23話 渇きと甘い蜜
龍の背に飛び乗った俺を、龍はまだ認識していない。
意識は完全に地上の『害虫』たちに向いている。
ズドォオオオオンッ!!
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
悲鳴と共に、男が一人、ボロ雑巾のように宙を舞った。
ギルドでエルゼに因縁をつけていた、あの神経質そうな男だ。
龍の尻尾による強烈な一撃で薙ぎ払われたらしい。
俺は冷ややかに見下ろす。
即死は免れているようだ。
だが、これで『銀の天分儀』は半壊といったところか。
ビュンッ!
風切り音と共に、放たれた矢が龍の瞼に弾かれ、俺の顔のすぐ近くを掠めた。
生き残っていた弓使いが、半狂乱になりながら攻撃を加えたようだ。
『グゥルルル……ッ!!』
龍の喉が怒りで震え、筋肉が硬直する。
(……こいつら、もう邪魔だな。余計な真似をされたら計算が狂う)
俺はもう一つの遺物を取り出す。九つの小さな髑髏が連なる数珠。
眼下に広がる、龍のブレスで作られた巨大な水たまりを目掛けて、それを放り投げた。
「──展開!」
ボチャン、と水面に落ちた瞬間。
水たまりが黒く染まり、そこから巨大な『骨』がせり上がった。
肋骨のような船体、船首には巨大な髑髏。
冥府の渡し船、『骸骨船』が、飛沫を上げて現界する。
「な、なんだこれは……!?」
腰を抜かしている重戦士たちに、俺は龍の背から怒鳴りつけた。
「お前ら、邪魔だ! 死にたくなければその中に入れ!」
「ひっ、は、はいっ!!」
彼らにとっては、龍も骸骨船も恐怖の対象だろうが、背に腹は代えられない。
生き残っていたメンバーは、這いつくばるようにして骸骨船の船倉へと転がり込んでいった。
これでフィールドはクリアになった。
同時に、奥から馬車が飛び出してくる。
「カイ様、行きますッ!!」
ロイドだ。彼は手際よく馬と馬車の連結を切り離すと、勢いのまま馬車の荷台を横倒しにする。
ガコンッ、ゴロゴロ……。
傾いた荷台から、丸々と太った三頭の牛が戦場へと転がり落ちた。
そのままロイドは馬に乗り、全速力で射程外へと離脱していく。
今の龍は、まだ理性が残っている。このままでは警戒して、見慣れない牛をすぐには食べないかもしれない。
俺は龍の背中の上で、足元の鱗を確かめる。
硬い。だが、ここから狙える急所が一つある。
俺はワイヤーを、龍の首の付け根にある突起に巻き付けた。
「……悪いが、もう少し暴れてもらうぞ」
俺は躊躇なく、龍の背中から側面へと飛び降りた。
ビュオッ!
風を切って落下する俺の体は、ワイヤー一本で空中に吊り下がる。
龍の首元へ、振り子のように大きくスイング──。
視界に入ったのは、喉元で妖しく光る、一枚だけ逆さに生えた白い鱗。
──『逆鱗』。
触れれば国が滅ぶと言われる、龍の絶対不可侵領域。
俺は勢いのまま、その純白の鱗に、全体重を乗せたドロップキックを叩き込んだ。
ドォォォォォンッ!!
衝撃が足裏を貫く。
その直後。
『■■■■■■■■──ッ!!!!』
世界が震えるような絶叫。
龍の黄金の瞳が瞬時に充血し、血のような真紅へと染まる。
当然、龍の殺意は「背中の敵」──俺へと向いた。
グンッ!
龍が首をあり得ない角度で捻り、背中の俺を噛み殺そうとする。
だが──届かない。
「無駄だ。手綱は俺が握っている」
首の付け根に食い込んだ黄金のワイヤーが、龍の首を強制的に固定しているのだ。
背中を向きたくても向けない。
行き場を失った龍の殺意は、無差別の破壊衝動となって周囲に撒き散らされた。
ズバババババッ!!
全方位へのブレス乱射。
森が削れ、大地が穿たれる。制御不能の暴走状態。
俺はロデオのように暴れる背にしがみつきながら、そのエネルギー消費を見届ける。
俺はロデオのように龍の背にしがみつく。
と、その時。
殺意に満ちた龍の顎が、偶発的に広場の隅──ロイドが置いていった三頭の牛の方角を向いた。
(──ッ、そっちは駄目だ!)
メインディッシュを消し飛ばされては、作戦が台無しだ。
俺は遺物のリールを握りしめ、全力でワイヤーを引いた。
首の付け根に食い込んだ黄金のワイヤーが、龍の首を強制的に上へと反らせる。
ズドオォォォッ!!
放たれた超高圧の水流は、牛たちの頭上数メートルを通過し、背後の岩山を粉砕した。
パラパラと岩の破片が降り注ぐ中、牛たちはあまりの恐怖に腰を抜かし、その場で固まってしまう。
「ふぅ……危ないところだ」
俺は額の汗を拭う。
牛は無傷。しかも恐怖で逃げ出せない状態になった。最高の結果だな。
龍はなおも暴れ続けるが、ブレスの勢いは明らかに弱まり始めている。
『ガァ、ァ……ッ、ゴ、ホッ……!』
不意に、龍の咆哮が掠れた。
連続でブレスを吐きすぎたせいで、喉の粘膜が焼けつき、体内の水分が枯渇し始めているのだ。
口の端から、シューシューと白い蒸気が漏れている。
──人間で言えば、真夏の砂漠を全力疾走した直後の脱水状態だろう。
喉が焼けつくように熱く、一滴でもいいから水が欲しい。思考能力を奪うほどの、強烈な渇き。
そのタイミングを、俺は待っていた。
(風向きは計算通り……そろそろ届くぞ)
俺はワイヤーを緩め、龍の顔を──大好物の方へと向けさせる。
そこには、ロイドがたっぷりと塗りたくった『特製のタレ』の匂いが充満している。
ピクリ、と龍の鼻が動いた。
『……?』
赤い瞳が、目の前に転がる三頭の牛を捉える。
牛の体から漂うのは、甘く、そして清涼感のある香り。
──『雪解け草』の蜜だ。
水属性の魔物にとって、その香りは「冷たく澄んだ湧き水」を本能的に連想させる。
焼けついた喉を潤してくれる、極上の鎮痛剤。
今の龍にとって、それは目の前に置かれた「キンキンに冷えた水瓶」そのものだった。
『グルル……』
殺意の炎が、生理的な欲求の前に揺らぐ。
怒りよりも、癒やしが欲しい。熱を冷ましたい。
龍の口から、ダラリと大量の涎が溢れ出した。
それは理屈ではない。砂漠で水を求める旅人と同じ、抗えない生存本能だろう。
バクンッ!
次の瞬間、龍は我慢できずに首を伸ばし、牛に喰らいついた。




