12話 老測図師と煤だらけの少女
「……なんでワクワクしてるんだ、こいつらは」
四つの地獄を楽しみにしている俺たちを見て、エルゼはロイドに小声で尋ねた。
「さあ……。私にも、さっぱり」
ロイドも同じように、引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。
「んー、まあ……もし“空”を攻略するつもりがあるなら、声かけてくれよ」
「……空? 空中都市のことか?」
「ああ。基本、空の世界に行けるのは貴族か、サーベイヤーの付き添いだけだ。空絡みなら、うちのクランも掛け持ちを黙認してくれるだろ」
「掛け持ちでもいいのか?」
「普通は禁忌だよ。けど──空で未発見の『魔石鉱床』でも見つけりゃ、“百代遊んで暮らせる”って言われてるからな。マスターも流石に黙認してくれるさ」
エルゼは悪戯っぽく肩をすくめる。
「なるほど。夢がある話だ」
「だろ? その時は頼むよ、サーベイヤー様」
そう言って、彼女は席を立った。
気づけば、俺とエルゼの皿はとっくに空になっている。早食いは身についた癖のようなものだ。
だが、ロイドの皿はまだ半分残っていて、リシェルに至っては、お上品に食べているせいか、ほとんど減っていなかった。
エルゼはテーブルの伝票をひょいと掴み、軽く振ってみせた。
「何かあったら、ギルドに言伝しといてくれ」
「ああ。色々と助かったよ、ご馳走さま」
エルゼは会計を済ますと無言で手を振り、背中で挨拶をして店の外へと消えていった。
店内の喧騒が戻ったところで、俺は視線を正面に向けた。
「さて、リシェル」
「──ギクっ」
フォークを口に運んでいたリシェルが、分かりやすく硬直する。
「……お前、まだその“抜け出し癖”は治ってないのか?」
実際、八年前もそうだった。
勝手に小型魔導船に忍び込み、空中都市から真っ逆さま──なんて無茶をやらかしている。
まあ、その無茶がなければ、俺たちは出会っていなかったわけだが。
「セバスさんの胃に穴が開きますよ、本当に」
ロイドが呆れたように肩をすくめる。
屋敷で留守を預かる老執事の顔が思い浮かぶ。
「で? 最初はどの地獄を楽しむんだ?」
ノアがくつくつと喉を鳴らす。
「うーん……近いし、西でいいんじゃないか?」
俺は軽く肩をすくめた。
「そもそも、試験で一回行ってるしな」
「迷いの樹海、でしたよね」
ロイドが念のため確認するように聞く。
「ああ。エルゼは磁場が狂うと言っていたが──さっきも言った通り、コンパスなんて、最初から頼りにしてないしな」
ノアも「当然だろ」と言いたげな顔で、満足そうに翼を畳んでいた。
「その前に、うちのお抱えサーベイヤーと話してみる? ちょうど一人街にいるの」
「そういえば、この街を拠点にしてるサーベイヤーが二人いると言っていたな」
この街を拠点とする以上、当然ながらアストリア家が絡んでいるか。
「ええ。二人とも、当家がパトロンをしています」
リシェルはえっへん、と言わんばかりに胸を張る。
「さすが貴族。やるな、貴族」
「……なんだか、馬鹿にされてる気がするわね」
そんなことはない、と俺は首を振って否定した。
リシェルは一瞬だけ目を細めたが、すぐに気を取り直したように肩をすくめ、言葉を続ける。
「それに、一般には公開されていないけれど──西の樹海は、すでに突破できる四つのルートが確立されているわ」
「ほぅ……」
思わず感心の声が漏れる。
一般人には恐怖を植え付け遠ざけ、その裏で利益を独占する。これぞ統治者のやり口だろう。
さすが貴族汚い。
「樹海を抜けた先の島も、いくつかは拠点として機能してる。まだ大規模な移民ができるほどじゃないけどね」
「つまり、完全な未踏ではないってことか」
「ええ。でも──」
リシェルはそこで、ほんの少しだけ言葉を切った。
「ルートがあるからと言って、安全が保証されているわけじゃないわ。……毎年何人も呑み込まれているのが現実よ」
「ふむ」
「だから、もっと安全なルートを『カイ』が見つけてね」
リシェルは信頼を込めて、パチリと片目を閉じてみせた。
無茶を言う姫様だ。だが、そうだな。
他人が作った道をなぞるより、自分で未踏のルートを切り開く方が性に合っている。
◇
食事が終わり、店の外に出る。
どうやらエルゼはリシェルの分も払ってくれたようだ。
その後は、リシェルの「久しぶりの下界」への好奇心に付き合うことになった。
雑貨屋、露店、菓子屋……。数軒を巡り、両手が荷物で塞がった頃。
一等区画へと続く大門の前に、仁王立ちする老紳士の姿があった。
「──お嬢様ッ!!」
「げっ、セバス」
雷のような一喝。
リシェルは肩をすくめ、俺たちの後ろに隠れようとするが、時すでに遅し。
駆け寄ってきた執事のセバスに、ガミガミと説教を受けながら連行されていった。
──。
────。
「カイ様、本日はとても楽しかったです。感謝いたします」
「いや、俺も助かったよ。ありがとう、ロイド」
兵舎の前でロイドとも別れる。
彼もまた、嵐のような一日だっただろうに、最後まで爽やかな笑顔だった。
◇
屋敷に戻り、俺は今後の予定を確認する。
リシェルの話では、アストリア家がお抱えにしているサーベイヤーは、二人いるが、そのうちの一人は現在不在らしい。
なんでも、『空中都市』へ遠征しているという。
ゼファーは、南の大陸とここ西の大陸の上空を、三ヶ月周期で行き来する移動都市だ。
現在は南から西へ向けて移動中で、こちらに戻ってくるとしても最短で1週間後になるらしい。
「となると、話せるのは一人だけか」
俺は客室の窓から、夕暮れの庭を見下ろした。
◇
夕食の後、応接室で待っていると、ノックの音が響いた。
メイドに案内されて部屋に入ってきたのは、二人の人物だった。
「初めましてですかな。儂がアストリア家に仕えて三十年、測図師のマルタンですじゃ」
一人は、白髭を蓄えた小柄な老人。
いかにも職人といった風体で、背筋がピンと伸びている。眼光は鋭いが、どこか愛嬌のある顔立ちだ。
「……あ、あの」
そして、その老人の後ろから、おずおずと顔を出した少女が一人。
分厚い瓶底眼鏡に、サイズの合わない白衣。ボサボサの髪には、なぜか煤がついて焦げている。
「……孫の、メルディです。……よ、よろしく、お願いします」
少女は蚊の鳴くような声で挨拶すると、すぐにマルタンの背中へ隠れてしまった。




