2話 八年越しの再会
試験に合格してから、数日が経っていた。
俺は今、試験を受けた港町サポスを離れ、乗合馬車に揺られて旅をしている。
サポスでのライセンス発行手続きには、結局丸一日かかった。
窓口の職員が、書類と俺の顔を何度も見比べ、最後に諦めたように溜息をついたのを覚えている。
『境界測図師ライセンス──発行完了です』
手渡された金属プレートはずしりと重く、そこには確かに『カイ・セラ』の名が刻まれていた。
そのライセンスのおかげで、俺はこの乗合馬車に乗れている。
本来なら、ウミビトが地上の交通機関を使うことは難しい。だが、この銀色のプレートを見せた瞬間、御者の態度が一変し、最前列の席を用意されたのだ。
──そして、ようやく目的地リュシオンの街が見えてきたのである。
リュシオン。アストリア侯爵家が治める地方都市だ。
「──着きましたよ」
御者のぶっきらぼうな声で、俺は馬車を降りた。
足を下ろしたのは、リュシオンの街の「三等区画」。とたんに、煤と下水が煮詰まったような生活臭が鼻を突く。
これより上の二等、一等区画は、高い壁で隔てられたウミビトには原則立ち入り禁止のエリアだ。
しかし、それも境界測図師には関係ない。
この資格を持つ者は、王城を除く、世界のあらゆる場所への通行権が与えられる。
まさに最強のフリーパスだ。
「もう日も暮れる。今日は我慢の日だな」
「もともと我慢ばっかりの人生だろ、お前」
肩の上のノアが、即座に痛いところを突いてくる。
否定できないのが悲しいところだ。
俺は苦笑しつつ、安宿に部屋を取り、荷物を置いた。
身軽になったところで、腹ごしらえといくか。
通りには屋台がひしめき合い、雑多な活気が溢れている。
焦げた肉の匂い、強烈な香辛料の刺激、安酒の甘ったるい香り。
衛生面は怪しいが、地上の飯は嫌いじゃない。
俺は適当な屋台で、正体不明の肉を刺した串焼きを買った。立ったまま齧り付く。
「……ん」
「どうだ? 毒見の結果は」
「……悪くない」
「歯切れ悪いな」
香辛料で肉の臭みを消しているが、焼き加減は絶妙だ。
船で食べるカチカチの保存食に比べれば、百倍マシ。
まあ、わざわざグルメレポートするほどの味じゃないけど、腹を満たすには十分だ。
その日は、早めに宿へ戻った。
ベッドは煎餅みたいに薄くて硬いし、天井は低い。
それでも、揺れない床と雨風をしのげる屋根があるだけで、ウミビトにとっては贅沢な環境だ。
とはいえ、地上の夜は、静かすぎる。
いつも子守唄代わりに聞いている波音がない。
そのことに少しだけ違和感を覚えながら、俺は泥のように眠った。
◇
翌日。
目が覚めると、陽はすでに高くなっていた。
昼にはまだ間があるが、どうやら少し寝過ごしたらしい。
身支度を整え、宿を出る。
いよいよ、旅の目的地──八年越しの約束の場所へ向かう時が来た。
心臓が、早鐘を打っている。
柄にもなく緊張しているらしい。深呼吸を一つして、俺は歩き出した。
目指すは、街の中心部。「一等区画」だ。
三等区画との境界には巨大な門がそびえ立ち、武装した衛兵が目を光らせている。
門の向こうに見えるのは、白い石壁に囲まれた豪邸と、整備された美しい街路。
こちら側とは空の色さえ違って見える。
俺が近づくと、門番が眉間に皺を寄せて立ちはだかった。
「止まれ。貴様、どこへ行く気だ」
「この先へ」
「ふざけるな。ここから先は一等区画だ。庶民が立ち入っていい場所じゃ──」
俺は無言で、懐からライセンスを取り出し、彼の目の前に掲げた。
朝日に反射して、金属プレートが鈍く光る。
一瞬。
本当に一瞬、門番の思考が停止したのが分かった。
目を見開き、口をパクパクさせている。
「……サ、サーベイヤー……!?」
声が裏返った。
このライセンスの効力は絶対だ。例え相手がウミビトであろうと、公務中の衛兵が逆らえるものじゃない。
「と、通行を許可する……!」
慌てて敬礼し、道を譲る衛兵。
その滑稽なほどの変わり身に、肩の上のノアが「くくっ」と喉を鳴らして笑った。
「見たか? 今の顔」
「性格悪いぞ」
そりゃ、こんなボロをまとった人間が高給取りのサーベイヤーだとは思わないよな。
俺たちは悠々と門をくぐる。
一等区画の奥、目指す屋敷はすぐに見つかった。
白亜の壁に囲まれた、一際大きな屋敷。
門扉に刻まれた家紋は「八芒星」。
この国の名門、アストリア侯爵家だ。
八年前。
嵐で墜落した魔道船から俺が救い出した、あの子の家。
門番に名を告げる。
「カイ・セラです。リシェル・アストリア嬢に会いに来ました」
一瞬の沈黙。
そして、当然の反応が返ってくる。
「……お引き取りください」
「約束があるんです」
「しつこいぞ! 浮浪者が近寄るな!」
門番が槍を構え、俺を追い払おうとした、その時。
「──待ちたまえ」
低く、よく通る声が響いた。
屋敷の内側から現れたのは、背筋の伸びた白髪の老紳士。
執事服を完璧に着こなした彼が、俺の顔を見て、目を見開いた。
「……まさか」
「久しぶりです、セバスさん」
俺が小さく手を挙げると、老執事の表情が驚愕から歓喜へと変わる。
「開けなさい! 今すぐに!」
衛兵の制止を振り切り、重厚な門が開かれた。
「カイ様……! よくぞ、ご無事で……!」
「八年ぶりですね」
屋敷に通されて、数分も経たないうちだった。
奥の廊下から、バタバタと貴族らしからぬ足音が響いてくる。
「カイ……!?」
広間に飛び込んできたのは、淡い色のドレスを纏った少女。
窓から差し込む光を受けて輝く、流れるような銀髪。
リシェル・アストリア。
あの時、波にのまれて泣きじゃくっていた小さな子供は、息を呑むほど美しい十六歳の令嬢になっていた。
「……カイ!」
俺の姿を確認するなり、彼女は涙目で走り出し──
そのまま躊躇なく、俺の胸に飛び込んできた。
「ぐっ……!?」
「生きてた……! 本当に……! 嘘つきじゃなかった……!」
嗚咽交じりの声。
ドレスが汚れるのも構わず、細い腕が俺の首に回され、強く締め付けられる。
甘い花の香りが鼻をくすぐった。
「……ああ」
どう返せばいいか分からず、俺は立ち尽くしたまま、短く答えることしかできない。
相変わらず重いな、このお嬢様の感情は。
ノアが「やれやれ」と言いたげに、俺の頭の上から飛び立った。




