009「シズ迷宮と街の変化-Changes in Shizu's Labyrinth-」
シズ迷宮12階層で行われた嗤う骸骨討伐作戦から四か月が経過し、停滞していたシズの街には大きな変化が生まれていた。
まず6級以上の中堅ハンターが街に増え、たまに3級、2級のPTとソロハンターが街に訪れると共に、新たに広がったシズ迷宮の深部へと潜る様になっていた。
ゼンとフェルナが危惧した通り、迷宮が成長していたのである。それも異常な成長を遂げていた。
嗤う骸骨戦後、休息と最深部調査のために数日間、迷宮は封鎖された。そして、迷宮組合と魔術塔合同の最深部調査が実施されたのだが、すぐに中止が決定された。
調査隊が迷宮に足を踏み入れると、そこは何時もの風景は何処にも無く、広大な廃墟となっている城下町が広がり、魔物も闊歩していた。
たった数日の間に内部構造が一階から変化していたのである。さらに問題なのは、複数階層が一緒になった広域型複合階層に変化していた事である。
今までは、一階層毎に階段や坂などで階層が分かれていたが、広域型にはそれが無い。つまり一階層からn階層までが一緒になった広大な地形が一つの階層となっている。そうなれば、出現する魔物もn階層に出現する強い魔物が迷宮入り口近くに出現することもある。
これにはさすがに、100歳を超えるフェルナにも初めての体験であり、即刻中止を二人は決めた。
そして調査が再開されたのは二週間後。国に要請した国軍の派遣と共に、三級以上の魔術師とハンターが緊急招集され、国家主導で調査が再開されるまで待たねばならなかったのである。
彼らが到着するまでの間、迷宮入り口には常にハンターと魔術師、そして駐留する街軍が防衛線を敷き、入口から這い出る魔物を殲滅していった。
この時、迷宮の中からは今まで湧いていた魔物に加え、新たに複数の魔物も確認された。この状況にゼンは、迷宮の広さの基準である深度とは別に、迷宮の危険度の見直しも国に申請し、調査後にはシズ迷宮の危険度は1から7まである内の、1から4まで格上げされることになった。
この危険度をハンターの階級で例えるなら、今までは最下級の9級から6級が居れば、問題無く街を護れると判断されていた。それが複数の4級ハンターのPTが常駐する必要があると判断された事になる。
これにより、国が駐留させている街軍の数も増員が決定され、公認3級迷宮ハンターが団長を務める2PTが、シズ迷宮組合に配属されることが決まった。
この公認迷宮ハンターは塔に所属する魔術師のハンター版であり、国の人事配属に従って特定の迷宮街に常駐する国家公務員ハンターである。組合長のゼンも実はその一人である。
PTに所属するハンターの一部は準公認であり、彼らにも国から年金が支給されるため、意外にも公認ハンター、あるいはそのPTに所属する事を目指す者は多い。
彼らの主な任務は、想定以上の強個体が出現した場合の保険であり、普段は普通のハンターとしての活動も許可されている。
国軍や4級の魔術師とハンターの応援が来てからも、調査は難航した。まず、最初の階層である城下町がシズの街を軽く超える規模であったこと。
後にこの城下町だけで20階層分と認定される。つまりこの時点で以前のシズと同じ第二段階の迷宮と同じと判断された訳である。
そして中々見つからなかった下層に続く経路が発見され、最下層に到達できたのは嗤う骸骨事件から数えて34日も経過した後のことだった。この間に大規模調査は四回も行われ、最後の調査には急遽招集された1級PT二組と2級三組を加えて行われ、最下層まで2日。往復5日という強行軍で調査が行われた。
この調査の結果。下層は城下町とほぼ同じ20階層もの広さがある事が判明し、元の21階層から一気に40階層以上の迷宮に成長したことになる。そして新たな魔物も多く確認されている。
その中でも身体能力、知能共に高めの獣人型の魔物と魔法も扱う小型魔法人形が確認された。さすがにオーガなどの大迷宮に出てくるような魔物はいなかったが、全体的に出現する魔物が上位のモノに置き換わっていたのは確かだった。
この大幅な階層の拡張と出現する魔物の大幅な変化もまた、異常と言わざる負えなかった。
観測記録から、5~10階層前後の拡張が通常の成長だが、今回は22階層も拡張され、最下層は43階層となっている。
そして、構造の変化も異常。通常は以前の最下層の前後三階層くらいから、元の地形に沿った変化をするのが常識だった。そして、出現する魔物もこれまでいた魔物の系統に沿ったものが増えるのが当たり前である。
シズで例えれば、これまでは石壁に囲まれた通路と部屋で構成された城型に分類される構造だった。城型の多くは大きく構造が変化しないものの、大広間や中庭といった広い空間の地形が追加されるだけである。魔物にしても、アンデッド系統が半分を占めていたため、その系統の魔物が増えるなら分かるが、ゴブリンの様な知恵ある人型の魔物や魔獣型もアンデッドと同じくらい増加していた。
さらにもう一つ、スケルトンのレベル1以上の個体が出現する様になっていたことが、周辺国家にも衝撃を与えた。これは国が把握している中でも、別大陸にある大迷宮にしか確認されていない事例であり、エクタナ大陸では初の事例となったためである。
そのため、他国からもスケルトン調査の依頼があり、まずは友好国の二か国の調査団が、半年後からシズに滞在することになっている。
ちなみにあの事件以降、シズ迷宮には嗤う骸骨の出現が報告されていない。ゼンもフェルナも、ハンターや魔術師達に警告は続けているが、カイルとエバの仮説は証明されないまま、月日が流れていた。
(おーい、誰かぁーーーー。さっさと宝物部屋見つけて、開けやがれぇーーーーー!ちくしょーーーーーーーー!)
シズ迷宮ハンター組合は迷宮の成長したことで、ほぼ無休でこの数ヵ月を過ごしていた。その中にはもちろん、組合長であるゼンも含まれている。
「ゼン。こっちの書類にもサインを。それと、調査団の日程が正式に決まったわよ。これがその報告書。来月には調査団に先駆けて、二か国の使節が来訪しするわ。その準備も始めさせてるわ。あと塔から連絡が来て、こっちで了承しておいたわ。今日予定していた会議は夜になったから、そのつもりで。以上よ」
組合長室が住処になって数ヵ月。ゼンは続々と届くハンター達からの迷宮報告書、数ヵ月後に予定されている他国からの調査団の受け入れ準備を捌く毎日を送っている。
命と等価値と言っても過言ではない大事な髪の毛を、一瞬で奪っていったあの憎き骸骨の事は片時も忘れたことはないが、ゼンはその憎しみと怒りを原動力に変え、執務机に広がる書類と日々向き合っている。
しかし、あまりにも膨大な職務量のため、シズ支部の職員だけでは捌き切れなかった。これに伴い、国内の迷宮を管理している迷宮組合本部と、上層組織である国家機関「迷宮庁」からも関係する職員が派遣されていた。
今、彼に矢継ぎ早に報告、連絡をしているレイラもその迷宮庁から派遣されて来た一人。二ヵ月前にこのシズ支部に派遣され、一週間でシズの組合を掌握。今はゼンの補佐官の一人のはずだが、彼よりも支部内の権力を握っていると言っても過言ではない女傑である。
ゼンと同じ二級ハンターの資格を持ち、現役時には同じPTでロットン大迷宮にも挑んだ魔術師兼ハンターでもあるため、支部内での彼女の地位は確固たるものになっている。
実家が貴族家ということもあり、当時はかなり話題に上っていた令嬢であるが、これまで男の噂は全く聞かないまま50歳を迎えている。引退してからも、ゼンの耳には結婚したとの声は聞こえてこないし、たまに会う時もそんな報告は受けていなかった。
50を迎えたとはいえ、実家はそれなりに財を成している貴族家。それに加え、ゼンと同様に容姿は今でも若々しい。誰が見ても、何処から見ても20代前半の女性。とても50歳には見えない見た目をしている。
この二人の50代の男女、ここにフェルナも加えれば200歳を超えることになる。彼らがこれほどまで若々しいのは、迷宮最深部に生える神樹の実を複数個食している他に、嗤う骸骨も落とした魂の欠片を過去に何個も食しているからである。
この二つは効果に差は有れど、人の肉体を強靭にし、限界を底上げする力が宿っている。人が迷宮に潜る最大の理由と言えるだろう。
ただ、この神樹の実は神樹から離れるとすぐに腐り始め、数秒もしない内に消滅してしまう。そのため、どんなに金を積もうと安全な場所に居ては、一生手にすることが出来ない物になっている。
では、比較的安全な小規模迷宮を周ればいいと思うかもしれないが、実や魂の欠片は有能なハンターや魔術師に永く現役を続けてもらい。国防を担ってもらう必要がある。さらに次世代の育成確保のためには必須のモノになっていることから、迷宮法で固く禁じられている。
それでも欲しがる者が後を絶たないのが現実ではある。数か月前にも、ハンター登録も魔術師でもない何処かの貴族令嬢が、この法を破って実を数個手にしていたことが発覚したばかりである。
金と引き換えに彼女に協力したハンターや魔術師、その上役達。つまり組合長やら塔の魔導師は現在、令嬢と共にロットン大迷宮の魔境に放り込まれている。風の噂では既に令嬢は死んでおり、ハンターも半数が帰って来ていない。
魔術師は貴重なため、城塞守備軍に入れられているが、ほぼ終身刑に近いと言う事をフェルナが溢していた。
「そういえば、あんたが出してた報告書読んだわよ」
報告と連絡を終え、少し休憩を挟むことにした二人は、執務机を挟んで雑談に入った。
「何の報告書だ?」
ゼンは個の数ヵ月の間、迷宮関連の報告書をそれぞれ初期・中間・最終と何回にも分けて、王都の組合本部に送っている。そのため、どの報告書をレイラが読んだのか分からなかった。
「嗤う骸骨についての最終報告書よ。フェルナ様が出した塔からの報告書は王都で読んだけれど、あんたからの報告書は何時まで経っても上がって来ないから、上は随分とお怒りだったわよ」
ゼンも別に面倒だったから出していなかった訳ではない。迷宮が広がったことで、嗤う骸骨がもし復活するのなら、何処に出てくるか分からなくなった。一応、容の上では討伐したが、彼の中では終わっていないと感じていたのだ。
「あれには仮と付け足しておいただろ。まだ最終じゃあねぇよ」
「はぁ。その報告書についても苦情が来てるわよ。塔からの報告と意見がだいぶ違うからでしょうけど。それで、実際どうなの?あんたは復活している可能性が高いと思ってる様だけど」
ゼンは報告書で、引き続き調査の必要有りと記載し、本部に提出していた。
「・・・俺の勘だが、あれは今まで出会って来た魔族の中でも異質だ」
「・・・なるほどね。報告書には書いてなかったけど、あんたはその嗤う骸骨を魔族だと思ってる訳ね?」
「いや、正確には違う。魔族に似た何かだ。おそらく魔族ではない。だから異質に感じている」
レイラはやけに歯切れの悪いゼンの説明に、眉間に皺を寄せてその眼を見詰める。現役時からも、目の前の男は基本的に一貫した考えの元で動いていた。間違う事はあっても、それを誰かの責任にはしないし、それを認める度量もある。だからこそ、レイラには今のゼンの歯切れの悪さに違和感を感じていた。
「あんたがそんなに迷ってるところは初めて見るわ。何に引っかかってるの?フェルナ様の報告書には、魔族の可能性が高いと書かれてたわよ。既に討伐されてる以上、それを確認する手立ては無いけどね」
レイラが報告書読んで、違和感を覚えたのはその点だった。100年以上を生きる魔女フェルナが可能性とはいえ、魔族の単語を報告書に上げていたのに対し、ゼンの報告書には言及さえされていなかった。
「魔族共は上位の意思に従っている所があるだろ?」
「存在は確認されていないけど、確かにそうね。ロットンで出会った魔族は特にそうだったわ。明らかに私達、人に対して敵対心を持っていたわね」
魔族は大迷宮以上で確認されている知恵ある魔物の中でも、特に強い個体や集団のことである。彼らについては過去から知られていたが、その存在の詳細は判明していない。過去には人とそっくりな姿形をした魔族との接触報告もある。基本的に、魔族の存在は各国の上層部と二級以上のハンターと魔術師にしか開示されていない。一級資格持ちでも知らぬ者もいる。
「だが、あの嗤う骸骨は例えれば、在野の魔術師やソロハンターの様な感じだな。組織には属さず、好きに生きている。そんな感じがした。だから、もう少し様子を見る」
ゼンはロットン大迷宮に潜っている期間も回数が、レイラよりも長く、多い。それはすなわち、人が魔族と呼ぶ存在とも遭遇した回数も多いと言う事である。その中でもゼンは、複数の魔族を屠って来た戦士であり、「魔族殺し」の二つ名を持っている。
その戦士が違和感を持ち、さらに慎重になっている。レイラはそれ以上の追及を止めた。
「分かった。あんたの勘を信じてみよう。それじゃあ、仕事を再開しようか」
レイラの最後の台詞は、今の彼が最も聞きたくない台詞の一つ。苦虫を嚙み潰したような顔で、茶器に入った珈琲を一息で飲み干していた。
シズ迷宮街において、迷宮組合と双璧を成すもう一つの組織「シズ魔術塔」。その筆頭魔導師であるフェルナとジョージは、新たな二人の魔導師を彼女の執務室に迎えていた。
彼女の前に並ぶ魔導師の男女はフェルナのかつての弟子で、既に二人共フェルナの元から独り立ちしている優秀な魔術師である。
「老師、御久し振りで御座います。魔術塔第五位階バルド、及びエリー。着任の御報告に参りました」
「フェルナ様。御久し振りです。ジョージも久しいね。元気そうで何より」
見た目はまだ三十代に見える二人だが、既に50歳を超えている。今回のシズ迷宮の成長と塔内のある事情により、フェルナが中央塔に掛け合って自身の息が掛かった者を赴任させたのだ。
結局、あの時手にした魂の欠片はエバに与えられた。しかし、これが決まるまでに塔内では揉めに揉めた。
「二人共よく来てくれたね。急遽の移籍で大変だっただろう。悪かったね」
「御久し振りです。またお会いできて嬉しく思います。バルド導師、エリー導師」
本来魔導師は、一定の任期で本部の人事に従うか、本人の希望で籍を置く魔術塔を決める者かで別れる。
フェルナは引退を考えていたこともあり、魔術中央塔から不人気な辺境塔を最後の住処にしようと思い、シズ魔術塔の筆頭魔導師として自ら移籍してきた。そして最後の弟子として、最年少で魔導師になったジョージを託されたのである。
「いいえ、老師。お気になさらず。迷惑などと微塵も思っておりません。新たに成長した。それも異常な成長を遂げた迷宮の調査と研究が出来るのです。私達にとって、これほど素晴らしい環境は有りません。逆に感謝しています」
「私もです。老師からの誘いが会った時、すぐにこちらに来たかったのですが、生憎引き継ぎなどで三ヵ月も時間を無駄にしてしまいました。先に送られてきた骨はとても興味深く、今から研究をするのが楽しみで仕方ありません」
変わらない二人の弟子に微笑みつつ、フェルナは真面目な顔に戻し、話を続けた。
「じゃあ、遠慮なくあんた達の力も貸してもらうよ。既に部屋はあんた達用に整えてある。弟子達の部屋もね。バルドは迷宮に潜りたいだろう?任務外なら専任ハンターを専属で使える様に、レイラから承諾を貰ってる。もし懇意にしてるハンターを連れて来てるなら、一緒に顔合わせしておきな。それと後で紹介する二人も連れて行っておくれ。まだ20歳ほどだが、一人は確実に私を越える素質がある子だ。ハンター資格も持ってる子達だよ。これも専任ハンター達とは、既に何度も潜らせているから安心しな」
二人の魔導師は師であるフェルナを越える逸材と聞き、眼の色を変える。
「バルド、私もちょくちょく潜るからね。その時は貸してもらうよ。その二人」
「それは本人達に言え。ジョージ、師の言葉を疑う訳ではないが、お前の眼から見てもそうなのか?」
バルドは、フェルナの隣で静かに佇むジョージに眼を向ける。彼らも何度か彼の指導をした経験があり、その才能に嫉妬したこともあるくらいだ。だが、その時でさえ、師であるフェルナの評価は「私に届く」だった。
「はい。男女の若い魔術師です。等級は敢えて抑えていますが、男の方は嗤う骸骨の放った大魔法に耐える障壁を生み出せます。才能という点だけ見れば、既に塔の誰よりも高い素質を持っています。女はそれには劣りますが、将来はフェルナ様に届くを才を持っていることを保証します」
「そうか、それは楽しみだ」
「それで、フェルナ様。私の部屋は?」
エリーは少し急かす様にフェルナに尋ねる。それにフェルナは少し笑いそうになるが、再び顔を引き締め直す。
「あんたの部屋も要望通りに用意してるよ。勿論、弟子の分もね。あんたにはこれまでに手に入れた迷宮変化後の魔物の検体、装備、欠片を数個。それと嗤う骸骨の骨を自由に研究する許可を与える。レベルの上がったスケルトンの骨も用意してるよ。迷宮変化後の魔物の調査を優先してくれれば、こっちはそれでいいよ。それと、迷宮に潜るのもバルド同様に自由に許可する。あと専任ハンターの件も同様だよ。だけど、出来ればハンターの負担も考慮して、潜る場合は二人一緒に潜っておくれ」
「はい。分かりました」
「私もそれで構いません」
バルドとエリー。フェルナの弟子の中でも実力、知識、経験を兼ね備えた優秀な魔術師であると同時に、研究家でもある。
バルドの研究は主に迷宮内の構造と、別名「遺物蒐集家」と呼ばれるほどの迷宮産宝物に情熱を注いでいる。ここ五十年の間に発見された宝物の三割が、このバルドによる調査探索中に発見されたものである。
そしてもう一人の女魔導師エリーの研究は「魔物」。数年前に発行した魔物について書かれた三つの著書は、迷宮組合から全ての支部に置きたいと言われ、今も写本家が複製を続けている他に、他国からも何件か問い合わせが来ており、翻訳と複製も行われている。
二人の満ち足りたやる気を肌で感じつつ、フェルナは口角を上げ、ジョージは優しく微笑みながら、「相変わらず趣味に生きてるな」と心の中で同じ感想を漏らすのだった。
「それじゃあ、始めようか。シズ迷宮を丸裸にするんだよ」
「「はいっ」」




