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表面上は平穏な日々……奥深く、隠されたところに潜む脅威、それは見つけ出され連れ戻される事だけではなかった。二人を引き離そうとするのは家族だけではない。
喫茶店を始めてすぐのころ、羊飼いのタエラルのところへチーズを買いに行っていたミュレイが帰ってきてルナウに言った。
「タエラルさんのところの六つ子ちゃん、熱が下がったって。すっかり元気になったそうよ」
「思ったより早く良くなったね。でも、まだ暫くは温和しくしてて欲しいんだけどなぁ……看病が大変だとか言ってなかった?」
六つ子は二日前の夜中に揃って高熱を出し、ルナウが往診していた。
「まだ小さいし、六人いるからね。言ってなかったけど、きっと大変よね」
ミュレイがクスクス笑う。
「ルナウに感謝してるって――チーズ、オマケして貰っちゃった」
「ミュレイ、そんなのはダメだって言ってあったはずだよ?」
「もう、ルナウったら。頭が固いんだから。こういうのもね、お付き合いのうちよ。他人の好意は『ありがとう』って受け取っておけばいいの」
「そんなもんですかねぇ」
規定外の報酬を受け取るのは気が重いルナウだった。けれどミュレイがそう言うのならそうなのかもしれないとも思う。
チーズを仕舞ってからミュレイがルナウの隣に座る。
「ねぇ、ルナウ?」
ルナウは店のテーブルで、魔法使いギルドに頼まれた魔法薬を詰めるための瓶にラベルを貼る作業をしてた。
「今日こそお客さん、来るかしら?」
少しだけルナウの手が止まる。
「ごめん、ミュレイ、今日もきっと来ない」
「いつになったら来るかしら?」
「それは判りません」
「そっか……」
「でも、そんなに心配しなくても、それほど遠くないうちに最初のお客が来るよ」
「そんな予感がするの?」
「うん。でもどうしても気になるならカードで占ってみようか?」
「そこまでしなくてもいいわ――手伝おうか? 今回は何本頼まれたの?」
「いや、もう終わるよ。ありがとう。頼まれたのは安眠が十六本、家屋の修復が十五本、馬用の回復薬は十二本、人用の回復薬を七本です」
「えっと……全部で五十本? いつまでに納めるの?」
「明後日の夕方まで」
「えっ? ルナウったら、寝ないで作業するつもり?」
「ミュレイは気にせず休んで」
「もう……ルナウと一緒がいいのに」
それには答えないルナウ、立ち上がるとラベルを貼った瓶を容れた木箱を住居の方に運んでいった。魔法薬は住居で作ることにしていた。
そしてその深夜……
「ねぇ、ルナウ?」
机で魔法薬を調合するルナウに、寝台に横たわったミュレイが声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「好きよ、ルナウ」
魅了の魔法を強く感じる。
「わたしのこと、好き?」
誘惑に抗いながらルナウが答える。
「大好きだよ。訊かなくても判ってるよね?」
「そうね、そうよね……」
甘く切ないミュレイの声に、ルナウが立ち上がる。
「庭で、足りない薬草を取ってくるね」
ミュレイは何も言わなかった。
庭に出るとテラスの段差に腰を降ろした。薬草を取りに行くというのは寝室から離れる口実だ。あのままミュレイの近くに居たら、自分を抑えきれなくなる。
空には雲が厚く広がり、月も星も見えなかった。すぐに雨が降り出す。でも夜明けまでには止むだろう。そんな事を考えて、心と身体を占領しようとしている欲望を締め出そうとした。
ミュレイを生家から連れ出して以来、幾つもの夜を二人きりで過ごした。当初は緊張からか、自分の中の欲望が頭を擡げることもなかった。それが十日、二十日、一月と経つうちに嫌でも自覚することになる。
ふと目覚めれば目の前に愛しい人、甘い香り、優しく伝わってくる体温……手を伸ばせばそこにいる人は、求めればきっと拒まない。むしろ求めてくるだろう。
心が求める相手を身体も求める。それは自然なこと、そうなるものだ。だけど――その結果は? その結果、ミュレイを失うことになったら?
失うなんて堪えられないと思った。我慢なんかできない。ならば別のことろで我慢するしかない。自分に課した禁欲がルナウを苛む。それを少しでも紛らわすために、抑えきれなくなりそうな日には何か用事を作るのが習慣になった。
その日、魔法使いギルドから請け負った多すぎるほどの魔法薬作りもそれだ。そしておそらくミュレイはその事に気が付いている。口にはしないがそんなルナウを恨んでいる。いつになったら結ばれるの? きっとミュレイはそう言いたいが言えずにいる。
不意に後ろからミュレイの声が聞こえた。
「ねぇ、ルナウ?」
「どうしたの? 眠れない?」
ミュレイがルナウの隣に腰を降ろす。そしてルナウの腕に寄り掛かる。
「ねぇ、ルナウ。大好きよ」
甘えるミュレイにルナウの心臓が音を立てる。
「ミュレイ……」
寄り掛かられた腕を外してミュレイの肩に回して抱き寄せる。柔らかに撓り、ルナウの胸の中に納まる温かな身体、抑えていた欲望が騒ぎ始める。
「ルナウ……」
ルナウを見詰めていたミュレイが目を閉じる。ルナウがミュレイに唇を寄せ……ようとした。
パッと、女を離し、ルナウが立ち上がる。
「おまえは誰だ? ミュレイじゃないな」
突き飛ばされた女も立ち上がってクスリと笑った。
「なんで判ったの?」
「……ダチューリュベ?」
「ダチューレでいいわよ」
「なぜここに?」
「ミュレイがどこに居るかなんて、わたしにはすぐ判るもの。あ、そんなに警戒しないで。ママに告げ口したりしないから」
「クレプースヒヤさまに言われて追ってきたのでは?」
「最初からママは『ミュレイは放っておけ』って言ってた。なのに追いかけて、ミュレイに花にされちゃった。余計なことをするからだって怒られたわ。ま、呪いはすぐに解いてくれたからよかったけど」
「放っておけ?」
「そうよ、ママったらミュレイのことは見限ったみたいね。ミュレイは帰るところが無くなっちゃった」
「……それならなんでここに?」
「あら、姉が妹を心配しちゃいけないの? わたしもここに住もうかな?」
「いや、それは……」
「わたしがいたんじゃ邪魔よね?」
ダチューレがクスクス笑う。
「たまに遊びに来るくらいいいでしょう? お茶をご馳走になりに来るわ」
「えぇ、まぁ、それくらいは」
「わたしね、森に住むことにしたの」
「森って、この森?」
「そう、意地悪な妖精の森、なんだか名前が気に入ったのよね――時どきミュレイの様子を見に来るから。あの子を大事にしてあげてね」
森に飲まれるように消えていくダチューレ、妹を気にしていた割には会わずに帰っていったことにルナウは気付いていた。
なんだか奇妙な気分のまま、部屋に戻る。ミュレイはまだ起きていた。そしてルナウを見ると、何か呟いた。
「ん? 何か言った?」
「ううん……」
ハーブなんか持ってないじゃないの。そう呟いたミュレイだ。でも、それを言えばルナウを責めることになる。責めたい気持ちと責めたくない思いの狭間でミュレイは揺れる。
「ねぇ、ルナウ」
「うん?」
もううんざりだ、ルナウが思う。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうなんだ? そう言いたいのに言えない。言えばきっとミュレイは本心を明かしてくる。それを理詰めで説き伏せる自分が見える。だからできない、感情は理屈で割り切れないと判っているじゃないか、と自分に言い聞かせる。そうだ、理屈じゃないんだ、ミュレイの願いも自分の気持ちも――
「わたし、思ったの。お店に初めてお客が来たら、その時は……」
「その時は?」
その時は……わたしたちも次へと進みたいわ。わたしね、子どもが欲しいの。ルナウの子どもが欲しいのよ。そう言いたいミュレイ、でも言えなかった。
「その時は、お祝いしましょうね……眠くなっちゃった。おやすみ、ルナウ。あんまり無理しないでね」
そっと寝返りを打ち、ミュレイがルナウに背を向ける。ミュレイが言いかけたことを途中で変えたことに、うすうす勘付いているルナウはホッとする。同時に、得体のしれない不安を感じていた。




