1話 境界測図師
境界測図師の試験制度は、実に単純明快だ。
指定された地点へ赴き、生きて戻ってくること。
条件はそれだけ。
達成できれば合格。できなければ──
事実、毎年のように死者が出る過酷な選抜試験である。それでも志願者が後を絶たないのは、その資格がもたらす特権ゆえだ。
サーベイヤーになれば、世界の果てまで航海する権利を得る。未知の大陸を発見すれば、莫大な富と名声が約束されるのだ。
「次、受験番号二十七番。前へ」
試験官の事務的な声が響く。
名前ではなく番号で呼ばれるのは、俺にとって好都合だった。
一歩、前へ出る。
「止まれ。名前と年齢を申告しろ」
試験官の冷ややかな声が足を止める。
会場の空気がわずかに淀んだ。
ここまで受験者は、誰一人として名前など聞かれていない。
やれやれ、そういうことか。
溜息を飲み込み、俺は口を開いた。どうせ空気が凍りつくのは分かっている。
「──カイ・セラ。十七歳です」
予想通り、会場全体がざわりと波打った。
「セラ……ウミビトか?」
「汐鼠が、何をしに来たんだ」
ウミビト。海上の船を住処とする漂流の民。
人口こそ多いが、地上に定住する人々からは、文明を持たぬ下層民として蔑まれているのが現状だ。
試験官の一人が、あからさまに嘲るような笑みを浮かべ、所定の測量機材を放るように渡してきた。
「おいおい、使い方は分かるのか? それは鈍器じゃないぞ」
「文字も読めない連中に、海図が書けるとは思えんがね」
「星を読んで神頼みするのと、天文学は違うんだよ」
周囲から突き刺さる嘲笑。
彼らが言いたいことは分かる。船を動かすのは得意でも、高度な計算と知識を要する『測量』は、学のないウミビトには不可能だと言いたいのだ。
耳には届いているが、心には届かない。こういう扱いには慣れすぎている。
「……やめときゃいいのに」
肩に羽を休めていたカモメが、呆れたように小声で呟いた。
「うるさい」
「ここが地上だって分かってるのか? お前、馬鹿にされてるぞ」
「知ってる」
こいつの名はノア。
幼い頃、嵐の夜に拾ったカモメだ。
なぜか言葉が通じるし、こうして憎まれ口も叩く。原理は不明だが、相棒としては悪くない。
「落ちたらどうするんだ?」
「また受けるだけだ」
俺の即答に、ノアは羽をすくめるような仕草を見せた。
その間にも、試験官の説明が続く。
「これより境界測図師選抜試験を開始する。指定地点へ到達、測量を完了し、速やかに帰還せよ」
説明は簡潔。
死ぬも生きるも自己責任、というわけだ。
「では──試験開始!」
号令と共に、受験者たちが一斉に動き出した。
貴族がついた有力候補たちは、最新鋭の魔導推進船や、きらびやかな大型船へと乗り込んでいく。
対して、俺の船は一人乗り用の小船が一艘。塗装も剥げかけたオンボロだ。
「おいおい、大丈夫かこれ」
ノアが手で頭を抱えて苦笑する。
「沈まない?」
「沈まない」
不安げなノアを他所に、俺は腰のホルスターから「ある装置」を抜き取った。
海底遺跡で拾い上げた、古代文明の遺物。
銃のような形状をしているが、弾丸は出ない。
船尾の金具に装置を接続し、トリガーを引く。
シュルリと伸びたワイヤーが高硬度のスクリューへと変形し、海中へと没した。
海流を読む。
風の匂いを嗅ぐ。
俺にとっては、呼吸するのと同じくらい自然な行為だ。
「ノア、風見を頼む」
「へいへい。──左舷、潮の流れが速いぞ」
「了解」
特別なことは何もない。
いつも通り、海に出て、ただ戻るだけ。
──数ヵ月後。
水平線の彼方に、出発した港が姿を現した。
指定された海域の測量は完璧だ。海図への記入も済んでいる。
試験会場の重い扉を開けると、喧騒に包まれていた室内が、水を打ったように静まり返った。
「……き、帰還を確認」
「測量記録……照合。誤差なし、完璧です」
記録を受け取った試験官たちが、信じられないものを見る目で顔を見合わせている。
「──受験番号二十七番。カイ・セラ。合格」
宣言から一拍遅れて、会場にどよめきが走った。
「ウミビトが、合格……?」
「あのボロ船で帰ってきたのか?」
驚愕と困惑が入り混じる視線の中、俺は深く息を吐き出した。
心地よい疲労感と共に、肩の荷が下りる。
「ほらな」
ノアが得意げに胸を張った。
「言っただろ、ちゃんと帰ってくるって」
お前、ずっと文句言ってただろ。
まあいい。
境界測図師の仕事は単純だ。
行って、戻る。
地図のない場所から生還する。それだけが、この資格の証明。
俺はまだ何者でもない。ただのウミビトだ。
けれど今日、俺は世界の外側へ踏み出す切符を手に入れた。
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