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村はずれにある喫茶店フルムーン、その一番奥の席でヴェリスウェアが溜息を吐いた。カウンターの中のルナウはそんなヴェリスウェアをチラチラと盗み見て、話しかけようか迷っている。店内のストーブは三台、入り口のところと、入り口から左右に広がるフロアの両端にある。そこに乗せられた三つのケトルがシュッシュと盛んに湯気を上げている。
「はぁ……」
何度目かの溜息をヴェリスウェアが吐いた。
収穫祭が終わって暫くすると、双子の兄のローリアウェアが都会の学校に行ってしまった。それから二ヶ月が過ぎようとしている。
いまさら寂しくなったのだろうか? そう思ってルナウが首を振る。新年のお休みにローリアウエアが帰ってくると、昨日ナッシシムと嬉しそうに話していた。だったら、ローリアウェアが帰ってくるのが憂鬱なのか?
そんなはずはないと、やっぱりルナウは首を振る。ローリアウェアとヴェリスウェアは仲のいい双子の兄妹、兄の旅立ちの時、ヴェリスウェアが寂しさに流した涙をルナウは忘れていない。それに昨日は確かに嬉しそうだった。だとしたら、やっぱり原因はココタリア?
ヴェリスウェアの従兄ジョロバンとナッシシムの姉アッリリユの結婚式で、ヴェリスウェアに一目惚れしたココタリアはジョロバンの親友、森の向こうの街に住んでいる。小売りは勿論、ホテルなどにも納品するそこそこ大きな魚屋の息子、今はその魚屋で従業員の一人として働いている。見るからに頑丈そうな体躯の、陽気で屈託のない好青年だ。
ルナウの店にもジョロバン夫妻と一緒に来たことがある。よく笑うココタリアは豪快に見えて、心は繊細――ココタリアのさり気ない気遣いをジョロバンもアッリリユも気付いていないようだったが、ルナウが見逃すはずがない。
「はぁ……」
ヴェリスウェアがまたも溜息を吐いた。なにかあったのですか? もう一度訊いてみようか? そう思ったルナウが思い直して訊くのをやめた。
フルムーンに近付いてくる気配はナッシシム、好奇心旺盛で物おじしない。その分ちょっとだけ無遠慮なナッシシムが、こんな状態のヴェリスウェアを放っておくはずがない。ひょっとしたらナッシシムにも言えなくて、ヴェリスウェアは誤魔化してしまうかもしれないが、どっちにしろ自分の出番はまだ来ない。
ドアベルがチリンと可愛らしい音を立て、新たな客の訪れを告げる。
「こんにちはルナウ、今日も寒いわね……って、ここは今日も暖かいわ」
店に入るなりマフラーを外すナッシシム、続いてコートを脱ぎ始める。入り口の横の壁にはハンガー掛けが付けられて、もちろんハンガーも置いてある。
「いらっしゃいませ、ナッシシムさん」
常連客を微笑んで迎えるルナウ、
「寒い中、こんな村はずれまで足を運んでくれるのです。せめて暖かなお店でお迎えしたいのですよ」
カウンターから出てコートを受け取ると、ハンガーに通してから壁に掛けた。そうしながら小さな声で、『ヴェリスウェアさんがいらしてますよ。一番奥の席です』と囁いた。
「ヴェリス!」
ルナウの言葉に店を見渡したナッシシム、ヴェリスウェアの席に足早に向かった。
「ここにいたのね。家まで迎えに行ったけど出かけたって聞いて、どこに行ったのかと思ってたのよ」
ナッシシムの来店に気付いているはずのヴェリスウェア、窓の外を見て知らんふりをしていたが慌てて笑顔を顔に貼り付けた。
「ナッシシム、遅いわ――ここで待っていれば来ると思ってた」
「そうなんだ? いつも一緒に来るのに珍しいのね」
ナッシシムに疑う様子は微塵もない。
注文を尋ねるルナウ、ホットチョコレートと言うナッシシムの元気な声の後に、
「ヴェリスウェアさんにもお替りをお出ししましょうか?」
と続ける。少し迷ったあと、『お願い』と答えたヴェリスウェアだ。
女の子二人の今日の話題は、もうすぐ帰ってくるローリアウェアのこと、大晦日のパーティーに着ていく服のこと、そこでのご馳走の予測など他愛ない。他にもナッシシムは話題にしたいことがあるようだけど、それをヴェリスウェアが意図的に避けている。昨日もそんな雰囲気だった――話したくない事、どうやらそれがヴェリスウェアの悩みの原因らしい。だけど二人の話に割り込むわけにもいかず、ルナウは黙って見守るだけだ。
元気いっぱいのナッシシムに、沈みがちだったヴェリスウェアも徐々に明るさを取り戻す。少しばかり賑やか過ぎるけど、ルナウは仕事の手を休めず、時おり微笑んで様子を見るだけ。どうせフルムーンに他のお客はいないのだから、誰の迷惑にもなりはしない。
今日用意したお茶菓子はクルミ入りのガトー、マロングラッセも一粒添えた。用意したのは七人分、ルナウの予測では今日のお客はあと四人。一人分多いのは予測よりも多かった時のためだ。以前はナッシシムにお土産を持たせたルナウだが、特別扱いはやめた。だけど切り花は『二人で分けてくださいね』と、強請られれば今でもナッシシムとヴェリスウェアに渡している。
お客はいつもナッシシムとヴェリスウェアの二人きりなのだから、七人もくれば大盛況と言ったところ。だけどストーブ三台の薪代を考えると大赤字だ。
冬場のフルムーンは夏の儲けを費やしてしまう。それでもルナウは毎日店を開けている。何かあればフルムーンに行ってルナウに相談しよう、そう考える村人が大勢いるとルナウは知っていた。店の奥にある住処にはなるべく誰も入れたくないルナウ、相談事は店で聞く。
思いつめた表情のヴェリスウェアが一人で店に入ってきたとき、何か相談事、あるいは聞いて貰いたい話があるのだと察したルナウだ。最初のお茶を出す際に『どうかしましたか?』と声を掛けたが、ヴェリスウェアは『別になにも――』としか言わない。それなのに、何か考え込んでは溜息を吐いている。
なにもないはずはなさそうだけど、本人が話し出さない限りルナウにできることはない。ヴェリスウェア自身がなんで悩んでいるのか判っていないのだと、ルナウはしばらく様子を見ることにした。そしてナッシシムが来店し、少しだけヴェリスウェアの気が逸れた。
ナッシシムがいる限りヴェリスウェアが話し始めることはない。そう感じたルナウだ。ヴェリスウェアの悩みは親友のナッシシムにも秘密らしい――
カウンターの中の丸椅子に座って、ルナウは根付紐を編んでいた。大晦日のパーティーで参加者に一つずつ、無料で配る予定の祝い石に使うものだ。
祝い石と言っても、そんじょそこらに転がっているような小石をツルツルに磨いて、たっぷり太陽を浴びせただけ。身につけていれば向こう一年、健やかに過ごせると言われている。普通はそれで終わり、珍しいものではない。
だけどルナウはその石に小さな穴を開け、根付紐を通した。根付紐の編み方は、以前この店に立ち寄った遠い東方の島国からの旅人に教わった。編み目の美しい見慣れない紐が付いた祝い石を、貰った人はみな喜んだ。だけどただの祝い石ではないことを誰も知らない。ルナウが祝福したものなのだ。
月の加護を受けた魔法使いルナウの祝福は、毎日の眠りを穏やかなものにするだろう。村の一員に加えてくれた村人たちへの、静かな生活を与えてくれる村への、ルナウの感謝の思いを込めた祝い石だ。
ヴェリスウェアの様子を気にしながらも、熱心に紐を編んでいたルナウが店に近付く気配を感じて顔をあげた。すぐに話し声が聞こえてくる。
「クロッカスが綺麗に咲いているね」
若い男の声だ。ルナウが、おや? っと首を傾げる。ヴェリスウェアの緊張が微かに伝わってきた。
ナッシシムが、
「姉さんたちだわ」
出入口の方を見た。同じようにドアを見るヴェリスウェアの表情に、ルナウは恐れに似たものを見た。
ドアベルがチリンと鳴って、入ってきたのは三人の猫族。ナッシシムの姉アッリリユとその夫ジョロバン、もう一人は初めて見る顔だ。美しい容姿の猫族の青年は線が細く、神経質そうに見える。
突然ヴェリスウェアが立ち上がった。
「ごめんね、ナッシシム。用事があるのを思い出したの。帰るわ」
「ヴェリス?」
戸惑うナッシシムを置き去りに、入り口でコートを脱いでいた新参の客たちに等閑な挨拶をしただけで、自分のコートを手にすると袖を通すこともなく逃げるように店を出て行く。
「またお越しくださいね」
ルナウの声がその後を追う。その声に掛けられた魔法に気が付いたのはヴェリスウェアだけだろう。




