030「ケルトの試行錯誤-Skeleton Trial And Error-」
違う神殿に飛ばされたケルトは、まずは彼が立っている礼拝堂から見て回ることにした。
(ほう、ここも聖域になっているな。だが、さっきまでいた神殿と違って、ここの聖域は違うな。あの名も無き神の力が強い気がする。あっちは、何故か聖神の気配も混じってたからな。おそらく、あの我儘の事だ。魔神の事もこの名も無き神の事も気に入らないんだろう)
ケルトは神像に近づき、自身の身が焼けるかどうかを確認した。一歩ずつ慎重に近づき、ついには神像に触れる距離に来ても、彼の身体が燃える事も痛みを覚える事も無かった。だが、その神像に触れて確信する。この神殿は間違いなく神性な力で満たされていると。
これが魔物に対して有効なのか、まだ判断がつかなかったケルトは、担いでいた女に睡眠の魔術をかけ、神像の裏手にその身を寝かせた。
そして自身は、神殿の外に足を向けるのだった。
神殿の外に出て、ケルトが最初に眼にしたのは、侵攻不可の障壁の先に見えていた白亜の城。そして、その周りに広がる新たな城下町だった。
(ガハハハハハハハハハ。あの障壁の先こそ、本当の街が広がっていたのだな。という事は、あの城下町はまだ入り口に過ぎなかったわけだ。ガハハハハハハハハ)
神殿前で存分に嗤ったケルトは、目の前に広がる街並みを眺めつつ、目の前の通りを歩き始める。
街並みは外縁に広がる廃墟街と基本は同じ。だが、立ち並ぶ廃墟一つ、一つの敷地面積は広く、手の込んだ意匠が彫られた飾りも目立つ。明らかに金が掛かっている家屋が並んでいた。
(ふむ。少し歩いただけだが、この街も外縁とほぼ同じ造りに見えるな。それに、魔物は近くにはいないか。もう少し行けば現れる可能性もあるが、今は戻るか)
神殿が見える範囲を歩いてみたケルトは、元来た道を戻りながら、遠くから此方に歩いて来る魔物の集団を見つけた。距離にすれば神殿から800歩以上は離れている。
(おっ、見たところ獣人だが、外縁にいる奴等よりも身体も魔力も高そうだな。少し観察してみるか)
ケルトが神殿前に戻る頃には、その距離は600歩前後まで近づいていた。そのまましばらく見ていると、500歩ほどの距離で魔物の集団は突然向きを変え、家屋の陰に消えて行った。
(ほほう。あの神殿よりも、こっちの神殿の方が優秀だな。つまり、あの名も無き神の方が力ある神の可能性が高いということか。ガハハハハハハハハ。己の領域で力負けするとは、聖神も魔神も情けないことだな。ガハハハハハハハハ)
決してケルトが聖神と魔神に勝った訳ではない。だが、ケルトはそんな事は気にしない。勝ち誇った嗤いで二柱の神を嘲嗤い、馬鹿にする。それこそ、嗤う骸骨に相応しい姿だった。
ケルトはここ半月ほどの間、女に掛けた精神支配の魔術の手応えから、ある結論に至っていた。
(・・・俺の知る言語はどれも不発。つまり、こいつらの使う言語は全く新たな言語という事だな。まさか自分の部屋を選べと命令したら、いきなり服を脱ぎ始めるとは思わなかったぞ。しかも・・・悪いことをしたな。ガハハハハハハハハ)
掃除をしている女を観察しつつ、この半月の間の試行錯誤を振り返る。
女が目覚めた時、まだ寝ておけと命令したが、女は立ち上がった。それからもケルトが意図したものとは全く違う行動をする女の姿に、頭を抱えることになった。
・・・嘘を書いてしまった。ケルトはかなり楽しんで遊んでいた。さすがに目の前で立ったまま(自主規制)をし始めた時は焦ったが、徐々にそのちぐはぐを勘便りで直し、数日で女が一人で過ごせるくらいには命令を与える事には成功した。
だが、以前として問題は多い。少しでも言葉を変えたり、加えたり、減らしたりすると全く違う事をし始める。もし誤って自死に繋がった場合の事も考え、何時でも介入できる様にはしているが、気安く命令をする事は出来なかった。
ケルトが女に掛けた精神支配の魔術は、かなり高度な魔術になる。
互いの精神に通路を通すことで、相手が言語を理解出来れば、思念だけで主が従に対して命令を下せる他に、従の感情や思念を、主は感じ取ることが出来る点も面白い魔術だとケルトは考えている。
例え言語を完全に理解していなくてもいい。その系譜に連なる言語であれば、それなりの精度で術者の意図を汲んで従うはずなのだが・・・。今の所は失敗している。
この魔術を使って、ケルトはある目的を達成するつもりでいた。だが、女はケルトの命令とは全く違う行動をするし、そもそも動かないこともあった。
つまり、女はケルトが話せる全ての言語を知らず、系譜にも該当しないことになる。
さすがにケルトもこの事態は想定していなかったため、お手上げ状態で嗤うしかなかった。どれか一つくらいは、人の使う言語の系譜に該当するモノがあるだろうと予想していたからだ。
(う~ん。これなら捕まえなくても良かったか?まぁ、面倒な精神支配まで使った手前、ここで「はい。さよならは」我が骨道に反しかねん。一度は下僕にした以上、覇王たる器を持つ俺様の威厳にも関わるからな。よし、このまま探り続けて、こいつから言語を学ぶとするか。ガハハハハハハハハ)
ケルトが使用した精神支配は、完全に気を失っている状態か、魔術で意識を奪った状態に加え、術を受けた者が一切抵抗しないことが成功条件になる難しい上に面倒な魔術である。
この魔術をかけるためにケルトは、女に強い精神的傷害を残す方法を取った。その方法は、彼女の目の前で、まだ意識のある者の首を撥ね続けるという残酷なもの。さらに彼らの生首を障壁に浮かべる事までした。
そして予想通りに壊れかけた女の意識を、ケルトは容易く奪う事に成功したのである。その後は徐々に意識の深層まで侵し、完全に掌握した後に精神支配の術を施したのである。
ここまではケルトが策士のように聞こえるが、実際は襲撃して来た相手を狩っている最中に思い付き、唯一女だったアンネがたまたま選ばれただけというのが真実である。
では何故ケルトがこんな面倒な事をしているか、それは人が話している言語を学ぶため。
ケルトは復活する度に、ジグソーパズルのピースを当てはめる様な感覚で知識や記憶が蘇っている。だが、そのピースは毎回違う。そのため、今でも知識はかなり偏っている。
言語もその一つ。少なくともケルトが魔物として生まれ変わった時に使えた魔物由来の言語以外に、三つの言語は日常会話程度の知識を思い出している。それ以外は、五つの言語を片言で話せる程度だろうか。
だが、人が話している言語は、ケルトが知るどの言語とも違った。それ所か似た言語さえ無かった。
そのため、ケルトは女を支配して言葉を学ぶつもりだったのである。それも、今の所は頓挫している訳だが、その内分かるようになるだろうという楽観的思考で、ケルトはのんびりとやることにした。
(またやってしまったな。すまん、許せアンナよ。これも我が覇道のためだ。ガハハハハハハハハ)
また裸になってしまったアンネは、ケルトを睨みつけ何かを喚き散らしながら、急いで服を着ている。おそらく罵詈雑言を重ねている事は、その表情を見れば一目瞭然である。
ケルトはそれを見て嗤ってはいるが、悪い事をしたという気持ちはある。一応。
実際、ケルトはアンネの裸が見たいからと、わざと行っている訳ではない。
少しの発音の違い、単語の組み合わせの差異が、アンネ達の使う言語あるいはその系譜に引っ掛かり、彼女の意識がそう認識してしまっているのである。
今もケルトは「右を向きながら、左に五歩進め」という命令を送ったつもりである。だが、アンネが受けた命令は「裸になって、―――を―――」になっていた。後半の命令はアンネの知識に無い、もしくはこの時代に無い概念か名詞だったのか、彼女には理解が出来なかったため実行されなかった。
ケルトはアンネの面倒を見ることを決めてから、知っている言語の中から最も理解が進んでいるモノを一つ選び、試行錯誤を重ね続けてきた。それでも、いろいろな事故が頻発していた。
例えば、いきなり井戸に飛び込もうとしたり、石を食べようとしたり、自分で眼を抉ろうとしたりなどなど。命に係わる事例はそれなりの頻度で起こっていた。
だが、試行回数だけは重ねてきた甲斐もあり、簡単な命令文を見つけ出すことには成功し、女の名前らしきものを聞き出すことにも成功していた。しかし、音調の違いからネがナに聞こえてしまい、間違ったままケルトは覚えていた。
そしてもう一つ、言語解析と並行して行っていたアンネの精神傷害の治療が、ある程度の成果が見えたので、彼女に一定の自由を与えると共に感情の発露を許可した。
それ以降、ケルトが彼女の尊厳を傷つける様な命令をする度に、感情をぶつけてくるようになっていた。
(これはこれで面白いな)
アンネは気付いていないが、彼女の精神はケルトに出会う前から壊れていた。それをケルトは意識を奪った時に何となく感じていた。その証拠に、本来は10日以上は掛かるはずの意識の掌握が一日で済み、すぐに彼女を支配する事が出来ていた。
そして、意識の奥底に眠る彼女の閉じた精神を刺激し続け、少しずつ治していたのである。これは単純に治せるかどうかを試していただけなのだが、思いの外上手く行き、ケルトは満足していた。
ケルトにとって、人は敵対的生物であることに間違いない。
(無気力なものが、毎日魔術の鍛錬はしない。そもそも感情を爆発させることも無いだろう。だが、術に抵抗しない所を見ると、この女は既に諦めているか、開き直っているだけだな。面白い女だ。ガハハハハハハハハ)
夜の街を探索するケルトは、記憶を頼りに街の変化を探していた。
その日の昼間、アンネが神殿の屋根や部屋の壁、果ては井戸の滑車が自然に直っている事に気付いて大騒ぎしていた。
ただ、ケルトはその現象を直ったのではなく、時間が巻き戻ったのではないかと推測している。
その推測が合っているか、確かめるために昼間から街に出ていた。
(・・・ふむふむ。おもしろいな。この家屋は全壊していたはずだ。だが、今は外壁の一部が直っている。城に変化は見られないが、単に見えていないだけの可能性が高いな。素晴らしい。構造変化にはこんな形もあるのだな。ガハハハハハハハハ)
街の変化に一つ、一つ見つけながら、ケルトは夜の街を歩き続ける。今だに全てを把握している訳ではないが、神殿がある区画は探索済みである。
そして、この城下町も蜘蛛の巣状の形をしており、外に続く城門と城に続く城門の手前に例の障壁がある事も確認している。
(また現れたか)
探索が進まない理由は二つある。
一つは、貴重な情報源であるアンネの安全を優先しているためである。聖域化している神殿内に留めてはいるが、ケルトという例外がいる。神殿内に入れる存在がいる以上、他にもいる可能性を考慮して遠出は避けている。
そして二つ目が、今ケルトの目の前に現れた騎士擬きの存在である。
この騎士擬きも他の魔物同様に、神殿には近づかない。だが、ケルトを見つけると必ず襲ってくる。そして、前回よりも明らかに強くなっていることと、騎士擬きは周りの魔物を指揮下に置いて、ケルトに差し向けるのである。
(う~ん、面倒だなぁ。さっさと倒す。あぁ、また呼ばれた)
ケルトが急いで倒そうと走り始めた途端、指揮官と思われる三本角が笛を吹いた。音自体は小さいが、魔物であれば1000歩以上の距離が離れていても届く。この笛のせいで、一回の接敵で最低でも30体以上の敵と乱戦を繰り広げることになっていた。
(ちっ、騎士擬きだけでもさっさと倒すか)
普段なら嗤飛ばす所だが、この城下町に出現する魔物達は、下層にいた魔物よりも強い。
今まで大したことの無かったはずの、ゾンビやゴブリンと言った下級の魔物でさえ、獣人並みの連携を行ってくる。そして、その獣人はさらに身体能力も知能も高くなっており、身体も一回り大きい個体もいる。
レイスと言った思念体系の魔物は、より自由を手にして多種多様な魔術を使う個体もいた。
そして魔獣系。これが最も厄介かもしれない。身体能力や知能は勿論向上しているのだが、それよりも一つ、一つの群の数が30体以上いること。もし複数の群れに襲われた場合、軽く100は超える数を相手にしなければいけない。
時間も魔力も消費させられ、人ならば体力も大幅に削られることになる。
この夜の戦いは、ケルトが騎士擬きの掃討に失敗したことで、翌日の夕刻近くまで続くことになった。




