第五章:正義とは 5-2
・・・夕食後、透の部屋のドアの前で、私は立ち尽くしていた。
ドアの向こうからは、ヘッドホンから漏れる電子的な歓声と、低いうなり声、そして肉を叩くような鈍い音が、微かに聞こえてくる。透が、あの「死闘法」の配信を見ているのだ。
裁判員候補の通知を受け取って以来、あの日の光景——二十年前の満員電車で、私が指差した男の顔——は、私の脳裏から離れない。そして、今朝のニュースで、その男が今日国営のデスマッチで殺し合いをすることを知った。
私が発した一瞬の叫びが、長い時を経て、今、息子が熱狂する血塗られたエンタメとなって、この家を侵食している。
「透。ちょっといい?」
ノックをして、意を決して部屋に入った。パソコンの画面が、部屋を薄暗く照らしている。画面には、血で赤黒く染まった鉄の檻が映っていた。透はすぐに画面を閉じようとしたが、間に合わなかった。
「母さん、別にやましいことしてないよ」
透は不機嫌そうに言った。
「友達もみんな見てるし。国がやってるチャリティーだろ?」
「チャリティー…? 透、お願いだから、こんなもの見るのはやめて。あれは、ただの……」
「ただの何だよ? 殺人ショー? そうかもしれないけど、あの金が犯罪被害者に渡るんだろ? 極悪人が死ぬのを見て、その金が困ってる人を助ける。悪いことなのか?」
透の無邪気な質問が、私の胸を深く刺した。 悪いことだ。 あの男は、私の過ちが引き起こした事件の遠因で、人生を狂わされた人間だ。 そして、その男が生きるために流す血を、「正義」の名のもとで息子が消費している。
「違うの、透。これは、正義なんかじゃない。これは、私たちの、私たち大人の…」
喉が詰まり、言葉が続かない。透は、呆れたようにヘッドホンを首にかけた。
「母さんは、昔のこと気にしすぎなんだよ。ほら、今日はご飯も美味しかったし、もう寝るよ」
透の言葉は優しかったが、その目が、私を見ていなかった。彼の視線は、まだ画面に残っている、あの鉄格子の向こうを見ているようだった。
私が、息子に、この地獄を見せた。
罪の意識が、鉄の鎖のように私の全身に巻き付く。 息子の「無邪気な正義」は、私自身の「過去の過ち」によって、最も残酷な形で汚染されているのだ。
どこで道を誤ってしまったのか。私が答えの見えない問いに身を投じた時、透が興奮の声を上げ、ヘッドホンからも歓声が漏れてきた。
それに気を取られ、私は無意識に画面に目をやった。いや、やってしまった。
そこに映し出されているのは、あの男、私が人生を狂わせた、あの加藤幸雄が今まさに生きるか死ぬかの闘いを演じている姿だった。
言葉を発そうにも、言葉にならない。
こうしたのは誰だ。こうなったのは誰の責任だ。
私が人生を狂わせた男が生きるか死ぬかを、私の息子が楽しんで観ている。
「いい加減にしなさい!」
息子にこれ以上惨劇の生き証人になってほしくない一心で、私はモニタの電源を落とすため歩を進めた。
そんなものは見え透いた建前だと、自分でも分かっているのに……。




