な秤』を貸してやる。そしたら、ちょこっと使用料を払えって話だ」
「使用料で一割も取るなんて……それじゃあ、こちらの儲けがなくなります!」
行商人が泣きそうな顔で訴えるが、男はどこ吹く風だ。
「赤字じゃないんだろ? ならいいじゃねえか」
ハハハ、と、後ろに控えるガラの悪い連中が下品な笑い声を上げた。
強い奴がルールを決め、弱者がそれに従う。
それは土の上でも、海の上でも、そしてこの空の上でも変わらない真理なのだろう。
俺たちには関係のないことだ。そう思って、その場を立ち去ろうとした――その時。
「──そこまでだ!」
ロイドさんッ!?
彼は傷跡の男を、軽蔑しきったような冷徹な目で見据えていた。
「あぁ……? なんだテメェ。この紋章が見えねえのか。俺たちは西の……」
「見えている。だから、止めるんだ」
男が言い終わるより早く、ロイドが動いた。
腕を捻り上げ、問答無用で地面へ叩き伏せる。
「弱きものから不当に利を貪る貴様のような『西の恥』を、放置しておくわけにはいかない」
「ククク。だとよ、相棒」
肩の上のノアが、心底楽しそうに笑った。こういうトラブルはこいつの大好物だ。
だが、続く声には鋭い警告が混じる。
「一応気をつけておけ。あの男、持ってるぞ」
古代遺物持ちか。厄介だな。
俺はため息をつくと、騒ぎの渦中へと足を踏み入れた。
「テメェ、覚悟しろよ……!」
地面に這いつくばったまま、傷跡の男が怒りを露わにする。
「──そこまでだ。ロイド、離してやれ。彼らも同じ西の人間だろう」
俺の仲裁に、ロイドは納得のいかない顔をしながらも素直に男を解放した。
「すまないな。昨日初めて空へ来たばかりで、勝手がわからないんだ」
立ち上がった傷跡の男が、こちらを激しく睨みつけてくる。
すぐに殴りかかってこないのは、こちらの素性が掴めないからだろう。
西から空へ上がってきている以上、どこかの貴族の息がかかっているのは明白だ。
向こうの後ろ盾は男爵家。対してこちらは侯爵家。格が違う。
「アストリア侯爵家に抱えられている境界測図師、カイだ。なにぶん新米でな、よろしく頼むよ」
ぺこりと頭を下げる。
格下が下げる頭に価値はない。だが格上が敢えて見せる謙虚さは、相手にとって無言の圧力となる。
「アストリア家……?」「それに、サーベイヤーだと?」
ざわざわと取り巻きたちが動揺し始める。リーダー格の男も目を見開いた。
すると後ろから、狡猾そうな男が這いずるような笑みを浮かべて出てきた。
「いやはや、アストリア家の御使いというだけでも驚きなのに……まさかサーベイヤー様ご本人とは」
男は今にも揉み手をしそうな勢いで、深々と頭を下げる。
「我々はカオルン男爵様の命の下、空の『遺物収集』を任されております『雲海の猟犬』と申します。私はマーキッド。こちらがバズズ。どうぞお見知り置きを」
「ああ、少し行き違いがあったようだが、水に流してもらえるとありがたい」
「ええ、ええ。もちろんですとも!」
マーキッドは弾かれたように頷くと、サザランテの行商人たちへ「シッシ」と追い払う仕草をした。
「そう言えば……かの有名な白鯨が昨日、港に着かれたと聞いておりますが、爆塵のマルタン様もご一緒で?」
「いや、あの船はマルタン師から譲り受けたものだ」
俺が告げると、マーキッドは「ひゃー!」と大袈裟に声を上げてのけぞった。
「それはなんとも! 正当なる後継者ということでございますな!」
さらに勢いよく続ける。
「我らがクランマスター“マザー・ドロテア”様もサーベイヤーとして、マルタン様と共に王国に多大な功績を残されたお方。この報せを聞けば、さぞお喜びになるでしょう」
マザー・ドロテア?
正直知らないが、エルゼとロイドが驚いた顔をしているということは、有名人なのだろう。
後ろ盾バトルは、貴族戦から境界測図師戦へと速やかに移行したようだ。
「……そうか。ドロテア師の部下だったか」
俺が納得したように呟くと、マーキッドは揉み手をしながらさらに顔を近づけてくる。
「ええ、ええ。我らはマザーの指導の下、日々アルヴェン王国の為に、この空の平穏を守っております。……先ほどの行き違いも、いわば『熱心すぎるパトロール』ゆえのこと」
権威を盾にしながら、こちらの機嫌を損ねないよう言葉を選ぶ。実に狡猾だ。
「もちろんだ。……ドロテア師にもよろしく伝えておいてくれ」
「ええ、ええ、もちろんでございますとも! それでは、この辺で失礼いたします」
マーキッドは不満げなバズズの背中を無理やり押し、逃げるような足取りで去っていった。
嵐の前の静けさが戻ったかのように、周囲のソラビトたちは何事もなかったかのように仕事を再開する。
日常茶飯事、ということなのだろう。
「あの、ありがとうございました。助かりました」
恐る恐る近寄ってきたサザランテの行商人たちが、ロイドに深々と頭を下げた。
「いえ、自分は当然のことをしたまでです」
ロイドは爽やかな笑顔で応えていた。




