27話 憂国の貴族
それから二日かけて、俺たちはリシュオンの街へと戻った。
屋敷の門をくぐると、玄関前で当主であるレグルスと、その妻スピカ。そして、レグルスによく似た精悍な若い男が並んで待っていた。
おそらく、リシェルの兄であるシリウスだろう。
家族と離れ、たった一人で『星見の塔』にて祈りを捧げる。
その成人の儀式を無事に終えたリシェルを、家族総出で出迎えたというわけだ。
◇
その夜、屋敷ではリシェルの帰還と成人を祝う盛大なパーティーが開かれることになった。
煌びやかなシャンデリアが輝く広間には、豪華な料理が所狭しと並べられている。
ありがたいことに、護衛を務めた兵士団と共に、俺も御相伴に預かることになった。
ロイド曰く、招待客は地元の有力者や家臣たちばかり。他領の貴族などを招かない、身内だけの気安い祝宴のようだ。
俺が壁際でなるべく気配を消し、背景としてやり過ごそうとしていると──先ほどの若い男が、従者たちをかき分けて真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「君がカイ君か。俺はリシェルの兄の、シリウスだ」
彼は爽やかな笑顔を浮かべ、気取らない様子で右手を差し出してくる。
「妹の命の恩人だそうだな。感謝するよ」
ガシッ、と力強い握手。
貴族特有の嫌味な部分は一切なく、純粋な好意と熱意を感じる男だ。
ここまでは、理想的な貴公子の対応だった。
「君には大きな借りができた。俺にできることなら、なんでも言ってくれ。アストリア家の名にかけて、可能な限り叶えよう」
それはありがたい申し出だ。
だが、言葉とは裏腹に、握られた手に万力のような力がこもっていく。
……痛い。
骨が軋む音が聞こえそうなほど、握力が強すぎる。
「あ、あの……シリウス様?」
俺が引きつった笑みを浮かべると、シリウスはさらに爽やかに笑い──ドスの効いた低音で囁いた。
「それはそれとして。……妹に手を出したら、殺す」
目は全く笑っていなかった。
「と、当然です……。リシェル様に近づく不届き者は、この身に代えても排除する所存です」
俺が直立不動で答えると、シリウスは満足げに頷いた。
「ほう……なかなか見所があるな」
万力のようだった握力が、ようやく緩む。
骨が砕けるかと思った。
「宴が終わったら、俺の部屋に来てくれ。話がある」
◇
パーティーはつつがなく終了した。
俺は言われた通り、屋敷の上層階にあるシリウスの私室へと向かった。
コン、コン。
「入れ」
重厚な扉を開けて中に入ると、書類仕事をしていたシリウスが手を止め、革張りのソファに座るよう促してきた。
「どうだ、やるか?」
彼は葉巻の箱を開け、俺に勧めてくる。
「すみません。相棒が、匂いがつくのを嫌がるもので」
俺は肩に乗るノアを指差し苦笑して辞退した。
実際、あの龍の吐瀉物の悪臭が消えるまで、ノアはこの二日間、俺に近寄ろうともしなかったのだ。
「そうか。それなら、俺も控えよう」
シリウスはそう言うと、取り出した葉巻を箱に戻した。
客への配慮か、あるいは相棒を大事にする姿勢への敬意か。
どちらにせよ、高圧的な貴族が多い中では、驚くほど話の分かる男だ。
「すまないな、香りに敏感なんだ」
ノアが片翼を胸に当て、器用に恭しく一礼をする。
「ふ、律儀な鳥だ」
シリウスは口元を緩め、ゆったりと背もたれに体を預けた。
場が和んだのを見計らい、俺は単刀直入に切り出した。
「それで、俺にどのようなご用件で?」
俺の問いに、シリウスは探るような鋭い視線を向けてくる。
「ああ。君は境界測図師だそうだな。次はどこを目指すつもりだ?」
「ええ。当面は『空』に行こうかと考えています」
俺が即答すると、シリウスの眉がピクリと動いた。
「ふむ……。まあ、空、か」
意外な反応だった。
アストリア家は『星見』の家系。てっきり空を目指すと言えば喜ばれるかと思ったが、その声色はどこか浮かない。
あからさまな落胆、とまではいかないが、期待していた答えとは違ったという顔だ。
「……まずかったでしょうか?」
「ああ、いや。もちろん、空も大事な領域だがな」
シリウスは言葉を濁し、視線を窓の外──夜の闇へと向けた。
「貴族や騎士が手柄を立てた後、最も欲しがる報酬が何か分かるか?」
シリウスは問いかける。俺は少し考えてから答えた。
「金ですか? それとも名誉?」
「いいや、違う」
シリウスは首を横に振り、窓の外に広がる闇夜を睨みつけた。
「『土地』だよ。領土だ。……金は使えばなくなる。名誉は腹を満たさない。だが、土地は違う。一族を繁栄させ、富を生み出し続ける恒久的な資産だ」
彼は重苦しい溜息をつく。
「我が王国は、西の大陸のほぼ全てを支配下に置いた。偉業だ。だが、それは同時に『これ以上、家臣に与える土地が国内にない』ことを意味する」
なるほど。領土統一が完了してしまったが故の弊害か。
「平和な世は結構だが、武人たちにとっては死活問題だ。特に、家を継げない次男や三男たちは悲惨だぞ。彼らは食い扶持と自分の城を求めて、血眼になっている」
平和が生んだ歪み──行き場を失った『力』が、出口を求めて燻っているわけだ。
「ククク、どこも一緒だな。国内を統一したら兵が邪魔になる。うさぎが狩り尽くされたら、猟犬も鍋で煮られて食われるのが運命だ」
肩で、ノアが愉快そうに嘲笑う。
「……言い得て妙だな。鳥なのに面白いことを言う」
シリウスは感心したようにニヤリと笑う。
それにしても、ノアの言う通りだ。
抱えきれない武力は、いずれ必ず暴発する。
「このままでは、王国は内側から腐り落ちる。不満を抱いた貴族たちが互いの領土を奪い合う、内乱の世に逆戻りだ」
「……それで、対策がなにかあるのですか?」
「外へ目を向ける。おそらく──『北の大陸』への侵攻だろうな」
シリウスが苦々しげに言葉を継ぐ。
獲物を失った行き場のない剣は、主君か、あるいは隣人へと向けられるしかないのだろう。
「だが、あそこに手を出すのは下策だ。北には強力な軍事国家群が割拠している。手を出せば、世界を二分する大戦になるだろう」
内乱か、世界大戦か。
王国は内乱になるくらいなら、大戦を選ぶと言うことだろう。
外敵との戦争という名目のもと、余剰人員を消費する──つまりは『口減し』のために。だ。
「だからこそ、『新大陸』を見つける必要があるんだ」
シリウスは熱のこもった瞳で俺を見据える。
「海を越え、未だ誰も知らぬ大地を見つけ出す。誰のものでもない、無限の空白地帯。……それだけが、血を流さずにこの閉塞した王国を救う、唯一の希望なんだよ」
シリウスが「空」という答えに浮かない顔をした理由が、痛いほど理解できた。
今、王国が求めているのは、海を越え、物理的な領土を拡大してくれる実利的な開拓者なのだ。
俺は居住まいを正し、力強い視線を返した。
「……事情は理解しました。どちらにせよ、俺は世界全てを旅するつもりです。空も、海も」
「では……」
「ええ。必ずやアストリア家のために、新大陸を見つけ出すことを誓いましょう」




