第四章:贖罪 4-1
・・・その日の朝、刑務官と思われる男が俺の房(独房)にきた。
「出ろ」
無機質で温度を感じない一言で、俺はついにこの日が来たと悟った。やっと、終わる。
目隠しをされ、終わりへの道を歩き始めた。聞こえるのはただ、二つの足音のみ。がらんとした通路に冷たい音のみが響き渡る。
……どれほど歩いただろう。足音の他に聞こえたのは、錆びついたような音。
「目隠しを外せ」
薄明かりに照らされたのは、鉄格子に囲まれた小さなリングだった。足元には乾いた血の染みと、形容しがたい腐敗臭。空気は重く澱み、呼吸するたびにカビと鉄さびの味がした。
そして、同じく事態の整理をしているであろう、見知らぬ男が一人、俺と相対している。
沈黙を切り裂いたのはどこからともなく聞こえるアナウンスだった。
「ここから出る方法はただ一つ。目の前の人間を殺す事です」
理解が追い付かない。殺す?誰を?この男を?俺は人を殺してここにいる。それが罰だからだ。人を殺すことは悪だ。それを……指示される?この国でそんなことがあり得るのか?
俺はまだ状況がつかめていなかったが、時計は進み続ける。
正面の男が叫びながら突進してきた。一閃。その拳は俺の顔面を正面から打ち抜いた。
人に殴られるのは、いつ以来だろう。中学生か、高校生か。しばらく忘れていた感覚だ。
地面に倒れる俺に男は馬乗りになる。俺と同じか、少し年上の男。俺はこの顔を知っている。10年ほど前に世間で騒がれた連続殺人鬼だ。確か、死刑が決まっていたはず。
殴られながら、俺は考えた。
この場の二人、共通点は死刑囚。出られるのは一人。つまりもう片方は死ぬ。死は俺たちに共通する罰。
……なるほど。互いの死刑執行を互いにやらせるって事か。悪趣味だな。
もう人生なんてどうでもいいと思っていたが、ここで見知らぬオヤジに殺されるのは不本意だ。ならば、やることはただ一つ。こいつを殺す。
覚悟を決めてからは早かった。
隙を見てマウントを取り返し、ひたすら殴り続けた。人の肉を叩く、鈍く湿った音。骨が折れる音。掌を伝わってくるのは、温かい血の感触だ。それが俺のものなのか、奴のものなのか、考える余裕はなかった。考えることを拒絶した。
どれくらい殴り続けただろうか。ふと我に返ると、眼前には赤黒い肉の塊が一つ。その、元人間だったものが、微動だにしないことを確認した瞬間、胃の底から熱いものがせり上がってきた。
「それまで。お前は出ろ」
再び禁忌に踏み入れた嫌悪感に押しつぶされる俺の感情とは関係なく、終わりを告げるアナウンスが鳴り響き、重い鉄扉が開いた。そこで目隠しをされ、俺はまた朝来た道を歩いて行った。
まさか死刑台から帰ってこれるとはな。それは安堵か。いや、違う。殺してしまったという嫌悪と、生き残ってしまったという絶望がないまぜになった、言葉にならない、ただの獣の鳴き声のようなものが、喉から漏れた気がした。




