22話 害虫駆除
森の木立に身を潜め、俺たちは双眼鏡越しに塔の様子を窺う。
しばらくすると、『銀の天分儀』の面々が現れ、警戒しながら塔の入り口へと迫っていった。
「不思議ですね……あんなに近づいても、龍は攻撃してこないんですね」
ロイドが小声で尋ねてくる。
確かに、あれだけ近づけば縄張り侵入とみなされてもおかしくはない距離だろう。
「出産直後で体力が低下しているのと、子供の側を離れたくないんだろう。……それに、龍は知性ある生き物だ」
「知性、ですか?」
「ああ。本能だけで暴れる魔獣とは違う。ロイドだって、道端で野良犬を見かけたからといって、いきなり剣を抜いて切りつけたりはしないだろ?」
「えっ、まあ。襲ってこないなら無視しますね」
「龍にとっての人間もその程度の存在さ。無視していれば害はないと判断してる」
俺は双眼鏡のピントを調整し、奴らの動きを追った。
先頭に立つ重戦士が、塔の入り口付近で何かを撒き、煙のようなものを焚き始めている。
「……だが、野良犬が家に上がり込んで、我が子に牙を剥いたら話は別だ」
あれは『魔物忌避剤』だろう。
低級の魔物なら嫌がって逃げる代物だ。
彼らは自分たちが『狩る側』だと信じて疑っていない。ここには駆除すべき害虫しかいないと思い込んでる。
だが、産後の神経質な母親に対して、化学薬品の悪臭を巣に流し込む行為がどう受け取られるか。
「……当然、家主は激怒することになるわけだ」
俺は小さく肩をすくめた。
開戦の合図は、向こうが勝手に鳴らしてくれたようだ。
グォオオオオオオオッ!!
大気を震わせ、大地を揺るがす龍の咆哮が轟いた。
「さて、始めよう」
◇
「なんだ、魔物なんていないじゃないか」
『銀の天分儀』の重戦士ガルドは満足げに鼻を鳴らした。
塔の入口に焚いた紫色の煙は、魔物が嫌う特級の悪臭を放っている。このランクの遺跡なら、これで安全確保は容易い。
しかし、今回は妙だ。普段なら湧いて出るような、うるさい小型の魔物一匹すら見当たらない。
(静かすぎる……ま、俺たちの威圧感にビビって逃げ出したか)
こんな散歩同然の依頼で大金を払うなど、貴族というのは金の価値を分かっていないらしい。
ガルドは内心で依頼主を嘲笑い、塔へ踏み込もうとした──その時だった。
──ズゥウウウゥン……。
突如、地面の底から響くような地鳴りが足を伝う。
「ん? 地震か……?」
いや、違う。
振動は足元からではない。空気が、空間そのものが震えているのだ。
「おい、空を見ろ! 何かが来るぞ!」
仲間の叫び声に、ガルドは反射的に上空を仰いだ。
そして、思考が凍りつく。
太陽が、消えていた。
いや──巨大な『翼』が、陽光を遮断していたのだ。
一瞬の静寂の後、暴風が叩きつけられた。
「うわああっ!?」
「きゃあああっ!」
台風ごときの生易しいものではない。上空から圧縮された空気の塊が、ハンマーのように彼らを地面へとなぎ倒す。
土煙が舞い、視界が奪われる中、絶対的な『死』が舞い降りた。
ズガンッッ!!
岩盤が砕け散る音と共に、塔の前の広場に巨大な質量が着地する。
舞い上がった砂塵の向こうから現れたのは、磨き上げられた鋼のような鱗と、人を虫けらのように見下ろす黄金の瞳。
「嘘、だろ……? なんで、こんな所に……」
ガルドの喉から、ひきつった声が漏れる。
そこにいたのは、遺跡に巣食う魔物などではない。
食物連鎖の頂点。人類が到達し得ない、圧倒的な暴力の結晶。
──龍。
ガルドたちが自信満々に撒いた忌避剤の臭いが、龍の鼻先を掠めたのだろう。
黄金の瞳がスッと細まり、明確な『殺意』が彼らを射抜いた。
『グゥルルルル……!!』
「ヒッ、あ、あ……」
魔術師の女が腰を抜かし、杖を取り落とす。
戦う? 逃げる?
馬鹿な。嵐に向かって剣を構える蟻がどこにいる。
彼らが理解できたのは、たった一つの絶望的な事実だけだった。
自分たちは狩りに来たのではない。
寝ている王の寝床に泥足で踏み込み、汚物を撒き散らした──万死に値する『害虫』になり果てたのだと。
龍が、大きく息を吸い込んだ。
「や、やめ──」
◇
龍の顎が大きく開かれると、周囲の大気中の水分が急速に収束していく。
次の瞬間、凄まじい水圧の奔流が放たれる。
──超高圧の激流。
水が、一直線に『銀の天分儀』の先頭に立つ重戦士へと襲いかかる。
「ぐ、おおおおおっ!?」
轟音と共に、重戦士の身体が木の葉のように吹き飛ばされた。
掲げた大盾がひしゃげ、自慢のフルプレート・メイルに亀裂が走る。
だが──砕け散ってはいない。
(……ほう。流石に魔物退治に来ただけあって、装備は金をかけているらしい)
あれだけの水圧だ、全身打撲に骨折くらいは免れないだろうが、即死は回避したようだ。
(あと三発くらいは耐えて、龍の気を引いてくれないと困るぞ)
彼らが踊っている(蹂躙されている)今が好機だ。
「ロイド、馬車は任せるぞ。タイミングを見て『荷物』を放て!」
「は、はいっ! カイさんも気をつけて!」
昨日伝えた作戦通り、俺は単騎、全速力で馬を走らせた。
馬車の速度に合わせる必要はない。風を切り、龍の側面へと回り込む。
近づくにつれ、その巨大さが視界を埋め尽くしていく。
肌を刺すような魔力の奔流。生物としての格の違いを見せつける、圧倒的な威圧感だ。
「ノア! 牽制だ!」
「了解!」
上空からノアが翼を振るう。
放たれた無数の羽は、鋼鉄の矢となって龍へと降り注いだ。
キンッ、キンッ、カンッ!
硬質な音が響く。だが、龍の鱗は傷一つ付かず、羽を無慈悲に弾き返した。
「あっちゃー、カイ。こりゃ無理だ。硬すぎるよ!」
「諦めるのが早い!」
俺は手綱を片手で操りながら、腰のホルスターから切り札を抜いた。
真鍮色の拳銃型の武器。
撃鉄の部分が糸車のような意匠になっており、そこには金属ではなく、不思議な艶を持つ『金色の繊維』がリール状に巻かれている。
──『黄金編髪枷』。
俺は馬上で銃口を構え、龍の顔面──その口元に揺れる『長い髭』へと狙いを定めた。
「──繋げ!」
引き金を引くと、銃口から煌めく『金のワイヤー』が射出された。このワイヤーは所有者の意思に従い、捉えた相手の枷となり対象を決して逃さない。
金色の軌跡は俺のイメージ通りに空中を走り、龍の髭へと複雑に絡みつく。
「巻き上げろ!」
ガキンッ! とリールが回転し、強烈な力で俺の身体を引っ張り上げる。
俺は躊躇なく馬を乗り捨て、空中へと身を投げ出した。
風が耳元で唸る。
黄金のワイヤーに導かれ、俺は振り子のように宙を舞い──龍の背中へと軽やかに着地した。




