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その日も|ケーキは三切れ残った。ルナウの予測より、一人少ない客数だったということだ。ナッシシムがフルムーンに通うようになってから、ルナウはいつもお菓子を予測される客数より必ず三つ多く用意した。ナッシシムが帰る時、土産に持たせるためだ。そして大抵三つ残る。多くても残るのは四つ、お客が多くて足りないなんてことはない。今日はナッシシムが一切れ余計に食べたので、都合四切れ残ったことになる。
「いつも予測通りのお客さんだね」
「はい、こう見えてもわたしは魔法使いですから」
「魔法でお客さんの数を予測してるの?」
「魔法を使ったりはしませんよ」
「それじゃあ占い? ルナウの占いは当たるらしいよね」
「占うまでもありません――魔法使いは押し並べて勘が鋭いのです。感覚を研ぎ澄ましているのです」
「悪いけど、勘が鋭いとか、感覚を研ぎ澄ませているとか、ルナウのイメージじゃないわ」
「申し訳ありません。そう見えないようにおっとり構えているのです」
「本当かしら……」
信じていいのか悪いのか迷うナッシシム、本当なのか冗談なのか判断つかない笑みをルナウが見せる。店を閉め、テーブルに飾ったアザミを回収していた。
「アザミも持っていかれますか?」
やっぱりいつも通りにルナウがナッシシムに尋ねる。テーブルに飾る花も日替わり、翌日には別の花を飾る。不要になった花は寝室に置くと聞いたナッシシムがチューリップを欲しがって以来、持っていきますかと訊くのがルナウの習慣になった。ナッシシムはルナウの寝室に入ったことはないけれど、きっと花だらけだと想像している。
「アザミ、棘があるからやめておくわ」
「そうですか、では花酒にしてしまいます」
「お酒に漬けるの?」
「えぇ、綺麗な色のお酒になるんです」
「なんでもお酒に漬けちゃうのね」
「食べられるものだけですよ」
「そう言えば、ハーバデシラムさん、お菓子が楽しみって言ったのに、ケーキ、食べなかったね。お酒が苦手なのかしら?」
「苦手なのはきっと、お酒ではなくサンザシです」
「あら、どうして?」
「酒漬けのサンザシの実を混ぜてあるとお教えしたら、『サンザシですか』と言ってました」
「甘酸っぱくて美味しいのにね」
「ナッシシムさんと同じで、棘が苦手なのかもしれません。サンザシは森のいたるところに生えてますから」
「それじゃあ、持って帰っても捨てちゃう?」
「さぁ、それは判りません」
「捨てちゃうんじゃもったいないなぁ」
「だから、ナッシシムさん」
ルナウが苦笑する。
「捨てると決まったわけではありませんって」
「でも、ハーバデシラムさんが小鳥に餌をやるなんて想像つかないわ」
「それはわたしも同感です」
「だったら捨ててしまうのでは?」
「ここで言い合っても埒があきません。明日、確認に行ってみましょう」
確認に行くってどこへ? 驚くナッシシムに、ルナウがさらりと答える。
「底なしになれなかった沼の森に。ハーバデシラムさんのお相手を見つけるヒントがあるかもしれません」
明日、店はお休み、羊飼いのタエラルに馬車を借りて街に買い出しに行く予定、回り道ですが『底なしになれなかった沼の森』を抜けていきましょう、と言うルナウ、一緒に行っていいのね、とナッシシムが喜んだ。
翌朝――
ワクワクを抑えきれないナッシシムが約束より少し早い時間にタエラルの羊小屋に行くと、犬族のタエラルがニコニコと出迎えた。もちろんフサフサの尻尾を大きく揺らしている。
「おはよう、ナッシシム。村の生活には慣れたかい?」
「おかげさまで。姉ともども幸せに過ごしてるわ」
「アッリリユさんとジョロバンの結婚式ももうすぐだね――ルナウさんに感謝だね」
「そのルナウさん、まだ来ていないのね」
「あの魔法使いはのんびりしているからねぇ。いつも時間よりほんの少し遅れてくるよ。遅刻とも言えないくらいの遅れだから『お待たせしてすみません』なんて言われると、こっちが恐縮しちまうよ」
ガハハとタエラルが笑う。
「そうね、ルナウは本当にのんびりしているわ――それよりタエラルさん、この瓶に羊のお乳を分けていただけませんか?」
ナッシシムが、持っていたバスケットから蓋のできる瓶を取り出した。
「姉がサンドイッチを作ってくれたんだけど、飲み物が欲しいなって」
お安い御用、とタエラルが羊小屋に入っていき、ほどなく戻る。瓶を受け取りナッシシムが代金を支払い終わったところにルナウがやっと姿を見せた。
「お待たせしてすいません」
タエラルとナッシシムが笑い転げ、ルナウが不思議そうな顔をした。
夕方までには帰りますよ、とタエラルに言い置いて御者台にルナウが乗り込み、隣にナッシシムが座る。
「今日は随分買い込むのかい? いつもは昼過ぎには帰ってくるのに、珍しいね」
「お嬢さんが一緒なので、ゆっくり行くことにします」
「そうか、そのほうがいいね。気を付けて行っておいで」
タエラルの牧場から、西に向かえばすぐに『底なしになれなかった沼の森』の入り口だ。
「ねぇ、ルナウ。朝ごはん食べた? 姉さんがサンドイッチを持たせてくれたの」
「それは楽しみですね――沼の畔でいただきましょう。すぐにつきますよ」
『底なしになれなかった沼』は降り注ぐ木漏れ日で水面が煌めいていた。水を求めるシカやキツネがちらほら見え、ルナウたちに気が付くと、さっとどこかに消えていく。ところどころに咲いた季節の花が、緩やかな風に震えるように揺れていた。
「綺麗なところね」
「えぇ、綺麗なところですね」
ナッシシムが羊の乳をコップに注いでいると、
「そうそう、わたしも飲み物を持ってきたのですよ。サンザシ酒を煮てアルコールを飛ばし、ハチミツを溶かして水で割ったものです」
ルナウが出した瓶には透明な赤い液体が入っていた。
「綺麗! それに美味しそう」
「でしょう? 甘いので、食事の後にでもいただきましょう――ところでナッシシムさん、お昼は何が食べたいですか?」
「もう、お昼ご飯の話?」
笑うナッシシムをルナウが笑う。
「サンドイッチはお昼にってアッリリユさんが持たせてくれたのでしょう?」
見る間にナッシシムの鼻先と耳裏が真っ赤に染まる。
「どうして判っちゃったの?」
「ナッシシムさんのことだから、きっとそんなところだろうと思っただけです」
街では何が食べられるのかしら? と、お昼ご飯の相談をしながらサンドイッチを食べ、羊の乳を飲んだ。
「ジョロバンが言っていたけど、薄いパンにトマトのソースを塗って、燻製や野菜の刻んだものを置いた上にチーズを乗せて竈で焼いたものを食べさせるお店が、最近できたんですって」
「ピッツァのことだと思いますよ」
「美味しそうよね」
涎を垂らしそうなナッシシムに、ルナウが苦笑する。
「判りました。街に着いたら予約してから用事を済ませることにしましょう――このあたりでは珍しいので、いつも混んでいて待たされるそうですから」
「あら、ルナウ、詳しいのね」
「実はギルドに呼び出されて、街には最近行ったばかりなのです。その時、小耳に挟みました」
嬉しそうなナッシシムに微笑んで、そろそろ行きましょうとルナウが立ち上がろうとする。
「待って、ルナウ! サンザシのドリンクは?」
「あぁ、そうでした……」
ルナウがそう答えた時、背後から女の声が聞こえた。
「サンザシ……棘のある枝に悩まされる」
飛び上がるほど驚いたナッシシム、ルナウはゆっくりと振り返った。




