第五章:正義とは 5-3
・・・アパートの小さなキッチンで、インスタントの味噌汁を啜る。熱い湯気が、目元を温めていく。妻がいた頃は、こんな味気ない食事はあり得なかった。
テーブル上のスマホに、無意識に目をやる。 前回の入金から、すでに数週間が経っていた。残高は、以前より確実に増えている。 『シトウケイヒガイシヤホシヨウキン』 あの男が、金網の中で誰かを殺し、その命を賭けた血と汗が、この通帳の数字へと変わった。そのおかげで、僕はアパートの家賃を払い、電気を止められることなく生き永らえている。
僕の生活は、僕が最も忌避するあの男に支えられている。
僕の復讐は、あの男の死だったはずだ。一刻も早く、あの男が血反吐を吐いて死ぬことを願っていた。それが、この忌まわしい死闘法の存在を知る前の、僕の唯一の正義だった。
だが、今はどうだ。
テーブルの上には、スポーツ新聞が広げられている。
見出しは大きく、『加藤幸雄、運命の三戦目! 歴代最強の刺客と激突!』とある。
あと数日で、三戦目が行われる。
三戦目だ。二戦を勝ち抜いたとはいえ、今回の相手は、過去に五連勝しているという、まさに「破壊者」の異名を持つ男だ。もし、加藤が今回負ければ、奴は死ぬ。
それこそが、僕の最上の願いだった。にもかかわらず、その冷たい願いを打ち消すように、僕の胸の中に、ある異様な感情が芽生えていることを自覚した。それは、復讐心でも、憎しみでもなかった。
生きてくれ。
僕の生活が、このアパートの家賃が、次に口にする味噌汁の熱が、全てあの男の命にかかっている。僕は、妻を殺した殺人犯に生きてくれと願い始めている。
何という皮肉だろう。 僕は、あの男が死ぬことで「正義」が果たされると思っていた。だが、今は、あの男が生き続けることでしか、僕は「生活」を維持できない。
憎しみと、依存。復讐心と、生存本能。
僕の正義は、どこへ消えた? 僕は、あの男が命を賭けて作り出した、この汚れた金に、完全に飼い慣らされてしまったのか。
僕は、新聞紙の加藤の顔を、長い間見つめた。その顔は、以前ニュースで見た、薬物に溺れた虚ろな顔ではなく、どこか歪んだ意志を宿しているように見えた。
「こんな僕を見て、君は笑うだろうか」
そう自問しても、答えは出ない。遺影の妻は、事件以来、変わらず穏やかな目をしている。しかし、ここ数ヶ月、僕はその視線と目を合わせられなくなっていた。




